北朝鮮、44年目ぶりのアピール=宇都宮徹壱の日々是世界杯2010(6月15日@ヨハネスブルク)
W杯は変わっても北朝鮮は変わらない?
ブルームフォンテーンからヨハネスブルクへ移動する車中から見えた風景。高地ゆえに雲が低く感じられる 【宇都宮徹壱】
ポルトガル、コートジボワール、ブラジル、そして北朝鮮。「3強1弱」の構図が明確なグループGにおいて、このブラジル対北朝鮮ほど興味深く、そして不思議なカードもないだろう。最新のFIFA(国際サッカー連盟)ランキングでは、ブラジルが1位、北朝鮮は105位。これほど差のある対戦は、本来ならばW杯で実現することはなかったはずだ。加えてブラジルは5回の優勝経験を持ち、過去18大会にいずれも出場している、誰もが認めるサッカー大国。それに対して北朝鮮は、1966年のイングランド大会以来、実に44年ぶりの出場である。その66年大会では、イタリアに1−0で競り勝ってアジア勢としては初のベスト8進出を果たし、準々決勝でもエウゼビオ(この大会の得点王)を擁するポルトガルをあと一歩まで追い詰める躍進ぶりを見せた。にもかかわらず、その栄光は政治的な理由もあって、やがて歴史のかなたへと追いやられてしまう。
それから実に44年の時を経て、再び北朝鮮はW杯の舞台に帰ってきた。その間、国際情勢が大きく変化したように、W杯という大会もまた大きく変わった。出場チームは16カ国から32カ国へ。アジアからの出場枠は0.5から4.5へ(66年大会はアジアとアフリカで1枠だったため、多くの国々が予選をボイコットしている)。大会をめぐる規模も、それにまつわるビジネスも、そしてメディアを通しての影響力も、またしかり。ところが「朝鮮民主主義人民共和国」という国家自体は、当時も今もあまり変わっていないように思えてならない。その是非はともかく、かつて世界を驚かせた「千里馬(チョルリマ)」サッカーが、44年の時を超えて南アの地で見られることに、ある種の感慨を覚えるのは決して私だけではないだろう。余談ながら、私自身はイングランド大会があった66年の生まれであり、その意味でも今大会の北朝鮮には、大いに期するものがあった。
王者ブラジルに一矢報いた北朝鮮
ドリブル突破を見せる北朝鮮代表のチョン・テセ 【ロイター】
試合は、当初の予想通りブラジルのペースで進んだ。おそらく彼らは、コートジボワールやポルトガルとの対戦を念頭に置きながら、格下の北朝鮮には7割くらいのパワーで勝利することを考えていたのだろう。実際、前半のブラジルに「王国」としての美しさは見られても、その根底を成すすごみや必死さはまるで感じられなかった。だからこそ、北朝鮮の赤い守備ブロックは(少なくとも前半は)相手の猛攻を防ぐことができたのだと思う。だが後半に入るとブラジルは、いよいよ本領を発揮。後半10分にマイコンが角度のない右サイドからネットを突き刺し、27分にはエラーノがロビーニョからのスルーパスをダイレクトで決めて、やすやすと試合の行方を決めてしまう。もっともスタンドの観客は、それ以上のスペクタクルを求めていたようだ。あまりにも堅実すぎるドゥンガ監督のサッカーに軽い失望を感じた人々は、2点目が決まったと同時に帰り支度を始める。
劇的な瞬間が訪れたのは、まさにそうした時間帯であった。後半44分、北朝鮮はカウンターから左サイドに開いたチョン・テセが頭で落とし、このボールをチ・ユンナムが持ち込んで左足を思い切り振り抜いて、ブラジルGKジュリオ・セーザルが守るゴールを突き破る。北朝鮮にとっては、実に44年ぶりのW杯ゴール。だが、スタンドの歓喜は極めて限定的であった。無理もない、北朝鮮のサポーターはほぼ皆無であったからだ。もちろん、いわゆる「美女軍団」も南アには来ていない。そんなわけで、このゴールに色めきたったのは記者席にいた、日本と韓国のメディア関係者であった。やがてタイムアップのホイッスルが鳴ると、すでにまばらになっていたスタンドからは、勝者ブラジルはもちろんのこと、彼らにひと泡吹かせた北朝鮮に対しても温かい拍手が送られた。
日本人の共感を呼んだチョン・テセのプレー
エリスパーク周辺でブラジル国旗を売る男。北朝鮮の国旗はニーズがないのか、見かけることはなかった 【宇都宮徹壱】
残念ながら拉致や核開発の問題は、今も解決の糸口さえ見えない状況が続いている。それでもスポーツの分野において、日朝関係に驚くほどの改善が見られるようになったのは、アン・ヨンハやチョン・テセといった在日Jリーガーの存在を抜きに語ることなどできないはずだ。とりわけ、44年ぶりのゴールを演出したテセについては、試合前の国歌斉唱で感極まって涙を流したことや、流血するほどのアクシデントにも負けずに闘争心あふれるプレーを続けたこと、さらに試合後には精魂尽きてピッチに倒れこんだことなど、文字通り「血と汗と涙」を流しながらファイトする姿勢が、多くの日本人の心を揺さぶることとなったのは間違いないだろう。今大会の北朝鮮代表は、44年前のチーム以上に世界にアピールする力を持ったチームなのかもしれない。そしてその中心に、現役Jリーガーがいるという事実を、私たちはもっと世界に誇ってよいのではないだろうか。
<この項、了>
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