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松井、当落線上からW杯に必要な戦力へ
連動して個を生かすテクニシャン

不動のレギュラーはいつしか「当落線上の存在」に

代表での地位を確立できていない中、松井は最終テストに臨み、好パフォーマンスを披露した
代表での地位を確立できていない中、松井は最終テストに臨み、好パフォーマンスを披露した【Getty Images】

 現在の日本代表のベースが作られた2008年6月のワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会のアジア3次予選、松井大輔は左MFの不動のレギュラーだった。小気味いいドリブルとパスセンスでチャンスメークする能力を岡田武史監督も高く評価。当然、最終予選初戦、アウエーのバーレーン戦でも先発起用した。

 しかし、第2戦のウズベキスタン戦を累積警告で欠場したあたりから雲行きが怪しくなる。当時所属したサンテティエンヌでの不振やけがも重なり、代表での出場機会が減っていく。中村憲剛や大久保嘉人が同じポジションでいい仕事を見せたことで、いつしか松井は「当落線上の存在」と見られるようにさえなっていた。


 苦境から抜け出そうと、本人は出番を与えられるたび、自己アピールを強く意識しすぎ、空回りを続けた。その象徴が昨年6月の最終予選オーストラリア戦だ。中村俊輔や遠藤保仁ら主力組の中盤がごっそり抜ける中、本人は「これまでは、(パスを)出してくれれば行きますって感じだったけど、今回はゲームも作らないといけない」と強い意欲を持って試合に臨んだ。ところが、勝負に挑むあまり、エゴを出しすぎてしまう。「松井さんが『1対1をやらせてくれ』と言っていた。ドリブルでいけそうだったし、気持ちよくやってほしかった」と内田篤人が完全サポートに回ったものの、京都パープルサンガ(当時)時代に個人技を封印された因縁の指揮官ピム率いる相手を崩せず、チームは逆転負けを喫した。


 9月の欧州遠征は不参加。10月の3連戦や11月の南アフリカ戦もサブに甘んじた。チームの役割と自身の個性のベストバランスを見いだせないまま、とうとうW杯イヤーを迎えた。岡田ジャパンでは14試合出場で得点ゼロと結果が出ていない。中途半端な役回りが続けば、4年前と同じ本大会メンバー落選も現実になりかねないところまで追い込まれていた。

「ドイツ大会の発表は帰国直後のホテルで見ました。周りに何人かいたんで、あんまり自分が悔しい顔をするのも嫌だったけど、やっぱりガックリきたのかな……。W杯までモチベーションを上げてきて、アピールしなきゃいけないと思ってやってたから、目標がなくなってモチベーションが上がらなくなったんです。頑張らなきゃと思いつつも力が入らない。そんな感じで次のシーズンに入った途端、腰を強打して試合にも出られなくなった」と、代表落選の苦い経験を切々と打ち明けている。

最終テストのバーレーン戦で連係第一を強調

 そんな思いを二度としないためにも、最終テストとなる3月3日のバーレーン戦は絶対に失敗できない。中村憲と大久保をけがで欠く中、スタメンに抜てきされるのは確実だっただけに、松井自身の中にも強い危機感があったに違いない。

 1日の練習初日。暴風雨で飛行機が飛ばず、パリで5時間も足止めを食らい、開始から30分遅れで豊田スタジアムに滑り込んだ松井は、アップもそこそこに戦術練習に参加した。この間、長友佑都らと積極的に話をして、お互いの役割を明確にしようと努めていた。限られた時間を最大限生かし、周囲との関係を構築しようという姿勢は、昨年まで見られなかったものだ。

「代表でこれまで満足した試合はない。自分らしいプレーも最後までしてないんで、今度こそ『らしさ』を出したい。今まではコミュニケーションが足りなかった。だから今日、長友と話をした。もっとボールを早くポンポン出すことでリズムも出るし、スペースを見つけてお互いに動ける。長友だけじゃなくて、いろんな人としゃべりながらボールをもらえるようにしていきたい」と本人も連係第一を強調していた。


 周りのことを考えられるようになったのも、所属するグルノーブルでのパフォーマンスが上向いたからだろう。昨夏フランス3つ目のクラブに移籍したが、新天地は開幕から11連敗。ダントツの最下位に沈んだ。松井自身も負傷欠場が続き、決して本調子ではなかった。

 それでも11月28日の第14節ロリアン戦での今季初ゴールからきっかけをつかみ始める。2月6日の第23節オセール戦で2得点を挙げ、同27日の第26節ナンシー戦はゴールこそならなったが、ゴール前への鋭い飛び出しで決定機を作っていた。

「序盤は精神的にも肉体的にも状態がすごく悪かったけど、今は安定してきたし、チームも良くなっている。得点や決定的な仕事を求められているってことは僕自身、よく分かっている。それを代表でも出せたらいい」というポジティブな気持ちで、大事な一戦を迎えることができたのである。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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