「悪夢の夜」に響かなかった応援歌=中田徹の「南アフリカ通信」

中田徹

バファナ・バファナの勝利を祈って

南アフリカサポーターはブブゼラを吹くばかり。応援歌「ショタローザ」は最後まで響かなかった 【Getty Images】

「萌(も)え〜」ではなく「ヒョエー」という甲高い女性の声が僕に近づいてきた。気付くと、猫耳のような、うさ耳のようなものを着けた南アフリカサポーターが、ジャンプしながら「ハイ、ファーイブ!」と叫んで来て、僕もとっさにピシャリと手と手を合わせたのだ。

 南アフリカ対ウルグアイのキックオフ2時間前。スタジアムの周辺は皆、躁(そう)状態だ。隊列を組んだ黒人のブブゼラ軍団がやって来た。1人が「ブーブッ、ブッブッブッ」と下げ気味に鳴らす。その他大勢が「ブゥッ!」と上げ気味に、ピリッと応える。これを繰り返しながら、最後は1人が「ブ〜ウウゥ〜」と長く吹いて、その他大勢も「ブ〜ウウゥ〜」と返してから一呼吸置いて拍手。これで応援のワンクールが終了だ。

 別の、白いつなぎを着た白人だらけのブブゼラ軍団は、まるでトランペットを左右に振りながら、サイドステップを踏んで「ブゥウ・ウー、ブゥウ・ウー」と進んでいく。その小気味よい一糸乱れぬ動きは素晴らしい。
 ブブゼラも奥が深い。安いの高いの、長いの短いの、普通の細いのといろいろあり、音の高低や音色を変えることもできるらしい。それでもちょっとしたコツが必要で、いくら吹いても音が出ない女性もいた。

 すごい、すごい。すごい南アフリカサポーターの気合いだ。チケットを求める人々が「I need ticket」という紙を持って立っていても、誰も声をかけない。いくつかあるカフェは人がいっぱいで、楽団が演奏を始めている。みんな、バファナ・バファナ(南アフリカ代表の愛称、「少年たち」の意味)の勝利を祈っていた。
 しかし、僕は違和感を覚え、「待てよ」と思っていた。彼らはブブゼラばかり吹いている。昨年のコンフェデレーションズカップで感動したあの応援歌の数々はどこへ消えたのだろう。それは試合が始まってからも聞こえてくることはなかった。

ウルグアイに大敗した「悪夢の夜」

 初戦、フランスを相手に健闘し引き分けたウルグアイだが、課題はあった。どうしても攻撃陣が孤立してしまうのだ。フォルランはそれでも好プレーを見せたが、オランダリーグのスター選手に成長したスアレス(アヤックス)は実力を発揮できなかった。南アフリカ戦でタバレス監督は修正し、攻撃陣へのサポートを厚くした。
 南アフリカは時折、中盤でリズミカルにボールをつなぎ、独特のフィジカルの強さも見せたが、なかなかウルグアイのゴールに向いてプレーができない。プレーの選択もどうかなと思われるものが多く、「何でそんなプレーをするんだ」「何であそこへパスを出さないんだ」という失望のため息も聞こえた。

 ウルグアイは23分、スアレスが相手のまたを抜いてからシュートを放ち、その1分後にはフォルランがミドルシュートを決めて先制した。ウルグアイはフォルラン、スアレスに加え、カバーニのアタッカー陣がかみ合い始め、まだ完ぺきとは言えないが中盤との連係も改善されてきた。
 76分、フォルランのシュートのこぼれ球から、スアレスが得意の低い姿勢からのドリブルでGKを抜きにかかった。GKクーンの足は、確かにスアレスの足に当たった。スアレスが倒れた! ウルグアイにPK。そしてクーンが退場になった。

 長い中断の後、80分、フォルランがペナルティースポットに立った。観客はその集中を邪魔しようとブブゼラを吹きに吹きまくるも、さすがフォルラン。しっかり2−0とするPKを決めた。
 場内はシーンとなった。その3分後、観客が席を立ち始めた。ロスタイム5分、フォルランが起点となった攻撃から、スアレスがクロス、そしてアルバロ・ペレイラがヘディングシュート。3−0……。
 再開のキックオフから南アフリカのストライカー、ムフェラはやけくそ交じりの超ロングシュートを放ち、そしてタイムアップの笛が鳴った。空席ばかりのスタンドにあいさつすることなく、ぼうぜんと南アフリカイレブンは更衣室へ向かって行った。
 南アフリカの大敗に、アフリカーンス語の新聞はこうタイトルをつけた。“Nagmerrie”。兄弟語とも言えるオランダ語では“Nachtmerrie”となる。その意味はズバリ、「悪夢の夜」だった。

コンフェデ杯で聞こえた歌はどこに?

 この試合、最後まで南アフリカサポーターは場内一丸となった歌を披露することはなかった。コンフェデ杯では「ショショローザ」をはじめとする歌の数々がスタジアムにこだまして、南アフリカはグループリーグを突破。その雰囲気に僕も圧倒されたものだ。
 当時のコラムから、「ショショローザ」の歌詞を拾ってみよう。

「仕事から逃げるなよ。仕事から逃げるなよ
目の前にはこれらの山々がある
列車は南アフリカからやってくる
ハードワークを続けろ(ショショローザ)。ハードワークを続けるんだ」

 こんな歌もあった。

「やつらを止めろ、やつらを止めろ
こんな犬たち(相手チームのこと)、殺してしまおう!」

「神よ。どうかわたしたちにこの試合を勝たせてください
神よ。どうかわたしたちにこの試合を勝たせてください」

 それから1年後、あまりに彼らはブブゼラに頼りすぎるようになった。もしかすると、スタンドで歌は歌われていたのかもしれない。しかし、その歌はブブゼラにかき消されて、スタジアムを覆うものにはならなかった。
 映画「インビクタス/負けざる者たち」は、1995年に行われたラグビー・ワールドカップにまつわる南アフリカ・ラグビー代表とマンデラ元大統領の物語。ここで、マット・デイモン演じるフランソワ・ピナール主将が円陣を組んで、「みんな聞こえるか。この歌を。みんな頑張れ」とフィフティーンを鼓舞する。その歌が「ショショローザ」だった。
 だが、「悪夢の夜」のロフタス・バースフェルド・スタジアムに、「ショショローザ」は最後まで響くことなく、試合前の躁状態はウソのように90分+5分間を終えた。

<了>
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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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