日本に生まれつつある“サッカーの間合い”=中田徹の「南アフリカ通信」
南アフリカ人が日本に抱いたシンパシー
試合前、現地のファンをも巻き込み、日本の応援優勢と感じられたが…… 【Photo:宋錫仁/アフロ】
プレトリアは3つある南アフリカの首都の1つだが、中心街はそれほど大きいわけでもなく、観光客がいるわけでもない。チャーチスクエアという食べ物の屋台や土産物屋も並ぶ広場には多くの黒人が集まって、ミュージシャンの演奏に耳を傾けていたが、そこに日本のサポーターやパラグアイのサポーターがいたわけではなかった。
ここで、今ワールドカップ(W杯)の2つの景色が現れてきた。1つはヨハネスブルク近郊における、スタジアム周辺でのみ繰り広げられるW杯の景色。もう1つは、ケープタウンやダーバンといった国際的な観光都市における、スタジアム周辺でも町の中でも楽しめるW杯の景色である。前者がサッカーの観戦・応援だけを楽しむ“一次会”でお開きなのに対し、後者は“一次会”から“二次会”、“三次会”へと盛り上がっていく。やはりW杯という国際色豊かな大会において魅力的なのは、“三次会”まで盛り上がって余韻を楽しめる、ケープタウン、ダーバンなんじゃないかなと個人的には思えた。
次にタクシーを拾ってスタジアムへと急ぐ。着いたのは午後2時ちょっと前か。プレトリアのスタジアムから約1キロほどは、ほぼ車両乗り入れがシャットアウトされており、サポーターは列を連ねるように続々とやって来る。もちろん、南アフリカ対ウルグアイのときのような盛り上がりには欠けるが、それでも決勝トーナメント観戦への期待に胸を膨らませているのはよく分かる。
このとき思ったのが、日本の応援優勢――という雰囲気だ。パラグアイのサポーターに比べて日本のサポーターが多かったのは確かだが、僕が感じたのはそれだけでない。南アフリカの人々が顔面を日の丸に塗り、かぶりものをかぶり、青い日本のユニホームや日の丸模様のシャツを着て、「忍●者」と書いた鉢巻をしめ、日本人を見つければ握手を求め、「ジャパン」ではなく「ニッポン!」と叫んでいたのである。
明らかに南アフリカ人が日本にシンパシーを抱き、スタジアムに駆け付けるさまに、ベスト16進出は日本サッカーの素晴らしい宣伝効果があったのだと、僕はすでに試合前から胸が熱くなっていた。
もう1つ、南アフリカ人が日本を応援したのには理由がある。サッカーの世界は競技面でも政治面でもヨーロッパと南米のパワーが強い。今大会は初のアフリカ大陸開催とあって、南アフリカの人たちは母国のみならず、アフリカ大陸の国々を熱心に応援している傾向がある。しかし現実的には決勝トーナメントの16カ国に残ったアフリカ大陸の国はたった一国、ガーナだけだった。ならば、“ヨーロッパでも南米でもない国”としてアジアの日本の応援に回ろうということになったそうだ(※韓国に関しては現場で取材する機会がなかったので、ここでは言及しない)。
すがすがしさを伴う悔しさ
敗れはしたものの、日本はW杯で魅力あるチームに成長していった 【Photo:宋錫仁/アフロ】
ブブゼラの音に応援の音はかき消されがちで、2005年にケルンで行われた日本対ブラジル(コンフェデレーションズカップ)のように、場内が「ニッポン! ニッポン!」というコールで1つになることはなかったものの、それでも日本のワンタッチ、ツータッチパスがリズミカルに回ると、場内には感嘆のどよめきが起き、やがてパラグアイのプレーにブーイングのようなものが聞こえてきたのだった。
負ければいつでも悔しい。今回もそれは同じである。しかしその悔しさは、すがすがしさも伴うものだった。グラーツでのイングランド戦でようやく明かりが見え始めた岡田ジャパンは、W杯に突入すると、選手たちは「もっとこのチームでプレーしたい」、われわれ見る方は、「もっとこのチームを見ていたい」というチームへと成長していった。
田中達也、玉田圭司、大久保嘉人といったアジリティー溢れるFW陣が活躍したカタールでの3−0の勝利(W杯・アジア最終予選)は、まさに走った先々に正確なパスが要求された精巧なものだったと思う。それは岡田ジャパンのアジアモードでの完成形だったかもしれないが、サッカーは相手あってのものだから、カタールみたいにやりたいサッカーを許してくれる敵ばかりではない。
しかしW杯における日本は、ある程度パスがぶれても、ボールの受け手が「よっこらどっこいしょ」とボールを持ち直し、そこからまた攻撃の起点を作ることもできた。目指していた精巧さは落ちたかもしれない。せわしなさはまだ見受けられる。それでもようやく日本にも“サッカーの間合い”が生まれつつあるんじゃないかと思った。
<了>
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