パワー全盛時代に革命! 39歳“ジャンヌ・ダルク”伊達=全仏テニス

内田暁

「90年代のテニスの方が面白かった」

全仏オープン1回戦で元女王相手に白星を挙げたクルム伊達。2回戦敗退に終わったものの、かつて世界4位の彼女が14年の歳月を経て、どのような変化を遂げたのか 【Getty Images】

 「今の選手たちは、みんなパワーがあり、ボールのスピードが速い。でも技術面で言うと、1990年代の選手の方がいろいろなショットを打っていたように思う」

 かつての世界4位“伊達公子”が、14年の歳月を経て“クルム伊達公子”としてローランギャロス(全仏オープン会場)に帰還し、昨年の準優勝者ディナラ・サフィナ(ロシア)を破る衝撃の日から、2日。その奇跡的な復帰物語は地元紙やテレビでも大々的に報じられたため、2回戦のクルム伊達(エステティックTBC)対ジャミラ・グロース (オーストラリア)戦には、多くの観客が詰めかけた。また、試合後の会見場にもさまざまな国のジャーナリストが集まり、種々の質問を、ツアー最年長のベテランに投げかけたのだ。そしてその会見時に、「90年代と現在のテニスは、どう違う?」と聞かれてクルム伊達が答えたのが、冒頭のコメントである。

 「今のテニスと90年代のそれを比べるのは、難しい。でも90年代のテニスの方が、スライスを打つ選手なども多く、面白かった部分もある」
 そう言うクルム伊達は、かつてのライバルであり、そしてあこがれの存在でもあったシュテフィ・グラフ(ドイツ)の名を「私にとっては、彼女が究極のアスリート」と、自らが思うベスト選手のトップに掲げた。そして「いろいろなショットが打てる選手だから」と、今年から現役に復帰したジュスティーヌ・エナン(ベルギー)の名を、2番手に連ねたのだ。

 ショットバリエーションの豊富なテニス、自らのスタイルを確立させる選手――。それらを美徳とし称賛するのは、今ほどパワーテニスが幅を効かせぬ90年代当時ですら「小柄でパワーでは太刀打ちできない」と言われたにもかかわらず、世界の頂点に肉薄したクルム伊達の、ある種の意地だったかもしれない。ボールの跳ね際をカウンターで捕える独自の武器“ライジングショット”を編み出した、独創性。それがあれば、たとえ体格で劣っていても頂点を競える懐の深さこそが、クルム伊達にとってのテニスの魅力なのだろう。だからこそ、個性や多様性といった趣ある起伏をローラーで平坦にならしてしまったかのような、昨今の画一的な女子テニスを単純に認める訳にはいかないのかもしれない。

昔と現在の伊達のスタイルの違いとは?

 だがそうは言っても、クルム伊達が90年代当時に行っていたテニスを、そのまま現在に持ち込んで戦っている訳ではもちろんない。
 95年の全仏で、伊達が準決勝進出を果たした時のコーチだった丸山薫氏は、当時と現在の女子テニスの相違点として、ボールのスピードや選手の大型化に加え、展開と勝負を仕掛けるタイミングの早さを挙げる。
 「95年当時と比べると、女子のテニスは大きく変わった。以前は、基本はクロスの打ち合いで、相手のミスを待つようなところもあった。ところが今は、クロスからすぐにダウンザライン(ストレート)に打つなど展開が早くなり、より攻撃的になっている」

 さらに“伊達公子”と“クルム伊達公子”のスタイルの差を、以下のようにも分析する。
 「伊達も以前は、フォアもバックもクロスが主体で、我慢する局面も多々あるテニスだった。でも今は、以前よりはるかに仕掛けるタイミングが速くなった。ストレートにすぐに切り返したり、ネットにも積極的に出るなど、現在のテニスに対応している」

 ただいくらクルム伊達と言えども、復帰後すぐに、現代テニスのスピードと展開の速さに対抗できた訳ではないという。現に、WTAツアーの予選や本戦を周るようになった最初の1年くらいは、なかなか勝てない時期が続いていた。だがその中で徐々に目と体を慣らし試行錯誤を重ね、そうして見た一つの集大成が、昨年9月の韓国大会優勝だ。

サフィナ戦での勝因は、2年前の出来事にあった

 丸山氏のそのような分析を聞き、そして今回のサフィナ戦の勝利を目の当たりにして思い出されるある記憶がある。
 クルム伊達が現役復帰してから約半年後の、2008年9月のことだ。東京で行われた東レパンパシフィックオープン予選に開催者推薦枠で出場したクルム伊達は、「WTAのスピードに慣れたい」がため、同大会に出場していたサフィナと練習をさせてもらったと言っていたのだ。 
 当時、自分を含む多くのファンや記者たちですら、復帰したクルム伊達の目標やモチベーションが、どこにあるのかを測りかねていた。果たしてレクリエーションの延長なのか? 日本1位になれば満足なのか? あるいは、再びグランドスラム出場を目指しているのか? だがこのクルム伊達のコメントを聞いた時、彼女のアスリートとしての本能や勝負師の資質は、そんな周囲の邪推などはるか及ばぬ領域にあるのだと感じたものだ。

 このころのクルム伊達が、グランドスラムにてサフィナと対戦する、その日を想定し練習を申し込んだとは、さすがに思わない。だが、得意のライジングショットをパワーと速い展開に適応させた“クルム伊達公子のテニス”の礎が、既にこの時に築き始められていたことは、間違いない。

 その成果は、今回のサフィナ戦後の「それほど、サフィナのパワーや球威に圧倒されることはなかった」とのコメントに表れており、同時にこれは、敗れたサフィナの「彼女(クルム伊達)は攻撃的だし、プレーが個性的。ボールをとても早くとらえるし、フラットに打ってくる」というコメントと、できすぎなまでの対比を成す。

 2カ月ほど前、クルム伊達に「現在の女子テニス界に、あなたが思う理想的なテニスをしている選手は居るか?」と質問したことがある。その際に彼女から、以下のような答えが返ってきた。
「私のテニスは昔から個性的だったけれど、今は昔以上に、パワーやスピードでは対抗できない状況。なので、お手本や理想の選手というのは無く、我が道を行くしかないと思っている」

 自らがかつて築いた独自性溢れるスタイルを今に適応させ、パワー全盛の女子テニス界に果敢に挑む、クルム伊達公子。その姿はさながら、テニスが有する奥深さと魅力を旗印に掲げる、39歳のジャンヌ・ダルクそのものである。
 
<了>
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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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