福田健二、ピッチまでの長き道程=愛媛での波乱万丈の135日

寺下友徳

混迷の中でも失わなかった全力プレー

問題がこじれても、福田は集中力を欠くことなく練習に全力で取り組んだ。その姿勢は若手の見本にもなっている 【寺下友徳】

 その後、キャプテン就任直後の2月2日から16日まで行われた鹿児島キャンプでも「速い球回しから速い攻撃に移る戦術が明確になったし、声やコミュニケーションの部分でもいい指示が出てできた」と大きな手応えを口にしていた福田。だが、穏やかだった眼光は3月7日のファジアーノ岡山とのJ2開幕戦が近づくにつれて次第に鬼気迫るものとなり、報道陣の囲み取材をもまったく寄せ付けないような強いオーラを放つようになっていった。
 これに対し地元報道陣は「自分の生誕地である新居浜市民も多く詰め掛ける地元での開幕戦を迎えるにあたり、福田選手も自らの気持ちを沸点まで高めているのだろう」と勝手に理解していたのだが……。

 その真相が分かったのは、開幕戦2日前。愛媛FCから「1月の移籍ウインドーが開いた時点で前所属のイオニコスに国際移籍証明書(ITC)発行を要請したが、イオニコス側が契約継続を主張してITCを発行しないことによりJリーグ登録が完了せず、試合に出場できない」ことが発表された。「テレビで開幕戦に向けての質問を受けていても、僕も晴れない気持ちのまま画面に映っていたと思う」と福田本人からの告白で、初めて彼の変化の理由を知ることになったのである。

 反面、このアクシデントが明らかになったことで、福田の「すごみ」をあらためて知ることになったのも事実だ。例えば、バルバリッチ監督が問題の長期化を予測し福田をBチームに入れた3月4日の紅白戦においても、彼は守備面では「体に染みついている」アプローチで鋭く相手DFからのパスコースをふさぎ、いざボールを奪えば素早く「攻撃のバリエーションができるように」絶妙のワンタッチパスで中盤に預けると、瞬く間に前線に走り込み、ゴールを狙い続けていた。

 普通に考えて、半日の時差がある欧州と日本とで自ら問題解決のために連絡を取り合うだけでもつらい作業であるが、それが約2カ月にもわたることは常人の想像を絶するもの。いくらプロフェッショナルといえども、このような混迷の中では練習中に多少の集中力が途切れても仕方がない。そんな状況が日常の裏では続いていたにもかかわらず、福田は実戦を想定した真摯(しんし)な姿勢を一時すらも欠くことはなかったのだ。

 ちなみにバルバリッチ監督はこの日、最後のセットプレー練習で集中力を欠いた選手たちを見てすぐにその場に集め、このように諭している。
「練習も試合も全力で。個人的な名前は言いたくはないが、福田の姿勢を見習って、常に集中することが大事だ」

チームの大黒柱、ホーム凱旋試合へ

入団会見から約5カ月が経ち、福田(中央)は3月21日の水戸戦でついにホーム凱旋試合に臨む 【寺下友徳】

 こうして開幕戦を無念の欠場となり、その後もBチームで調整を進めていた福田であったが、ザスパ草津戦前日の3月12日、この問題の仲裁にあたっていたFIFAが日本サッカー協会に福田の暫定的な選手登録を認めたことにより、急転直下、草津戦の出場が可能になった。

 そして福田は、4−3−3システムのセンターFWとしてスタメンで送り出したバルバリッチ監督の期待に見事応え、別格の動きを草津戦で見せる。シュートこそPKによる1ゴールの1本のみにとどまったが、安定したポストプレーと草津のビルドアップをまったく許さない巧みなファーストディフェンスでチームの勝ち点3獲得に大きく貢献。キャプテンとしても、試合後にはアドリブで考案したピッチ中央で輪になっての水かけで、「非常に悪い内容だった」岡山戦の敗戦で沈滞気味だった愛媛FCのムードを一気に好転させた。

 3月18日の練習後には「個人的には、起点になってからゴール前で要求して仕事をしたい」と草津戦については反省の弁が多かった福田だが、わずか1試合でチームの大黒柱たることを示した意義は限りなく大きい。その意義を確信へと変え、福田が入団会見で述べた「サッカーを通じて愛媛を全国に知ってもらう」ためにも、3月21日にニンジニアスタジアムで行われる「福田ホーム凱旋(がいせん)試合」の水戸ホーリーホック戦は愛媛FCにとっても、「内容が良ければ最高だが、勝ち点3がすべてだと思う」と意気込みを語る福田健二自身にとっても、一世一代の大一番となるに違いない。

<了>

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著者プロフィール

1971年、福井県生まれ。大学時代に観戦したJリーグ・ニコスシリーズ第15節の浦和−清水(国立)の地鳴りのように響く応援の迫力をきっかけに、フットボールに引き込まれた。ファストフード会社店舗勤務、ビルメンテナンス会社営業、コンビニエンスストア販売員など種々雑多な職歴を経ながらフットボールを深く探求するようになり、2004年から本格的な執筆活動を開始。07年2月からは関東から四国地域に居を移し、愛媛FC、高校野球など四国のスポーツシーンを追い続けている。

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