遠くから応援の口笛を鳴らそう=中田徹の「南アフリカ通信」
スタジアムから聞こえてくる心強い口笛の音
日本にとって南アフリカはあまりに遠すぎた。ダーバン・スタジアムの観客席はオランダサポーターが圧倒的に優勢だ。バックスタンドには日本サポーターが集まって応援するのが見えたが、自分の本来の席から動けず、まとまっての応援に参加できなかったサポーターも多そうだった。それでも心はひとつ。口笛を鳴らすことで日本の応援を、そして日本代表を盛り上げたのだ。
スタジアムのあちこちから聞こえてくる、決して大きくはないものの心強い口笛の音。それはやがて聞こえなくなる。日本の頑張りはこの日のニュートラルな観客を味方につけ、日本がシュートを外すと「ああ、残念」といったような大きなざわめきばかりが起こっていたのだ。
ふとバックスタンドに掲げられている横断幕を見ると、「ゴール前で徐行するな。必勝! 日本代表! シュート! シュート!」というのがあった。横断幕そのものはとても新しそうだが、この檄文(げきぶん)はかなり古い。日本で最初のサッカー応援団体「日本サッカー狂会」のものかなと思ったが、近くにいるサッカーの生き字引的な先輩記者に聞くと、「日本サッカー狂会ができる以前からあったもの」だという。
今は不義理で疎遠になってしまったが、実は僕も日本サッカー狂会に入って日本を応援していた時期がある。“岡田全日本”会心のゲームといえば、2008年11月19日のカタール対日本戦だと思うが、この試合は取材ではなくプライベートで見にいき、ゴール裏のサポーターに混じって観戦していた。
すると仲間とはありがたいもので、「おう、中田やないか。久しぶり」と1人が僕を見つけてくれて、「あの人も、あの人も来てるで」と、かつての仲間のもとへ連れていってくれた。そこにいた1人が、この「ゴール前で徐行するな」という横断幕を最初に作った“サッカー和尚”だった。彼らは「ニッポン・チャチャチャ」の応援を広めたことでも知られている。
「日本サッカー狂会」の教え
実際に自分が記者の立場になってみると、やはり選手のコメントがないと困るし、取材パスがないとこれも困る。ただ、この教えは大事な“心構え”として、今も現場で生かしている。
かつてベルギーリーグでプレーしていた鈴木隆行は、記者にコメントをしない選手だったが(ベルギーに来る以前、そして去って以降、彼がどういう記者対応をしているか僕は知らない)、おかげさまで僕は独自の記事を書けていたと思う。なにぶん鈴木は、名門アンデルレヒト相手に、ダイビングヘッドによるループシュートでスーパーゴールを決めていたのだ。いくらでも書きようがある選手だった。
また、今回のワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会では、アルゼンチン対ナイジェリアの取材が却下されたが、逆にこれは好機とばかり、アルゼンチン対韓国戦とともに自費でチケットを買って観戦した。おかげで記者席では感じられない、W杯というビッグイベントの本当の熱気を感じた。
しかし「海外に行って、やせて帰ってくるのは恥ずかしい」という教えは逆効果に出て、2005年に韓国で行われた東アジア選手権の取材時には取り返しがつかないほど太ってしまい、今も後悔しているようなしていないような不思議な気分である。
こういう団体の出自だから、「オランダサッカー狂いの中田は、日本でなくオランダを応援しているのだろう」という声(もちろん冗談だろうが)には、こちらもいささか憤慨している。僕はたまたまオランダに住んで、その国のサッカーを淡々と見ているだけである。ただし、オランダという国はサッカー環境があまりに素晴らしく、そのことについては幸せだなと感じている。
「点を取らなくて、どうやって勝つの?」
戦前、あるオランダ人記者は言った。「日本はとてもいいサッカーをするチームだ。でも、絶対勝てないよ。点を取らなくて、どうやって勝つの?」。オランダの弱点は守備だったが、日本はそれを上回る攻撃がなかった。
それでも、カメルーン戦の勝利はデカかった。オランダ戦における日本は失うものがなかった。次のグループリーグ第3戦は、日本とデンマーク双方にとって“決勝戦”となる。残念ながらこの日、僕はケープタウンでオランダ対カメルーン戦を取材する。それでも記者席から胸の中で、「ヒュー、ヒュー、ヒューヒューヒューヒュー」という応援の口笛を鳴らそう。いくら取材中でも、それぐらいは許されるだろう。
<了>
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