リャン・ヨンギ、ベンチから見つめたW杯=北朝鮮代表を陰で支えた男の物語

キム・ミョンウ

気持ちは常にピッチの中で戦っていた

北朝鮮代表は3戦全敗でW杯の舞台を去った 【(C) FIFA/FIFA via Getty Image】

 北朝鮮代表のとある選手の動向が気になり、おもむろに携帯電話を手にした。南アフリカにあるホテルの番号を確認して、電話をかけた。相手はベガルタ仙台所属のリャン・ヨンギだ。
「元気にしている?」と聞くと、開口一番こう返してきた。
「僕はめちゃくちゃ元気ですし、ワールドカップ(W杯)を楽しんでいます。それより、日本でもう忘れ去られているんじゃないかって思っていましたよ(笑)」
 電話越しに聞こえる彼の声がとても明るかったことに、安心している自分がいた。彼がW杯のピッチに最後まで立てなかったことで、落ち込んでいるのではないかと気掛かりだったからだ。

 北朝鮮はグループリーグのG組で、ブラジル、ポルトガル、コートジボワールを相手に3戦全敗。44年ぶりとなったW杯の戦いは静かに幕を閉じた。同じ在日コリアンでありJリーグでプレーするチョン・テセやアン・ヨンハはピッチに立ったが、リャン・ヨンギはサポートメンバーとしてベンチから戦況を見つめていた。
 当然、悔しい思いもあったに違いない。それでも、彼は気持ちを切り替え、今大会を心の底から楽しんでいた。
「W杯の舞台は自分でも初めてなので、とうとうここに来たという感慨深い気持ちでした。試合に出る、出ないを抜きにして、国の代表の一員で戦うという強い気持ちになりましたね」

 思えば6月10日、北朝鮮代表がW杯に参加する24人を発表した後、リャン・ヨンギの周囲は何かと騒がしかった。彼は北朝鮮代表メンバーに名を連ねたが、その後、FIFA(国際サッカー連盟)が公表した23人の登録選手リストには名前はなかったことが一斉に報じられた。そのとき、錯綜(さくそう)する報道が彼をいら立たせていたのは間違いない。だが、その中でも自分の信念が揺らぐことはなかった。
「W杯は行きたくても誰でも行ける大会ではありません。まずは23人に入らないといけないので、とにかく合宿から精いっぱい頑張りたい」
 本大会に向けてスイス合宿を行っていた北朝鮮代表チームに合流するため、彼はそう言って、日本を発った。代表では予選でほとんど戦っていないため、レギュラーポジションが約束されていないのは、自分自身よく分かっていたが、それでもW杯は幼いころからあこがれていた舞台だ。

 仙台で中心選手として戦っているというプライド、そしてプロサッカー選手としての本能が、簡単にあきらめることを許さなかった。それでも、最後までリャン・ヨンギの雄姿をW杯で見ることはできなかったが、彼は最後までバックアップメンバーとしてベンチでチームメートを鼓舞し、声を掛けて戦っていた。
 チーム内には、監督やスタッフ、選手たちが一体となって戦うことを重んじる空気が常に漂っている。監督や選手たちは、グラウンドの外では家族のように仲がいいが、そこになれ合いはない。一歩ピッチの中に入れば、練習中のミスに対しては厳しく指摘し、いいプレーが出たり、苦しい状況に陥ったときも声を掛け合う。そんないい緊張感がチーム内には溢れていた。

 その精神は、社会主義国である北朝鮮ならではの伝統やチームカラーと言えるかもしれないが、それは試合中のベンチワークでも同じことが言える。だからこそ、リャン・ヨンギがベンチにいるときは、バックアップメンバーとしての役割を求められていた。
「北朝鮮代表はチームの一体感を重要視するチームなので、みんなで戦っているという意識を高めるため、僕もベンチに入っています。試合には出場できませんでしたが、気持ちは常にピッチの中で戦っていました」

 中でも初戦のブラジル戦には特別な思いがあったという。
「試合が始まる前は、言葉にならない感動を覚えましたよ。国の代表選手としてW杯の舞台に立っているのが夢なのか現実なのかが、よく分からない状態でした。正直、ピッチに立ちたかったですが、ベンチから国歌を聞いたとき、何とも言えない感情が胸に込み上げてきました。(チョン)テセが涙を流していましたけれど、その気持ちは僕も痛いほどよく分かります。そこで僕が小学校からサッカーボールを蹴り始めてから、ここまでたどり着くまでの思いが走馬灯のように頭の中を駆け巡っていましたね。とても感慨深かったです」
 チョン・テセが涙を流したように、リャン・ヨンギもまた同じ気持ちだったのだ。そして1−2でブラジルに惜敗した後の、北朝鮮代表の注目度にも驚いたという。
「北朝鮮が海外メディアからとても注目されていることは実感しました。取材するメディアの数が増えているのを見ながら、こんなにも世界の人たちが朝鮮代表に関心があることに少し驚きましたね。確かに初戦はいい試合でしたけれどね……」

 だが、続くポルトガル戦は0−7での大敗。これにはさすがのリャン・ヨンギも複雑な心境だったことを明かした。
「ポルトガル戦は正直、悔しかったです。自分がピッチに立っていないので、余計にもどかしい気持ちでした。試合に出場していれば何かできたんじゃないかと思うこともありましたから……。点差が広がり、少しずつ集中力が切れてしまった部分もあったと思います」
 リャン・ヨンギは最後まで粘り強いプレーができることが北朝鮮代表の良さであることを肌で実感していたが、最後までそれができなかったのは外から見ていて残念だったと悔しがった。外から見ていても実力の差があるのはよく分かった。
「あの試合は、自分がどれだけ通用するのかを試したいという思いはありました。やはり世界との差はありますし、その壁はとても厚いとも感じました」

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著者プロフィール

1977年、大阪府生まれの在日コリアン3世。フリーライター。朝鮮大学校外国語学部卒。朝鮮新報社記者時代に幅広い分野のスポーツ取材をこなす。その後、ライターとして活動を開始し、主に韓国、北朝鮮のサッカー、コリアン選手らを取材。南アフリカW杯前には平壌に入り、代表チームや関係者らを取材した。2011年からゴルフ取材も開始。イ・ボミら韓国人選手と親交があり、韓国ゴルフ事情に精通している。

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