世界基準のジレンマ=宇都宮徹壱の日々是世界杯2010(6月28日@プレトリア〜ヨハネスブルク)

宇都宮徹壱

私たちは何と幸せなのだろう

29日のパラグアイ戦が行われる、プレトリアのロフタス・バースフェルド・スタジアム。壁面のレンガが美しい 【宇都宮徹壱】

 大会18日目。この日はダーバンでオランダ対スロバキアが、そしてヨハネスブルクのエリスパークではブラジル対チリのゲームが行われる。欧州同士、南米同士のつぶし合いとなるわけだが、世界中の人々がオランダとブラジルの顔合わせを期待しながらテレビ観戦するのは間違いない。とはいえ、何が起こるか分からないのがこの大会。前回大会のファイナリストがグループリーグ最下位に終わったり、ホスト国が3試合で終戦を迎えたり、誤審でゴールが取り消されたり認められたり、まさに何でもアリの状態が続いている。スロバキアとチリが空気を読まずに勝ち上がる可能性だって、十分にありそうだ。

 この日は、まずプレトリアで翌日のパラグアイ戦に臨む日本代表の前日会見を取材、さらにエリスパークでブラジル対チリを観戦するハードスケジュールであった。大変だと思う一方で、この時点でまだ自分たちの代表を取材できる喜びをかみしめている。海外メディアもそれなりに注目しているようで、ロフタス・バースフェルド・スタジアムの会見場では、いきなり地元テレビから簡単なインタビュー取材を受けた。
 質問は「現在の日本代表をめぐる状況をどう考えるか」そして「日本はどれくらい盛り上がっているのか」。つたない英語ながら「今、日本代表がこの場にいることが夢のようだし、心から誇りにも思う」「日本は今、大変盛り上がっている。代表チームへの評価も急上昇して、今では夜中でもテレビの前で大騒ぎしている」と答えておいた。

 その後、エリスパークに移動。この日は記者が多すぎて作業スペースがないため、床に座ってPCのキーをたたいていたら、ふいに聞き慣れない声で名前を呼ばれた。顔を上げるとそこには、去年サンクトペテルブルクで取材したときに出会った、若いロシア人ジャーナリストの笑顔があった。ひとしきり近況を語り合った後、彼は「日本、頑張っていいサッカーしているね。君たちがうらやましいよ」と言ってくれた。お世辞半分だとしても、やっぱり気持ちがいい。
 今大会、ロシアは欧州予選プレーオフで、スロベニアに敗れて涙をのんでいる。ロシアに限らず、自国の代表が不在の大会を取材しているジャーナリストは、むしろ多数派であると言えよう。そんな彼らに比べれば、私たちは何と幸せなのだろうと痛切に思う。私たちの代表はワールドカップ(W杯)の本大会に出場して、なおかつ今も大会を楽しんでいられるのだから。

実力差が明らかだったブラジルとチリ

ブラジルはチリに3−0で圧勝。両チームの実力差は明白だった 【(C) FIFA/FIFA via Getty Image】

 エリスパークで行われたブラジル対チリの南米対決は、終わってみれば3−0という大差でブラジルが圧勝した。グループリーグから一転、このところ決勝トーナメントでは大量得点で勝負がつく試合が続いているが、興味深いのはグループ1位のチームが、2位のチームを圧倒するケースが続いていることだ(唯一の例外が米国対ガーナ)。このブラジル対チリの顔合わせも「チリがもう少しやってくれるかな」という期待を持って見ていたのだが、終わってみればブラジルの強さばかりが印象に残るゲーム内容だった。

 ゲーム序盤は、テンポのよいパスワークと質の良い走りを駆使したチリが、相手陣内でプレーする時間帯が続いた。あのブラジルが押し込まれている――そう思わせるくらい、チリの攻撃には輝きが感じられ、対するブラジルはずっと受け身に回っている。この状況が一転するのは前半35分、ブラジルのコーナーキックのシーンである。マイコンの精度の高いキックに、フアンが強烈なヘディングシュートで反応し、弾道はゴール左に見事に突き刺さる。ブラジル、先制。その3分後には、今度は今大会絶好調のルイス・ファビアーノが、カカからのスルーパスを受けて一気に加速、冷静にGKをかわしてゴールにボールを流し込む。チリにしてみれば、スペイン戦に続いての前半での2失点。だが、あの試合では自分たちのミスによって崩れたのに対し、今回は「ブラジルが本気を出したから」という、まったく次元の異なる理由での2失点であった。

