アフリカの夢が途切れた夜=宇都宮徹壱の日々是世界杯2010(7月2日@ヨハネスブルク)

宇都宮徹壱

「ブラックスターズ」を応援する白人たち

アフリカ3原色に黒い星。祖国の国旗を身にまとったガーナの人々は、アフリカ勢初のベスト4を夢見ていた 【宇都宮徹壱】

 大会22日目。今日からクオーターファイナルが始まる。この日、ポートエリザベスではオランダ対ブラジル、そしてヨハネスブルクのサッカーシティではウルグアイ対ガーナというカードが組まれている。すでに日本代表は帰国しているので、ここから先のカード選びは心の赴くまま、気の向くまま。当初は、98年大会の準決勝以来となる前者に気持ちが傾いていたのだが、よくよく考えてみると、アフリカ勢初の4強入りが期待させる後者の方に、よりバリュー(価値)が感じられるようになった。何しろ今大会は「アフリカ初のワールドカップ(W杯)である。ならば、やはりガーナが4強入りを果たし、アフリカ全土が歓喜する瞬間というものに立ち会うべきであろう。そんなわけでポートエリザベスのゲームは、サッカーシティのプレスルームでテレビ観戦。ブラジルがオランダに1−2で敗れる波乱の試合を見届けてから、記者席へと向かった。

 さて「ブラックスターズ」の愛称で知られるガーナ。その語源は、赤、黄、緑のアフリカ三原色の国旗中央に黒い星が描かれていることに由来する。この日もスタジアム周辺では、あちこちでガーナ国旗を目にしたが、なぜか旗を振りかざしているのは白人ばかりである。言うまでもなくガーナは、純然たる黒人国家。白人もいないわけではないだろうが、ごくごく少数派である。では彼らは、いったい何者なのか。何人かの白人ガーナサポーターに出自を聞いてみると、何てことはない、彼らはほぼ全員が地元の南アフリカ人であった。ではなぜ、彼らはわざわざガーナ国旗や、ガーナカラーのシャツや帽子を身に着けて、祖国ではない国の代表をサポートするのであろうか。私の疑問に対する、彼らの答えはほぼ一致していた。「同じアフリカの仲間だから」――である。

 アフリカの民族というと、サハラ砂漠を境界として、北部に暮らすアラブ系と南部に暮らす黒人という大ざっぱなイメージしか、残念ながら私たちは持ち合わせていない。だが少数派ながら、この大陸にはアジア系やインド系、そしてヨーロッパ系も暮らしている。いずれも「新参者」ではあるが、それでも500年近い歴史をアフリカの地で刻んでいたりするわけで、当然ながら自身を「アフリカの人間」と考えている。とりわけ南アの白人は、アパルトヘイト時代に世界中から孤立を余儀なくされた苦い経験があるから、今ではより「アフリカの人間」としてコミットしたいという思いが強いのだろう。加えて今大会は「南アの大会」ではなく、「アフリカ大陸に暮らす、すべての人々による大会」という厳然たるテーゼが存在する。以上の条件に照らすならば、南アの白人たちが「ブラックスターズ」を全面的にサポートするのも、それなりに理解できよう。

アフリカ勢の命運を懸けたギャンのキック

PK戦の末にウルグアイに敗れ、肩を落とすガーナの選手たち 【ロイター】

 この試合のハイライトであり、極めて象徴的なシーンが訪れたのは、キックオフから120分以上が経過した、延長後半ロスタイムであった。ガーナは前半終了間際に、ムンタリの豪快なロングシュートが決まって先制するも、後半10分にはフォルランが直接FKを決めて同点(リプレー映像で見ると、驚異的なブレ球であった)。以後は両者とも決め手を欠いたまま、1−1で今大会3度目の延長戦に突入する。

