日本長距離界に平子裕基が示した指標=スピードスケート

高野祐太

体格で劣っても、技術では劣らず

 スピードスケートの男子1万メートルに出場した平子裕基(開西病院)は13分37秒56で11位となり、目指していた入賞はならなかった。

 168センチの小柄な体ではストライドの差が一歩ごとに開いていき、長距離種目では明らかに不利。世界の壁は高かった。脱帽するしかなかった。

「いやー、速いっすね、やっぱ、みんな」

 走路違反で失格した王者、スベン・クラマー(オランダ)はもちろんのこと、12分58秒55の五輪新記録でこの種目アジア勢初のメダルとなる金メダルを獲得したイ・スンフン(韓国)も、足がとても長い。
「ふざけて彼らと相撲を取るのですが、ナチュラルな、何もしていなくても備わっている体の強さを感じます。あの足の長さは卑怯(ひきょう)ですよ(笑)」

 だが、できることはやった。「技術では劣らない」と自負する滑らかな切り返しでリズムに乗る。前半は1周(400メートル)32秒前半のラップをきっちりと刻む。6800メートルから7200メートルで33秒台に落ちるが、8400メートルあたりから切り替えるようにしてピッチを上げた。歯を食いしばり、ラップを32秒台に戻す。そのペースを最後まで続け、ついにラップが再び33秒台まで落ちることはなかった。しかも、ラップは維持するどころか上がり続けた。8800メートルで32秒97。以下32秒67、32秒50、32秒48だった。
 その点について、普段指導する川原正行監督は「盛り返したのは大したもの。みんな(後半に)タレタレになっていくのに」とまな弟子の健闘をねぎらった。
 平子自身の感想。「相当苦しかった。1周1周がきつくて、32秒頭でそろえるのはきつかった。(ラップを上げた場面は)同走者が来ていたので、ここまで来たら1つでも順位を上げようと思って。最後は気合いですね」

 ソルトレークシティー五輪出場の後、トリノ五輪の出場を逃し、8年越しの挑戦となった。その間、日本の男子長距離陣を引っ張った。競技環境が厳しい中で、やっと支援企業を見つけ、クラブチームの形でトレーニングを続けた。
「4年前は全然世界の上位に届かず、1年1年やろうと先生(川原監督)とも話し合って積み上げてきました。ちょっとずつ追いつくというか、トップ10までは近づいた。でもオリンピックのシーズンになって、外国勢が本腰を入れるとまた開いた。悔しいです」

■大会前には引退をにおわせる発言も

 平子がこの2009年―10年シーズンを通して最も成長したのは、心の部分かもしれない。昨年2月ごろ、川原監督は「まだまだ精神的に甘いところがある。そこを何とかしなければ」と言っていた。
 そういう時期を経て、昨年10月にシーズンインしたころには、「オリンピックで入賞できれば万々歳だけれど、人としてどれだけ大きくなったかなと。スケートを通して人間力をアップして、その上で結果がどうか、という順番だと思うんですよ。そういう意味で、人間的魅力もアップしているし、スケーターとしても目的、目標に向かってしっかりまい進しているのではないかと思います。そこに行き着くまでに何をしたかという価値観でいいと思うんです。将来、自分がどう飛躍していけるか、生涯のことだからね」。

 今大会のスピードスケート初日の5000メートルは6分33秒90で19位だった。平子はシーズン当初から1万メートルに懸けていた。昨年末の代表選考会で語る平子の言葉の端々に、突き抜けているというか、達観しているというか、何かに達したような雰囲気が漂っていた。
「自分はスピードが足りないから、5000メートルはダメっすね」と。

 五輪代表発表の会見では、第一声で「8年間、山あり谷ありだった。最後にひと花咲かせて散りたい」と、何のてらいもなく、引退をにおわせる発言までした。
『諦観(ていかん)』という言葉がしっくりとくると思った。1万メートルを終えて、川原監督が補足する。

「ラップを31秒で押す選手が多かったが、最初から他人は他人、こっちはこっち。滑る氷なら、バーンと行って波に乗っちゃったらいい。だけど(滑らない)この氷は、足に来始めたら、どんどんペースが落ちて行っちゃう。自分のペースで、自分の力量で、ゴールしたときに力を出し切れるような滑りをしようということ。相当努力しているし、研究している。いつも考えて、スケートに対する信念は相当なもの。本人なりに技術を極めているはずです。まだまだ可能性は十分あります。あとは本人の気持ち次第です」

 そして、平子はこう言った。
「この4年間は新しいスタートをして、応援してもらいながらやってきました。レベルアップすることが恩返しと思って真剣に取り組んできました。(若手に対しては)日本は体力の限界を補えるような、技術の殻をもう一段階破ってほしい。アレンジする努力をする必要があります。今のところ、まだ自分がレベルアップすることはできると思うけど、でも、自分はこんなものと納得させているつもり。そのアレンジするポイントが自分には見えていないので、こんなものかなって」

「あの体で、スタミナもそんなにない中で」(川原監督)、平子がバンクーバーで残した足跡は、日本男子長距離界にとって大きく、いろいろな意味で指針になる、そんな姿を見せてくれたと言えるのだろう。
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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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