いいプレーをして……負け続けよ

 1970年代以来、オランダは素晴らしいフットボールの教師だった。そのマスターであるヨハン・クライフがバルセロナに渡ってそのスタイルを伝え、今回のワールドカップ(W杯)ではスペインがそれを体現していた。そして、スペインはオランダのやり方でオランダに勝利した。醜く暴力的なオランダに。

 そのスタイルで外国人をも魅了するチームは限られている。ブラジル、アルゼンチン、そしてオランダだ。彼らの前には50年代のハンガリー、20年代のオーストリアがあったが、どちらも今では国際舞台では没落している。オランダでは70年代にトータルフットボールと呼ばれたアヤックスが台頭し、そのビートルズ的なルックスもあって74年W杯の人気チームとなった。アルゼンチンやブラジルを破ったオランダだったが、決勝では西ドイツに敗れて優勝はできなかった。確かに決勝までのオランダは素晴らしかったが、決勝に関してはエースのクライフも活躍できず、チームも優勝に値するプレーをしていない。

 4年後、ロブ・レンセンブリンクの目覚ましい成長にもかかわらず、クライフを欠いたオランダは弱くなっていた。1次リーグでは危うくスコットランドによって敗退を強いられるところだったし、2次リーグの西ドイツ戦もタフな2−2だった。それでもオランダは決勝まで進んだが、74年と同じく優勝するには奥ゆかしすぎた。その後、クライフのカリスマとパーソナリティーによって物語は何度も繰り返され、輝かしいプレーばかりが反復された結果、オランダは大きな名声を手に入れることになった。ただ、決勝を今見返してみても、彼らは優勝には値していないのだが。

 オランダの暴力性は当時からあった。78年大会の西ドイツ戦、あるいは決勝のアルゼンチン戦では、相当悪質なタックルが見られる。状況をコントロールできないときの彼らのくせなのかもしれない。80年のユーロ(欧州選手権)からは低迷し、82、86年W杯は出場できなかった。素晴らしいプレーと結果が両立したのは唯一、88年のユーロだけ。90年W杯でもベスト16で敗退したが、このときにはフランク・ライカールトがルディ・フェラーにツバを吐きかけるなどの暴行で退場になっている。2006年ドイツW杯のポルトガルとの試合では、イエローカードが16枚、レッド4枚というとんでもないことに。
 10年の決勝で、スペインは本来の50パーセントほどの素晴らしさだった。それでもフットボール愛好者はスペインの勝利を喜んだに違いない。奇妙なのは、スペインはオランダのように勝利したことだ。クライフは選手としてバルセロナのプレースタイルに影響を与え、さらに監督として指揮を執った88〜96年にはさらにその影響力を決定的にした。クライフはナイスなプレースタイルをバルセロナに植え付け、さらに現在でもスペインに住んでおり、そのプレーぶりをチェックし、彼の教えが守られているか目を光らせている。バルセロナのソシオ(クラブ会員)やメディアも、クライフ主義を守ることを要求する。

 決勝のスペインにはバルセロナの選手が6人いて、新シーズンに加入するダビド・ビジャを数えると7人になる。クライフの精神が暴力的なオランダを破るのにどれだけ助けになったかを、われわれは知ることができるはずだ。クライフは母国への非難を緩めない。「悲しいことにオランダの選手たちは非常にダーティーだった。あまりに醜く、不必要に暴力的で、スタイルのないプレーぶり……それでも勝てばオランダ人は納得したのかもしれないが、彼らは負けたのだ。ファン・ボメルとデ・ヨングは退場にされるべきで、オランダは9人でプレーすべきだった」

 興味深いのは、決勝の数日前に聞かれた質問に対するクライフの回答だ。それは、オランダはスペインに勝つためにインテルのようなプレーをすべきかという質問だった。クライフはこう答えている。「それはノーだ。完全にノーだ。わたしがインテルのスタイルを嫌っているからではない。わたしの母国はインテルのようにプレーしたがらないし、自分たちのスタイルを決して変えないからだ」

 たとえ116分目のゴールであっても、スペインはオランダより優れていた。オランダはダーティーで見栄えのしないプレーで勝たなくて良かったのかもしれない。もしそれで優勝していたら、彼らの伝説も終わっていただろうから。

<了>
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著者プロフィール

1965年10月20日生まれ。1992年よりスポーツジャーナリズムの世界に入り、主に記者としてフランスの雑誌やインターネットサイトに寄稿している。フランスのサイト『www.sporever.fr』と『www.football365.fr』の編集長も務める。98年フランスワールドカップ中には、イスラエルのラジオ番組『ラジオ99』に携わった。イタリア・セリエA専門誌『Il Guerin Sportivo』をはじめ、海外の雑誌にも数多く寄稿。97年より『ストライカー』、『サッカーダイジェスト』、『サッカー批評』、『Number』といった日本の雑誌にも執筆している。ボクシングへの造詣も深い。携帯版スポーツナビでも連載中

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