主役は南米から欧州へ=宇都宮徹壱の日々是世界杯2010(7月3日@ケープタウン)

宇都宮徹壱

アルゼンチン対ドイツ、20年前の記憶

ケープタウンのグリーンポイント・スタジアム。座席によっては、屋根の向こう側にテーブルマウンテンが見える 【宇都宮徹壱】

 大会23日目。この日からしばらく決勝当日まで、ヨハネスブルクの拠点を離れる。前夜から徹夜で何とかコラムを書き上げ、同宿の先輩同業者たちとタクシーで空港へ。そこから空路でジョージに向かい、さらにレンタカーでケープタウンまでおよそ5時間のドライブである。なぜ、直接ケープタウンに向かわなかったかというと、どの便もすでに満席だったからだ。今大会は決勝ラウンドに入って以降、飛行機と宿の確保が本当に難しくなっている。同様のことは、もちろんサポーターにも当てはまるわけで、ジョージ行きの便には、少なからぬアルゼンチンのサポーターたちの姿を見かけた。

 それにしても準々決勝あたりになると、各国サポーターの数は自然と絞られてくるものだが、アルゼンチンやドイツのサポーターの数は、むしろ増えているような印象さえ受ける。これら強豪国ともなると、サポーターも「ベスト8進出は当たり前」という感覚で遠征のスケジュールを組んでくるのだろう。当然、飛行機や宿の突然の変更も織り込み済みで、どんな想定外のハプニングが起こっても万難を排して現地に駆け付ける。日本でそれが可能なのは、一部のコアサポーターのみであろうが、強豪国の場合は普通の家族連れのような人たちが難なくやってのけてみせる。そのあたりにも、わが国と強豪国との間に横たわる「ワールドカップ(W杯)の経験値」の違いを痛感せずにはいられない。

 さてこの日、ケープタウンのグリーンポイント・スタジアムでは、アルゼンチンとドイツがベスト4進出を懸けて激突する。両者は前回大会でも、同じく準々決勝で対戦しているが(1−1からPK戦でドイツの勝利)、より印象的なのは20年前のイタリア大会でのファイナルであろう。2大会連続で同じ顔合わせとなったこの試合、当時の西ドイツはアルゼンチンの攻撃の核であるマラドーナを徹底マークで封じ、地元イタリアの人々もまた、マラドーナがボールを持つたびに痛烈なブーイングを浴びせ続けた(準決勝でアルゼンチンがイタリアを破ったため)。結果は、1−0で西ドイツが勝利。破顔一笑でトロフィーを掲げる西ドイツの主将マテウスと、涙に暮れるマラドーナとのコントラストは、当時のサッカーファンに強烈な印象を残した。

 あれから20年。今やアルゼンチン代表監督となったマラドーナにとり、このドイツ戦は願ってもないカードに感じられたのではないか。これに勝てば、ファイナルまでの道のりは明確に見えてくるし、自身も20年前の屈辱を晴らすことができる。それに何と言っても、監督としての世界的な評価が得られる絶好のチャンスだ。大丈夫、イグアインやテベスは好調を維持しているし、何よりウチにはメッシがいるではないか――。おそらくマラドーナは、若いドイツとの対戦をポジティブにとらえていたのだと思う。

若さと多様性に満ちた「新しいドイツ」

開始早々ミュラー(左)のゴールで先制した「新しいドイツ」は、終始アルゼンチンを圧倒した 【(C) FIFA/FIFA via Getty Image】

 しかし先制したのはドイツだった。前半3分、左サイドからのシュバインシュタイガーからの正確なクロスに、ニアのミュラーが頭で巧みにゴールに流し込む。アルゼンチンにしてみれば、試合に入りきれていないところでの、いきなりの失点。とはいえ、残された時間はたっぷりある。今大会、アルゼンチンが先制されたのは初めてだが、それだけにマラドーナがどのようなさい配を見せるのかが注目された。

