ノーゲームデ―に想う=宇都宮徹壱の日々是世界杯2010(6月30日@ヨハネスブルク)

宇都宮徹壱

久々にまともな食事にありつけたことについて

テーブルサッカーに興じる地元の子供たち。多くのチームが南アを去ったが、大会の熱狂はまだまだ続く 【宇都宮徹壱】

 大会20日目。ようやくベスト8が出そろったところで、今大会初のノーゲームデーとなった。準々決勝が始まる7月2日までの2日間、試合はない。このところ、まともに睡眠時間も取れない慌ただしい日々が続いていたが、これでようやく一息つくことができる。この日は久々に少しゆっくり寝て、洗濯をして、爪を切って、それから飛行機や宿の予約をしたり、たまっていた原稿をひとつひとつ片づけたりしているうちに、あっという間に夕方になってしまった。とてもじゃないが、観光などしている時間もない。正直、取り立てて書くことはないので、今回は短めの日記となることをご容赦いただきたい。

 この日の一番のイベントは、同宿の同業者6人と街中に出て夕食を摂ったことだろうか。大げさでなく、本当に久々にまともな食事にありつけたような気がする。今大会、非常に不満なことのひとつに、プレスセンターで売られている食事が、非常にお粗末な上に値段が高いことが挙げられよう。南アフリカは基本的に、肉も魚も野菜も、食材は何でもおいしいのに、なぜこんなにお粗末なものを、しかもレストラン並みの金額で出すのだろう。ファーストフードのハンバーガーの方が、まだ「ごちそう」に思えるくらいだ。

 先輩同業者の回想によると、98年のフランス大会では、どの会場でもその土地の郷土料理をアレンジした食事が提供され、しかもワインの銘柄まで選べたそうである。さすがにそこまで要求するつもりはないが、ただでさえ今大会は街歩きができない(つまりスタジアム周辺でふらりと外食に行けない)大会なのだから、もう少しそのあたりのことは考慮してほしかったと痛切に思う。逆に「この国の食事はまずい」などと、あらぬ誤解が記者たちの間でまん延することを、南アびいきの私としては危惧(きぐ)しているくらいだ。

 ともあれ、この国の豊かな魚介類を味わったことで、ささくれだった気分が少しは和らいだ。ノーゲームデ―は、これからさらに厳しい戦いに臨む選手たちの休息日であるわけだが、それはわれわれ取材する側も同様である。滋味あふれる食事と、芳醇な香りのワインを楽しんで、ようやく人間らしさを取り戻した次第だ。

間もなく帰国する日本代表について

帰国するためO.Rタンボ国際空港に到着し、見送る人に手を振る川島永嗣=30日、ヨハネスブルク 【ロイター】

 この日、戦いを終えたわれらが日本代表が、ヨハネスブルクから帰国の途に就くことになっていた。前日のパラグアイ戦終了後は、少なからずの選手たちが悔し涙を流していたが、一夜明けての表情はどのようなものであったか。そして20時間弱におよぶフライトの間、どんなことを考えながら眠りにつくのであろうか。今大会の彼らの戦いについては、いずれ近いうちにきちんとした形で総括しようと思うが、今はとにかく「お疲れ様でした」と心から申し上げたい。それは選手のみならず、岡田武史監督をはじめとするコーチングスタッフ、そしてさまざまな裏方のスタッフの皆さんに対しても同様である。

 この日記がアップされて数時間後には、日本代表は空港にてメディア対応があると聞いている。そこで迎える側がどのような感情を示し、そして迎えられた側がどんな言葉を発するのか、ちょっとばかり気になるところだ。日本代表がワールドカップ(W杯)から帰還するのは、今回が3回目。最初の98年は、当時の主力選手が心ないファンから水をかけられて騒然となった。2度目の06年は、当時の日本サッカー協会のトップが次期代表監督の名前をポロリと漏らしてしまい、一瞬にして惨敗は過去のものとなってしまった。いずれも苦い記憶であるが、それらと比べれば、今回はようやく「まともな形」での帰国となるのではないだろうか。

 パラグアイ戦後、さまざまな情報が乱れ飛んでいる。PK戦で唯一外してしまった駒野友一の母親が(どういう経緯があったかは不明だが)ワイドショーの取材で「謝罪」させられたとか(その報道をめぐってさらにひと騒動となったとか)、あるいは中村俊輔が代表引退をほのめかしているとか(次期代表監督の方向性によっては、まだまだ彼の存在意義はあるはずと、個人的には考えているのだが)、この時期特有の有象無象の情報が噴出して、いささか食傷気味なところではある。いずれにしても今、遠く南アから願うことはただひとつ。「フォア・ザ・チーム」を貫き、そして日本国民のために戦ったすべての人たちが、愛する家族とともにひとときの安らぎを得られることである。その上で、大会終了後には、またスタジアムで、そして取材現場で、笑顔で彼らとの再会を果たしたい。

 彼らは一足先に帰国したが、共に過ごした南アでの濃密な日々は、取材する側、される側の立場を超えた、確固たる記憶として定着し、共有されることだろう。その意味で、われわれは「同志」であった。それぞれの世代に、それぞれの「日本代表」があるだろうが、私は今大会の日本代表23名とそのスタッフの名を永遠に忘れることはないだろう。

<この項、了>
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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