カーリング女子、バンクーバー全9戦の軌跡

高野祐太

3勝6敗、8位

 チーム青森で戦ったカーリング女子の日本代表は、前回トリノ大会より順位を1つ落とす3勝6敗の8位に終わった。前半戦は3勝2敗で流れをつかみかけたが、後半戦は4連敗、最後の3試合はギブアップ負けを喫し、失速した。

 この4年間で積み上げた実力は、少なくとも前半戦では見せたはずだ。優勝候補の開催国カナダに対しては最後に力尽きたものの、現場にいなかった者にも、がっぷり四つで相まみえた強さが伝わってきた。
 だが結局、日本が勝ったのは、7位の英国、9位のロシア、最下位10位の米国だけで、実力のある上位チームからは1つも勝ち星を奪えなかった。後半戦の戦いぶりはミスが目立ち、決勝ラウンド進出の可能性がなくなったデンマークとの最終戦のように自滅するパターンもあった。
 全9試合を戦い終えたミックスゾーン。阿部晋也監督は、「実力を100パーセント発揮することができなかった。(敗戦の理由は)そう言ってしまってはあまりに簡単だが、経験が不足していた」と悔しさをにじませた。

 日本は、2008年のパシフィック選手権で韓国に敗れ、昨季の世界選手権出場を逃している。このときの世界選手権に優勝したのは同じ環太平洋地区の中国だった。
「この世界大会に出続けることが必要です。中国は出続けて結果も出している。(昨季の世界選手権など)もう1、2回分の経験があれば、また違う形ができていた」

選手の想い

 選手たちからも、目標に届かなかった悔しさが伝わってくる。
 本橋麻里は「チャンスはたくさんあったけど、自分たちで決め切れませんでした。サードもやりましたが、ラインコール、ストーンマネジメントがもっとできたんじゃないかという後悔はある。(世界との差を埋めるには)個人レベルを上げる必要がある。そこに穴がありました」
 31歳の最年長でリードを務め、安定したショット(トータルのショット率82パーセントでチーム最高)を見せた石崎琴美も「このレベルでは、満点ではないハーフショットになると後ろにつなげない。世界と戦うためには、自分の1投目と2投目を置きたい場所に置かないとダメなんだなと感じた。今季の国際大会ではすごく良い成績を出していたし、その力を出せれば、もう少し上には行けたと思うので、いかに自分自身をコントロールできるかが大事だった。自分をコントロールできるのは自分以外にいない。一人一人が自分をコントロールできていれば、チームとしての力も強かったと思う」と世界の厳しさを実感した。
 近江谷杏菜は「大きな国際大会でプレーするのは初めてだったので、集中する力が私に足りなくて。私の力はこんなもんじゃないと思っていたけど、力を発揮できないことも含めて、今はこれだけしか力を持っていなかったんだなと思います」と自分を厳しく分析した。
 山浦麻葉は「強い気持ちで臨んだが、その気持ちをうまくコントロールできないで、ショットに乱れが出てしまった。心の弱さが出ることは分かっていたけど、打ち消すことができませんでした。未熟でした」。
 目黒萌絵は「(デンマーク戦について)自分のところで大きなミスも出たし、自分の弱さを感じた試合でした。1試合目から負けられないという気持ちで、ずっと張り詰めていた。自分のところでピンチを救っていきたかったが、もっとピンチを深くしてしまった。スキップとしてまだまだ未熟だなと思いました。実力も、五輪で発揮できない弱さはあったが、でも、4年間で着実についた部分はあったし、やってきたことには悔いはないです」
 一方で、阿部監督は「取れる試合もあった。カナダとスウェーデンは抜けていたが、(決勝ラウンド進出に必要な)残り2つの枠はかなりし烈な争いで、それに絡む戦いはできたはずだった」とも言った。それは、このチームが確実に力をつけたという手応えの表れだろう。