 後半、チリのビエルサ監督は、これまたスペイン戦に続けて2人の選手を新たに投入。システムを4−3−3から3−3−3−1に変更し、攻撃の姿勢を鮮明にする。だが、そのシステムが機能する前に、ブラジルはさらに追加点を挙げる。後半14分、ラミレスからのラストパスを受けたロビーニョが、素早く右足を振り抜いてダメ押しの3点目。即座にビエルサは3枚目のカードを切るが、やはり状況が改善されることはなかった。
 チリもブラジルと同様、攻撃時のパスのスピード感と受け手の動きのダイナミズムには目を見張るものがあったが、やはりミスが目立つ。対するブラジルは、ほとんどミスがなく、あってもすぐにカバーできる技量をも持ち合わせている。加えて、攻めては個々の才能を伸びやかに発揮し、守っては手堅い組織力を駆使して相手にフィニッシュまで持ち込ませない。両者の力の差は明白であった。

大会屈指の好カードが見られなくなるジレンマとは?

チリに勝利して喜ぶブラジルのサポーター。今大会のブラジルは、きっとファイナルまで難なく進むことだろう 【宇都宮徹壱】

 かくしてビエルサのチリは、ベスト16で姿を消すこととなった。ここ最近、南米予選では下位に低迷していたチリを本大会に引き上げ、62年の自国開催以来となる48年ぶりのW杯勝利を獲得したことを思えば、今大会のチリのチャレンジは一定以上の成功を収めたと言えるだろう。ただ、上には上がいた、ということである。「攻撃的ないいチーム」が、無条件でベスト8に上がれるわけでは、もちろんない。ベスト16とベスト8の間には、それだけ超え難い壁があることを、日本のファンも十分に認識すべきだろう。

 一方のブラジルは、明らかに前回大会を超える強さが感じられた。確かに、ロナウジーニョ、ロナウド、アドリアーノらを擁した4年前のチームに比べると、タレントの数ではやや劣るかもしれない。それでもチームとしての完成度、個と組織の絶妙なバランス、そして勝利を目指すための規律という3点において、今大会のチームははるかに優勝の可能性を感じさせるチームだと思う。ドゥンガ監督は、国内では「サッカーが面白くない」「ブラジルらしさがない」など、南米予選では随分と批判を浴びていたようだが、なかなかどうして、素晴らしいチームを作り上げたと思う。いささか気が早いようにも思うが、今大会のブラジルはこのまま決勝まで突っ走るような気がしてならない。

 かくして準々決勝のカードは、オランダ対ブラジルとなった(オランダは復活したロッベンのゴールなどで、スロバキアに手堅く2−1で勝利)。27日に決まったもうひとつのカード、ドイツ対アルゼンチンと合わせて、ようやくW杯らしい夢のカードが実現することとなる。ぜひ、この2試合は現地で取材したいところだが、前者は7月2日にポートエリザベスで、そして後者は3日にケープタウンで行われる。いずれもヨハネスブルクからは飛行機で行かなければならない遠距離だ。加えて3日には、日本がスペイン、もしくはポルトガルと、ここエリスパークで準々決勝を戦う可能性がある。もしそうなった場合、日程的なことを考えると、私は(というか日本の同業者の多くは)、ポートエリザベスとケープタウンの2試合をあきらめなければならない。ああ、何ということだろう。

 もちろん、日本がベスト8に進出したなら、私は喜んでオランダ対ブラジルも、ドイツ対アルゼンチンも捨てるだろう。それにしても、こういう贅沢(ぜいたく)な悩みができるような状況が、今大会で待っているとは夢にも思わなかった。日本代表の躍進のおかげで、われわれ取材する立場の人間もまた、世界基準のジレンマを抱えることになったということである。その事実を、今は素直に喜びつつ、29日のパラグアイ戦に臨む日本代表に必勝を期したい。

<この項、了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント