哀しきブブゼラ=宇都宮徹壱の日々是世界杯2010(6月16日@プレトリア)

宇都宮徹壱

犯罪報道とホスピタリティー

投宿しているB&Bに隣接する空き地では、近所の男たちが歓声を上げながら草サッカーに興じていた 【宇都宮徹壱】

 大会6日目。この日もヨハネスブルクは好天に恵まれた。私たちのグループが拠点としているのは、ヨハネスブルク郊外にある深い緑に囲まれたB&B(ベッド&ブレックファスト)である。南アフリカには、こうしたB&Bやゲストハウスが多いが、家庭的な雰囲気が味わえる上にセキュリティーもそれなりにしっかりしている。誰もが出入りできる大型ホテルよりも、お互いの顔が見える小規模な宿泊施設の方が、より安全かつ快適に過ごすことができると個人的には考えている。

 この日は久々にたっぷり睡眠をとったので、遅めの朝食となった。すると宿の女将(おかみ)さんが青いショールのようなものを肩にかけて、スクランブルエッグを持ってきた。よく見ると、それはショールではなく、日本代表の応援マフラーではないか。いったいどこで入手したのかは知らないが、こういうちょっとした心遣いは涙が出るほどうれしいものだ。私が礼を述べると、彼女はにっこりほほ笑んで右手親指をぐっと突き出してみせた。

 このところ日本では、現地の治安の悪さばかりが報じられているようだが、こうした南アの人々のホスピタリティーについては、果たしてどれだけ伝わっているのだろう。もちろん、現地で犯罪が多発しているのは、紛れもない事実である。実際、日本人のフォトグラファーも不幸にして強盗に遭っているし、知人の同業者もちょっと目を離したすきにパソコンを盗まれている。プレスセンターの中でさえも気が抜けない状況だ。しかし、だからといって、南アがさながら「犯罪者ばかりが跋扈(ばっこ)する無法国家」であるかのごとく報じるのはどうかと思う。例えば日本が毎年3万人の自殺者を出しているからといって、諸外国から「生きる希望のない国」と報道されたら、どう思うだろうか。どんな国にも、光と影の部分がある。そのネガティブな要素ばかりを、ことさら強調・誇張して喧伝(けんでん)するのは、およそフェアな報道とは言い難い。自戒を込めて、そう考える次第だ。

 話題をサッカーに戻す。この日の南アの人々の関心は、グループリーグ2戦目を戦うバファナ・バファナ(南ア代表の愛称。「少年たち」の意味)に注がれていた。4チームが勝ち点1で並ぶ中、南アが決勝トーナメントにコマを進めるためには、第2戦で勝ち点を4まで積み上げたいところ。この日の相手は初戦でフランスに引き分けている、南米の古豪ウルグアイである。プレトリアのロフタス・バースフェルドには、ほぼ満員の4万2658人もの観客が詰め掛け、わが代表の登場を心待ちにしていた。

ブブゼラが鳴りやむ時

開催国の南アフリカはウルグアイに完敗を喫し、グループリーグ敗退の危機にさらされることに 【Photo:AP/アフロ】

 南ア国歌の斉唱が終わった瞬間、待ちきれなかったようにブブゼラが大音量で鳴り始めた。「君たち、そんなにブブゼラが好きか!」と思わずツッコミを入れたくなるくらい、南アのサッカーシーンには、あのハエの羽音のようなブブゼラは不可欠なものとなっている。最初は文字通り「五月蠅(うるさ)いなあ」という感情しか芽生えなかった。だが、毎日のようにブーブーという音を聞いているうちに、彼らはただ闇雲にブブゼラを吹き鳴らしているのではなく、状況によって吹き方や音量が変化していることに気付かされた。まだ細かいニュアンスまでは分からないが、ある時は味方を鼓舞する声援となり、またある時は敵を威嚇するブーイングにもなる。そう、ブブゼラとは、この国のオーディエンスの表現手段であり、さらにはパッションの発露とも言えるだろう。そんなブブゼラが、ふとしたことで途切れる瞬間というものを、今大会初めて経験することとなった。

 最初に途切れたのは、前半24分のこと。ウルグアイの10番フォルランが、意表を突くようなミドルシュートを放つ。ボールは南アDFに当たって上空で豊かな円弧を描き、ゴールバーぎりぎりのところをかすめてゴールインとなった。ウルグアイ先制! この瞬間、ほんの短い間ではあったが、会場のブブゼラがピタリと鳴りやんだ。
 とはいえ、まだたっぷり時間はあるし、交通事故の出合い頭のような失点でもある。バファナ・バファナは気持ちを切り替えて、反撃に打って出ようとした。ところがウルグアイの守備は、思った以上に堅牢(けんろう)である。考えてみれば、彼らはフランスとの初戦で、後半に退場者を出したものの、その後は10人でしっかり守りを固めてスコアレスドローに持ち込んでいるのだ。フランスに比べれば、攻撃のタレントもオプションもはるかに限られた南アが、この分厚い壁を崩すのは容易なことではない。そんなわけで前半は、ウルグアイの1点リードのまま終了した。

 南アのパレイラ監督は、後半早々にボランチの選手を下げてFWの選手を投入し、より前掛かりな布陣で同点に追い付くことを試みる。だが、中盤の底がディクガコイ1人になったことで、攻撃のバリエーションとパスコースは単純化し、かえってウルグアイに押し込まれる場面を増やしてしまう。それでも南アの守備陣は、何とか持ちこたえていた。ところが後半残り10分の段階で、守護神クーンがドリブルで突っかけてきたスアレスを倒してしまい、一発レッドで退場。ここで得たPKを、またもフォルランが冷静に決めて、点差は2点差である。次の瞬間、またもブブゼラは鳴りやみ、一斉に観客が帰り始める。何というあきらめの良さだろう。選手がこれだけ頑張っているのだから、もっと鼓舞してやればいいのに――。そんな白けたムードは、バファナ・バファナにマイナスの影響しか与えない。2点差がついてからの彼らは、すっかり自信を喪失してしまい、つまらないミスを繰り返していく。そうこうするうちには、ロスタイムにはついに3点目を献上。ほどなくして終了のホイッスルが鳴り、開催国南アは0−3の完敗を喫することとなった。

開催国にグループリーグ敗退の危機!

試合終了直後のロフタス・バースフェルド。2点差がついた時点で、多くの観客がスタンドを後にした 【宇都宮徹壱】

 試合後、私たちはすぐにスタジアムを出て、1キロほど離れた場所に駐車している車に向かうことにした。本来ならば混雑を避けるために、道が空くまでメディアセンターで仕事をすることが多いのだが、この日は夜も遅かったし、群衆に紛れて移動すれば犯罪に巻き込まれるリスクを減らせると判断して、早々に撤収することとなった。15分ほど歩いただろうか。その間、あちこちで散発的なブブゼラの音を耳にしたが、そのいずれもが何とも投げやりで、そして哀しげな音色に聞こえてならなかった。

 それにしても、開催国のグループリーグでの敗戦は、当事者でない私にとっても衝撃的であった。もちろん、これが大会史上初めてのことではない。1982年のスペインも、78年のアルゼンチンも、そして74年の西ドイツ(当時)も、いずれもグループリーグでの敗戦を経験しているが、それでも無事に突破を果たしている(アルゼンチンと西ドイツは、優勝さえしているのである)。しかしながら、開催国がグループリーグで3点差で敗れるというのは、これは前代未聞のことであり、さらにいえば大会史上初となる「開催国のグループリーグ敗退」さえも現実味を帯びることとなった。もちろん、いつかはそんな時も来るだろうとは、何となく予感はしていた。しかしながら、初めてアフリカで開催される大会で、しかもFIFA(国際サッカー連盟)のテーゼである「アンチ・レイシズム(反人種差別)」を実践してきた南アでの大会で、開催国がグループリーグ敗退となる――これは南アの協会関係者のみならず、FIFAにとっても最も憂慮すべき問題であろう。

 個人的には、バファナ・バファナに対しては、日本代表と同じくらいのシンパシーを抱きながら注目していただけに、今夜の結果は実に衝撃的である。大会を盛り上げる意味でも、そしてアフリカ開催の意義を確保する意味でも、南アには何としてでも第3戦に勝利して、グループリーグ突破を果たしてほしい。とはいえ次の相手は、前回大会準優勝のフランス。しかも、17日のフランス対メキシコの結果次第では、そこで南アの運命が決まってしまう可能性さえあるのだ。まさか開幕から6日目にして、これほどの未曾有の危機が開催国に訪れようとは、まったくもって想像していなかった。
 無事に宿に戻ると、すでにB&Bのフロントには誰もいなかった。女将さんも、すでに休んでいることだろう。朝食の時、彼女には何と声をかければよいのだろう。それを考えると、さらに胸が痛む。

<この項、了>
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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