アフリカ大陸初のW杯と“バファナ・バファナ”

おなじみの「ブブゼラ」

アフリカ大陸初のW杯が11日に幕を開けた 【ロイター】

 1カ月に及ぶ4年に一度のサッカーの祭典、ワールドカップ(W杯)が11日に南アフリカで開幕した。いまや、スタジアムでおなじみの「ブブゼラ」というラッパの一種は、世界中の人が知るところとなった。通り過ぎる飛行機の音にも似たこの民族楽器は、選手たちからコーチングの声が聞こえないと不満の声が上がるほどの大音量で、難聴など人体に影響を与えるという説もあるほどだ。また、コロンビア人シンガーソングライターのシャキーラが歌うW杯の公式アンセム『ワカワカ』の旋律が、耳を離れない人もいるかもしれない。

 サッカーW杯は単なるスポーツという枠組みを越え、また数多くの宗教さえをも超越した、人類の祭典である。そして今回、初めてアフリカ大陸で開催されるW杯は、これまでの大会とは趣を異にする特別なものとなった。かつて、南アフリカはアパルトヘイト(人種隔離政策)によって白人と黒人が分断され、国際的に制裁を受けるなど大きなダメージを受けた。幸いなことに、1994年にネルソン・マンデラが黒人初の大統領となると、こうした政策は過去のものとなった。だが、根絶しようとしても、人種間、社会的地位における衝突は今も完全には消えていない。

 アパルトヘイト撤廃と全民族融和の象徴的存在、ネルソン・マンデラは今、91歳になった。南アフリカの近代史の鍵を握る人物は27年もの獄中生活のうち、ロベン島に18年も投獄されていた。この時代に、マンデラは自由時間に黒人たちがサッカーに興じる姿を目撃したのである。釈放の後、恨みを抱くこともなく民族和解に尽力し、93年にはノーベル平和賞を受賞した。アフリカ初のW杯を南アフリカにもたらしたのは、間違いなくマンデラの功績である。今大会では開会式に出席予定だったが、前日に13歳のひ孫のゼナニさんが交通事故で亡くなり、出席を取りやめることとなった。

マンデラ元大統領の功績

 95年に自国で開催されたラグビーW杯でのエピソードはあまりにも有名だ。当時、白人のスポーツだったラグビーを黒人の大統領として全面的にサポートし、チームが優勝する過程で国民をひとつにした。決勝では、白人のピナール主将の背番号がついたジャージを着て、優勝トロフィーを手渡した。
 あれから15年、今度はサッカーのW杯が南アフリカで開催されている。W杯の開幕を宣言したのは、黒人の大統領ジェイコブ・ズマだった。だが、W杯大会組織委員会のコントロール外のところで予算超過が発覚するなど、大統領をめぐっては汚職疑惑が取りざたされている。

 南アフリカでは、いまだにサッカーが黒人のスポーツであることも事実だ。かつて彼らは差別を受け、虐げられてきたが、現在も毎日の食事に困る人、仕事のない人もたくさんいる。国内リーグの試合を観戦し、“バファナ・バファナ”(南アフリカ代表の愛称)を応援しているのは、そうした黒人たちである(白人はテレビで海外リーグを観戦する)。だが、今大会をきっかけに、そうした状況が少しずつ変わっていくかもしれない。

 また、今回のW杯開催は、交通機関などのインフラストラクチャーを整えるきっかけにもなるだろう。開幕前にはスタジアムの工事の遅れなどが話題となったが、最終的には無事開幕にこぎつけた。公式発表によると、世界中から南アフリカに訪れる観光客は300万人が見込まれ、消費指数は0.4%増加するという。

“バファナ・バファナ”のアイデンティティー

“バファナ・バファナ”は南アフリカの国民とともに戦う 【ロイター】

 南アフリカは11日の開幕戦でメキシコと戦い、勝利はならなかったものの、1−1で勝ち点1を獲得した。いまだかつてホスト国が決勝トーナメントに進めなかったことはなく、関係者には重い責任がのしかかっている。
 だが、南アフリカはすでに、W杯で勝利したとも言える。なぜなら、紆余(うよ)曲折がありながらもW杯開催にこぎつけ、ここまで大きな問題もなく大会を運営しているからだ。その規模はラグビーの比ではなく、このようなビッグイベントの経験は、間違いなく今後の南アフリカ、ひいてはアフリカの財産となる。

“バファナ・バファナ”を率いるブラジル人指揮官のカルロス・アルベルト・パレイラは、一度は病気の妻の介護のため、代表監督の座を辞した。だが、09年10月、ジョエル・サンタナの後任として復任すると、12試合連続無敗という記録を打ちたてた。
 実は今年3月、パレイラは「チームにはアイデンティティーがない。それを手に入れるためには、『ボールを地面に置き、われわれのテクニックを用いなければならない』と選手たちに語り掛けた。そして、代表チームの現状を30%しか水が入っていないボトルに例えたのだ。
「残りは自分たちで入れていかなければならない。少しずつ」

 パレイラは言う。今では“バファナ・バファナ”にはアイデンティティーがあると。それはスタジアムで見られるだけでなく、ヨハネスブルクやプレトリアでも目にすることができるかもしれない。町には、“バファナ・バファナ”の黄色にグリーンのユニホームを着た人が大勢歩いているのだから。そして代表は16日、ウルグアイと第2戦を戦う。

<了>
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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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