 ガーナにとっては、決勝トーナメント1回戦に続く、2試合連続の120分ゲームである。その消耗度たるや、いかばかりであったことだろう。それでも彼らは、アフリカの代表として、アフリカ初の4強入りを強く望んでいた。そして延長後半、怒とうの攻撃を展開していたガーナは、ついに土壇場でPKのチャンスを得る。アッピアー、アディヤーの連続シュートに対し、守勢に回っていたウルグアイのFWスアレスがゴールライン上で手で止めるという失態を犯してしまう。主審はすぐさまペナルティースポットを指し示し、スアレスにはレッドカードを提示した。

 それにしても、何と言う劇的な展開だろう。「こりゃPK戦かな」と思っていた矢先での、いきなりのPKによる勝ち越しのチャンス。大半がガーナのサポートに回っていた、8万人のスタンドは大いに色めき立った。あと1点、というかあと1シュートで、ガーナの勝利が決まる。ガーナの勝利とは、すなわちW杯におけるアフリカ勢初のベスト4進出を意味する。これ以上ない、重みのあるPK。キッカーに名乗りを上げたのは、背番号3のエース、ギャンである。23名のメンバーの中で最多ゴールを挙げており、今大会でも重要な局面で3ゴールを決めているのだから、選ばれて当然であろう。ところがギャンのシュートは、あろうことかバーを直撃。その瞬間、スアレスは勝利を確信したかのようなガッツポーズを見せている。

 結局、勝負の行方は、そのままPK戦に委ねられることとなった。ガーナは3番手と4番手が、相次いで失敗。対するウルグアイは、4番手が失敗したものの、最後はアブレウが冷静にゴール右に決めて試合終了。ウルグアイは1970年のメキシコ大会以来となる、実に40年ぶりのベスト4進出を果たした。と同時に、アフリカの夢はここに途切れることとなったのである。

ウルグアイとガーナを隔てる歴史の差

ガーナの4強入りが幻と終わった直後の光景。この日は多くの南アの人々がガーナに声援を送っていた 【宇都宮徹壱】

 この興味深いゲームについては、もう少し詳しく言及したいところだが、あと30分ほどでケープタウンに向けて出発しなければならないので、急ぎ足で結論を述べることにする。延長戦終了間際のギャンのPK失敗は、結局のところガーナに重すぎる心理的プレッシャーを与えることになってしまった。あくまで結果論ではあるが、ハンドで退場となったスアレスは、自らの出場停止(おそらく今大会において彼の出場機会はないだろう)と引き換えに、チームに古豪復活を強く印象付けるセミファイナル進出をもたらしたのである。もちろん、決して褒められた行為ではなかったが「勝利のためなら何でもあり」という、いかにも南米らしいプレーであったと言えなくもない。彼らに比べれば、ガーナは見かけによらず、あまりにもナイーブであったと言わざるを得ない。

 つい忘れられがちなことではあるが、ウルグアイのフットボール史をさかのぼれば、ベスト4はもちろん、60年前と80年前には2度も優勝を果たしている古豪なのである。第二次世界大戦前は、ブラジルの方が格下だったくらいだ。もちろん、現在の選手たちには記憶のない話であろうが、おそらくは父や祖父から何度も語り継がれていたことは容易に想像できる(余談ながら、この日マン・オブ・ザ・マッチに輝いたフォルランの父親は、74年大会にウルグアイ代表として出場している)。そうした歴史の差が、両者の明暗を分けたと考えるのは、決して大げさな考えではないだろう。

 いずれにせよ、90年のカメルーン、02年のセネガルに続き、今大会のガーナもまた、ベスト8の壁を破ることはかなわなかった。それは一言に集約するなら「まだまだ歴史が足りていなかった」ということに尽きると思う。さりとて悲観する必要もないだろう。この日の口惜しい経験を糧として、いずれ近いうちにアフリカ勢はさらなる高みに達するだろうと、私は密かに確信している。もっとも私たちの日本代表が、そこまで達するには、まだまだ経験も悔しさも不足していることは認めざるを得ないわけだが。

<この項、了>
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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