 ドイツについては、記者席から見るのは今回が初めてだったが、シュバインシュタイガー、ポドルスキ、クローゼ、ラームといったおなじみの顔ぶれに、エジル、ボアテング、ミュラーといった若手が見事にフィットして、「新しいドイツ」に生まれ変わっていた。このチームで目を引くのは2点。まずはその若さである。スタメン11名のうち、キャップ数が2ケタに満たない選手が、GKノイアーを含めて4名もいるのだ。こうした若手抜てきに、レーブ監督の卓越したマネジメント能力を見てとることができよう。
 そしてもう1つ注目すべきは、その多様性。エジルはトルコ系、ボアテングはガーナ系(兄はガーナ代表)、ケディラは父親がチュニジア人、そしてグループリーグ2試合で途中出場したマリンはボスニア・ヘルツェゴビナからの移民の子である。90年代までは頑なに「純血主義」を貫いていたドイツも、今ではすっかりコスモポリタンなチームとなっていた。

 この「新しいドイツ」の若さと多様性は、これまでの「ドイツらしさ」、すなわち厳格な組織プレーを際立たせる一方で、チームにさらなるスピードと機動性、そしてハーモニーをもたらすこととなった。攻めては気持ちがよいほど的確かつリズミカルにパスがつながり、守っては必ず2人がプレスをかけて巧みに相手ボールを狩る。対するアルゼンチンは、いくらポゼッションとテクニックで上回るとはいえ、次第に守勢に回る時間帯が多くなっていく。やがて、散発的な個人プレーに活路を見いだすしかない状況に追い込まれ、メッシのプレーも空回りが目立つようになる。

 そして1点リードで迎えた後半、ついにドイツによるゴールラッシュが始まる。68分、タイミングよく抜けだしたポドルスキが、相手守備陣を十分に引き付けてからクローゼの追加点をアシスト。その6分後、今度はシュバインシュタイガーがゴールラインまで突破して折り返し、フリードリヒのゴールをおぜん立てする。この前後、マラドーナが行ったことと言えば、パストーレとアグエロを投入するだけで、具体的な戦術的修正はほとんどなし。あくまでメッシの個の力に依存し続けた。こうなると、かえってドイツとしてはやりやすい。メッシをしっかり抑え、パスの供給を分断すれば、おのずとチャンスは回ってくる。89分には、エジルからの正確なクロスをクローゼが決めて4−0。アルゼンチンがW杯で4失点を食らうのは、74年大会での対オランダ戦以来のことである。一時は優勝候補にも目されていたマラドーナのチームは、ライバルのブラジルとともに準々決勝であっけなく姿を消すこととなった。

「戦術はメッシ」では限界があった?

夕暮れ時の空の下、ドイツサポーターの勝利の歌声がこだまする。大会の主役は南米から欧州に移った 【宇都宮徹壱】

 試合後のピッチ上には、茫然(ぼうぜん)と肩を落とす選手ひとりひとりを、しっかりと抱きしめながら慰めるマラドーナの姿があった。その存在感あふれる指揮官ぶりも、とりあえずは見納めである。確かにこの人は知略を巡らせるようなタイプではなかったが、個性派集団をまとめるだけの度量はあったし、また存在自体が希代のモチベーターであったとも思う。しかしながら、そうした古典的な指導者が決勝まで勝ち上がれるほど、W杯は甘くはなかったということなのだろう。彼の現役時代なら「戦術はマラドーナ」もあり得ただろうが、今は突出した個をいかにマネジメントするかが重要な時代である。「戦術はメッシ」では、おのずと限界があったと判断せざるを得ないだろう。

 かくしてブラジルとアルゼンチンという両巨頭が大会から去り、さらにこの日はパラグアイがスペインに0−1で敗れたことで、ベスト4に進出した南米勢はウルグアイのみとなった。決勝トーナメントが始まった当初は「南米のための大会」と思われていた今回のW杯だが、オランダ、ドイツ、スペインが勝ち上がったことで、さながらオセロゲームのように「欧州のための大会」へと激変した。本当に今大会は予想が難しい。優勝候補、もしくはそれに準じると期待されていた、ブラジル、アルゼンチン、イングランド、ポルトガル、イタリア、フランスが脱落し、メッシとルーニーはノーゴールに終わった。混沌(こんとん)の度合いを深めていく今大会は、今後ファイナルに向けてどのような展開を見せるのだろう。ベスト4のし烈な戦いを前に、大会は翌日から再びノーゲームデーに入る。

<この項、了>
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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