母国愛を込めた応援と、他国への寛容と=中田徹の「南アフリカ通信」

中田徹

大人気のアルゼンチンのチケット

アルゼンチン対ナイジェリアが行われたエリスパークには、数多くの各国のファンが詰め掛けた 【ロイター】

 みんなアルゼンチンを、マラドーナ監督を、そしてメッシを見たいのだろう。今回のワールドカップ(W杯)はブラジル同様、アルゼンチンの試合が人気を集めている。
 6月12日のアルゼンチン対ナイジェリアには多くの記者が取材を希望し、僕はウェイティングリストに回された。ならば、今回は一般席のチケットを買って入場しようと思ったのだが、FIFA(国際サッカー連盟)のチケットサイトもなかなか「販売可能」のシグナルが点灯しない。見れば、ほかのアルゼンチンの試合も「現時点で販売不能」のシグナルがともっている。

 まあ、今回はチケットの売れ行きが悪いというし、いずれ「わずかばかりのチケットあり」のシグナルに変わるタイミングもあるだろう。2002年のW杯・日韓大会でも、韓国ベニューの試合は「売れ切れ」となっていた試合が突然「残席あり」に変わるため、根気よくFIFAのウェブサイトをのぞいていれば、ほぼすべての試合を希望通りに抑えることができた。それと同じようなことが、今回のW杯でもあるだろう。

 結局、アルゼンチン対ナイジェリアばかりでなく、後日行われるアルゼンチン対韓国も、チケットを買うことができた。試合前、スタジアムの周りで知人と会う。聞けば、「今日の試合(アルゼンチン対ナイジェリア)もギリギリになって、すべてのカテゴリーが買えるようになっていたみたいですよ」とのこと。
 FIFAにはFIFAの都合があるのだろうし、チケット販売会社にはチケット販売会社の都合があるのだろうが、何だかんだ言ってチケットはどこかに余っているのだから、ファンに我慢比べを強いるような発売方法は何とかならないのだろうか。“コツ”さえ覚えればチケットゲットの確率はかなり高くなるが、本来、コツによってチケット入手が左右されるべきものでもないだろう。どうせスタジアムには空席が目立つのだし。

 当たり前のことでいて、なかなか気付かないことだが、やはり記者席と一般席は熱狂度が違う。当然、一般席の方が興奮度が高い。どうやら僕は、アルゼンチンサポーターの軍団の中にいるようだが、僕の真後ろは日本人の観戦客がズラリと一列、席を占めていた。

 僕の2列前に座るアルゼンチンサポーターのカップルは、試合が始まると席を立ち、歌を歌うよう鼓舞する。それをまた別のサポーターが、「試合が見えねえ。座れ!」と怒る。しかし、メッシがボールを持つと、皆自然と腰が浮く。そう、メッシがボールを持つと、何かが起きるような予感で皆ワクワクするのだ。

幸せな鼓膜の痛み

「メッシ対エニェアマ」の対決は観客たちを魅了した 【ロイター】

 開始6分、いきなりアルゼンチンが先制した。僕の周りが、そしてスタジアムが喜びで爆発する。このとき初めて、アルゼンチンサポーターの前にナイジェリアサポーターが陣取っていたのに気付いた。
 だいぶ遅れて、僕の左隣に南アフリカ人のカップルがやって来て座った。彼らは同じアフリカ大陸のナイジェリアを熱心に応援する。ちなみに、僕の右隣りはアルゼンチンで、ブブゼラがうるさいせいか耳栓をしていた。しかし本当に参ったのは、実は拍手だった。隣の南アフリカ人がブブゼラを吹いたり、突然立ち上がって踊り出すのはいいのだが、耳元で「パチーン、パチーン」とクラッカーを鳴らすような要領で拍手をされると、鼓膜がジーンとする。

 でも考えてみれば、この鼓膜の痛みは幸せなことなんじゃないだろうか。記者席に、「僕はいま、W杯の“場”にいる」というライブ感覚は乏しい。しかし、ここ一般席にはアルゼンチン人とナイジェリア人が混じって応援し合い、南アフリカ人がナイジェリアに加勢するが、それでもアルゼンチンサポーターとの間に喧嘩(けんか)は起こらない。もちろん、ニュートラルな立場の観客もたくさん来ている。母国への愛を込めた応援と、他国への寛容が混じり合った素晴らしい空間がW杯の一般席なのだ。

 やがて試合は80分になった。すると一斉に日本人の団体が席を立ち、スタジアムを去る。ああ、だから試合が終盤に入り、後ろの席の人が「メッシ、そろそろ決めてくれ!」といら立っていたのか。そりゃ、帰る前にメッシのゴールを見ておきたいものな……。
 一列、長い空席が生まれた。これからが面白い時間帯なのに。そんなざわめきが僕の周囲で起こった。きっと、エリスパーク周囲の危険と、試合後の混雑(つまりはぐれたり、スリの危険性、渋滞など)を避けるため、早く出たのだろう。僕自身は、こういったことも、インターナショナルカルチャーのごった煮のひとつとして楽しめた。

 試合が終わった。1−0でアルゼンチンが勝った。アルゼンチンのサポーターは大喜びだ。メッシは期待に応える素晴らしいプレーを見せてくれた。さらにナイジェリアのGKエニェアマが最高のパフォーマンスでメッシのシュートを防ぎ続けた。
 みんなメッシを見たかったのだ。でも、エニェアマのおかげで「メッシ対エニェアマ」という、もっと面白いものを見ることができた。この日の勝者は、素晴らしい試合と素晴らしい雰囲気に立ち会えた観客たちだった。

<了>
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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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