マラドーナの帰還=宇都宮徹壱の日々是世界杯2010(6月12日@ヨハネスブルク)

宇都宮徹壱

記者席のチケットをめぐる戦い

トリビューンチケットの配布を待つ各国の記者たち。このあと壮絶な争奪戦が始まる 【宇都宮徹壱】

 ワールドカップ(W杯)大会2日目。この日はグループBの2試合、そしてグループCの1試合が各地で行われることになっていた。私はヨハネスブルクのエリスパークで行われるグループB、アルゼンチン対ナイジェリアを選択。同じ拠点で寝泊まりしている同業者の車に便乗して、キックオフ6時間前にスタジアムのプレスセンターに到着した。

 W杯の楽しみとは、もちろんゲームを見るだけではない。その国の人や文化、食や風物に触れるのもまた、大きな楽しみのひとつである。ところが今大会は、残念ながらそうした余裕がなかなか得られないのが実情だ。公共交通機関が基本的に使えないため、メディアバスかレンタカー、あるいはハイヤーを使って宿泊地とスタジアムを往復するばかり。スタジアム到着後も、周囲が物騒だったり、あるいは何もなかったりすると、試合までのほとんどの時間をプレスセンターで過ごすことになる。ここエリスパークも、ヨハネスブルクのダウンタウンの一角にあり、今大会の会場の中でも最も治安が悪いことで知られている。この日の試合は16時キックオフだが、もちろん日があるからといって、フラフラとスタジアム周辺を散歩するのは極めて危険である。

 では試合が始まるまで、メディアセンターで何をやっているのか。半分くらいはデスクワークをしているが、もう半分くらいはずっと列に並んでいるような気がする。トリビューン(記者席)チケットを得るために、ケータリングの食事を得るために、そして用を足すために――。なかでも度し難いのが、チケット系の行列である。とにかく効率が悪いのだ。1回で済む作業なのに2回も3回も並ばせたり、ようやく受け付けデスクにたどり着いたと思ったら「ここは(国名が)AからIまでです。JAPANは隣の列に並んでください」と言われたり(だったらそういう表示を書いておけ、という話である)、とにかく必要以上の忍耐を強いられるわけである。

 しかもこの日は折あしく、私のチケットは「ウェイティングリスト」に載せられていた。記者席の希望者が多かったため、キャンセル待ちのような状況になったのである。まあ大丈夫だろうと高をくくっていたのだが、指定された時間に受付デスクに行ってみたら、いるわいるわ、周辺は各国の記者で黒山の人だかり。しかもキックオフが近づくにつれて、見る見る険悪な空気になっていく。結局、ほぼ全員の記者に残りのチケットは配られたようだが、その光景は大げさでなく「争奪戦」であった。こういう瞬間こそ、それぞれの国民性というものが如実にあらわになるのだが、ここでは多くは語るまい。いずれにせよ、やっとの思いで記者席に着いたときには、すでにキックオフ20分前であった。

大量得点が期待されたアルゼンチンだったが

エリスパークのアルゼンチンサポーター。祖国のスタンドのような空間を作り上げていた 【宇都宮徹壱】

 アルゼンチンとナイジェリア。U−20W杯や五輪の決勝でたびたび見られる顔合わせだが、W杯本大会での対戦は94年米国大会、そして02年日韓大会の2度のみ。いずれもグループリーグで対戦しており、アルゼンチンが2勝している。このうち94年の対戦が、いわゆる「ディエゴ・マラドーナのW杯最後のゲーム」。試合後に行われたドーピング検査で「陽性」と判断された不世出のスーパースターは、その後は流転の人生を歩むことになったのは周知の通りである。そんなマラドーナが、アルゼンチン代表監督として16年ぶりにW杯に帰還して、しかもその相手がナイジェリアなのだから、何と言う出来過ぎたシチュエーションであろうか。やはりこの男、現役を退いてもただ者ではない。

 試合はいきなり動く。前半6分、ベロンの右コーナーキックから、フリーで走りこんできたエインセが遠めからヘディングシュート。これがゴール左に突き刺さり、アルゼンチンが先制する。その後も、マラドーナのチームがゲームを支配。とりわけ目覚ましい活躍を見せていたのが、今大会で10番を着けたメッシである。ある時はスキルフルなドリブルで自らゴールを目指し、ある時は目の覚めるようなパス交換でチャンスを作り、そしてコースが見えたら遠めからでもどん欲にシュートを放つ。そのメッシを攻撃のコアとして、前線にはイグアインとテベスという強力2トップ、そしてすぐ後ろにはマスチェラーノ、ディ・マリア、ベロンが控える。これほど豪華な布陣であれば、さらなるゴールシーンを求めたくなるのは自然な感情であろう。ところが前半は、この1点のみで終了する。

 後半は、アルゼンチンが決め手を欠くうちに、ナイジェリアが次第に盛り返していく。本来なら10番を担うはずだったミケルがけがで出場を辞退し、戦力的なダウンは必至と見られていたスーパーイーグルス(ナイジェリア代表の愛称)であったが、ワントップのヤクブを中心に、縦方向への素早い攻撃と正確なパスワークで徐々に相手との間合いを詰めていく。ベンチワークも積極的で、ラガーベック監督は後半早々から積極的に攻撃の選手を入れ替え、前線の動きをさらに活性化させることに成功。後半25分を過ぎると、ゲームの主導権は完全にナイジェリアに移った。

 確かに、後半のナイジェリアの猛攻は素晴らしかった。その一方で歯がゆくてならなかったのが、両チーム最多の8本ものシュートを放ちながら一度もネットを揺らすことのなかったメッシであり、人間観察的には極めて興味深いものの(中継映像は彼のユニークなアクションを何度もリプレーしていた)ベンチワークは緩慢なマラドーナ監督であった。このアルゼンチンの新旧の英雄は、間違いなくチームの浮沈のカギを握っているわけだが、この試合に関してはいささか失望の念を禁じ得なかった。結局、アルゼンチンが前半の1点を守り切って試合終了。試合後、監督としてW杯初勝利を果たしたマラドーナが、丸っこい体躯(たいく)を揺らしながら喜びを爆発させている。その姿を見て、試合内容そのものよりも、16年という歳月の移ろいばかりが印象に残った。

グループBの首位に立った韓国について

 最後に、この試合の前にポートエリザベスで行われた、韓国対ギリシャの試合について、少し言及しておきたい。といっても、この日は本当に並ぶ時間が長かったので、リアルタイムではほとんどテレビ観戦できず、宿に戻ってからダイジェスト映像を確認しただけであった。それでも、前半7分のイ・ジョンスの1点目、そして後半7分のパク・チソンによる力強いドリブル突破からの2点目は、いずれも記憶に残るビューティフルゴールであったと断言できる。加えて、前者は現役Jリーガー(鹿島アントラーズ)であり、後者はJリーガーOBの出世頭。韓国が永遠のライバルであることを差し引いても、この事実はわれわれ日本人も密かに誇ってよいだろう。これで勝ち点3を獲得した韓国は、初戦を終えてグループリーグの首位に立った。まだまだ予断を許さぬ戦いは続くが、今ごろ韓国では「史上最強チーム」の勝利に大いに盛り上がっていることだろう。

 そうこうしているうちに、日本の初戦である対カメルーン戦まで、あと2日と迫った。前日の13日は試合を取材せずに、決戦の地であるブルームフォンテーンまで6時間かけて移動することになっている。果たしてかの地では、どんなゲームを目撃することになるのだろうか。いろいろ考えることはあるのだが、明日は早いので今日はこれにて失礼する。

<この項、了>
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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