トリノからバンクーバーへ

 チーム青森は新チームを結成してからのこの4年間、よく戦ってきた。トリノが終わり、バンクーバーを目指すと決めたとき、阿部監督がスキップに指名したのは目黒だった。「このチームは目黒のチーム。スキップを変えることはしない」。
 阿部監督自身、当初は仲の良かった小野寺歩と林弓枝らのため、トリノでサポートするだけのつもりだったが、バンクーバーまで新チームと心中する覚悟を固めた。
 すべての戦いを終えた今、目黒は、関係者からの励ましで泣き崩れたのであろう、赤く腫れた眼で前方をまっすぐに見据えながら報道陣と対峙(じ)している。『日本代表』という大きなものを背負った責任から逃げることなく、4年間向き合ってきたことを物語る、成長した25歳の顔貌(ぼう)だ。4年前とは大きく変った精かんさがある。
 新チームからスキップとして背負ってきたものは大きかったか。「最初にやると決まったときは、構えていたが、やってみると、目の前のことをただ必死でやっていたので、重圧というより、どうしたら強くなれるかで頭がいっぱいでした。重圧でつらい4年間ではなく、チームで頑張ってこれた4年間でした」

 このチームが、トリノからバンクーバーにつないだ功績は大きい。トリノでは7位だったとは言え、強豪と渡り合う姿がお茶の間の感動を呼び、『マリリン』の愛称を授かった当時19歳の本橋がキュートな笑顔を作ってカーリングに注目を引きつけた。そうやって人気者となった『カーリング娘』たちは、決して恵まれたとは言えなかった環境から、たくましく活動の道を切り開いてきた。

大国・中国の台頭

 さて、この流れをどうするか。
 トリノ五輪の終わった06年の秋に東京で開催されたパシフィック選手権(世界選手権の環太平洋地区代表を選抜する大会)のことが思い出される。
 この競技に参戦してまだ間もない中で優勝した中国の躍進だ。戦術はまだバリエーションが少なく、複雑な展開はできていなかったが、大きくない体にアスリート的な高いフィジカル能力を感じさせ、何より、瞳の奥からのぞかせる強い意志に身震いしたものだ。
 中国チームは潤沢な資金にものを言わせ、年間の半分を本場カナダでの遠征、強化に当てていると聞いた。旧共産圏の大国のこの国は、お家芸の卓球だけでなく、バドミントンしかり、テニスしかり、体操しかり、他の競技でよく知られるように、国家丸抱えの英才教育によってアスリートを育成している。バドミントンは五輪を含む世界大会で種目の半分の金メダルをさらっていき、ことし1月のテニス全豪オープンでは女子シングルスの4強に中国選手2人が残った。
 そういう国が、カーリングにも本腰を入れたということだった。優勝決定を受けて、「これでアジア地区の女王になった訳だが」との筆者の問いかけに、臆面もなく「我々は、世界の一番を目指している。このタイトルは単なる通過点に過ぎない」と言い切った。その言葉は、未熟さを残す段階での発言だったから、強烈な印象を残した。「これは来るな」と。

 カナダでは、ちょっとした都市ならカーリングホールがあり、市民の多くがこのスポーツを愛している。ホールの2階にはパブが併設されており、観戦しながら一杯やってカーリング談義を交わすことを楽しみにしている人たちが大勢いる。世界レベルのチームがわんさかとあって、その中から勝ち残った、わずか5人しか五輪に出られない国なのだ。
 文化として根付いている国があって、国家の強化策でトップチームを作り上げる国がある。新興勢力の台頭は、女子カーリングを活性化させ、世界のレベルは一段と上がっていくことだろう。日本は今後、そういうライバルたちと戦っていかなければならないのだ。

成功の道を模索

 けれども、新旧チーム青森の奮闘によって、日本のカーリングは、少しずつ前進している。昨季の日本選手権でチーム青森を苦しめたチーム常呂高校のメンバーは札幌の大学に進学し、競技を続ける。当面は、常呂や妹背牛のカーリングホールに通って練習するが、札幌市内にカーリングホールを整備する構想が進行している。これで、高校まで良い成績を挙げても、将来を考えて都会への進学や就職のために競技続行を断念するというジュニアカーラーを減らすことができる。
 また、北海道と並ぶ強豪の長野県では、中部電力が支援する有力なジュニアチームが結成された。企業の理解と支援は欠かせない。
 こうした地道なステップを踏むことで、日本のカーリングは、成功の道を模索していくしかない。少なくとも、発展の流れは、確かにある。
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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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