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柏木、ヤットのような輝ける存在を目指して
若きファンタジスタの新たな挑戦

日本代表招集は巡ってきたチャンス

イエメン戦で念願のA代表デビューを飾った柏木。岡田監督からは中盤のリーダーとして期待された
イエメン戦で念願のA代表デビューを飾った柏木。岡田監督からは中盤のリーダーとして期待された【Photo:ロイター/アフロ】

 次世代のファンタジスタとして10代のころから注目されてきた柏木陽介。「日本代表入り」と「浦和レッズ移籍」という2つの大きな出来事から始まった2010年は、彼のキャリアを左右する重要なシーズンになりそうだ。


 年明け早々の日本代表招集は柏木にとって悲願だった。岡田武史監督率いるA代表に参戦するのは、北京五輪代表から落選した直後の08年夏以来。07年U−20ワールドカップ(W杯)で絶対的な司令塔として君臨し、同年秋には反町康治監督(現湘南)率いるU−22代表の救世主となったが、負傷などが重なって五輪本大会には出られなかった。その悔しさが色濃く残る状況での抜てきだっただけに、本人も「いろんな意味で強くなるチャンスをもらえたし、代表合宿に呼ばれたのはすごくラッキーだと思う。このラッキーをどう生かすかは自分次第」と意気込みを新たにしていた。


 しかし、岡田ジャパン招集はこの1回のみ。その後はずっとお呼びがかからなかった。共にU−20W杯を戦った同世代の内田篤人(鹿島)、後輩にあたる香川真司(C大阪)、金崎夢生(名古屋)らが次々とA代表デビューを果たす中、サンフレッチェ広島のエースナンバー10は、華やかな舞台に立てなかった。それでも彼は「自分のやるべきことを続けていれば、いつかきっとチャンスが巡ってくる」と言い続けた。


 こうした前向きな姿勢が結実し、08年は広島のJ1復帰の原動力となり、09年はより大きな飛躍を遂げた。持ち前の運動量やテクニックに磨きが掛かり、リーグ戦で8ゴールを挙げた。シーズン当初から「今年は得点にもこだわる」と公言し、年間8得点以上をノルマに掲げていたが、その数字を見事にクリア。広島の4位にも大きく貢献している。

岡田監督は中盤のリーダーとして期待

 コンスタントな活躍を岡田監督も見逃さず、若手中心のアジアカップ最終予選・イエメン遠征メンバーに抜てき。「柏木は中盤のリーダーになる選手」と記者会見で断言するほどの大きな期待を寄せた。確かにイエメン戦の陣容を見ると、チャンスメーカータイプの攻撃的MFが多くいる反面、キープ力があってタメを作れる人材が非常に少なかった。そういう意味でも、柏木は貴重な存在だったのである。


 ところが、試合2日前のトレーニングで、彼は右ひざを痛めてしまう。不慣れな人工芝のピッチに足を引っ掛けたのだ。アイシングをしながら練習場を去る姿は実に痛々しかったが、試合前日には何とか全体練習に参加していた。

「まだちょっと痛いけど、試合には間に合うと思う。おれは代表に入ってヨッシャじゃなくて、入ったからどうするかが肝心。だから明日の試合が大事になる。状況を見ながらいいパスを供給したいし、俊さん(中村俊輔=エスパニョル)やヤットさん(遠藤保仁=G大阪)みたいな働きができればいい。年齢もこの中では上の方なんで、自分が中心になってやるという気持ちで、みんなに声を掛け合いながらやれたらいい」と自らの役割を冷静に語っていた。

 柏木のところでいかにボールを収め、攻撃のリズムを作るか。それがイエメンに挑む日本代表の大きなポイントだった。岡田監督の目指す連動性ある攻撃を演出できれば、彼のA代表定着も現実味を帯びてくる。


 南アフリカへの挑戦権を得るのは誰なのか……。そこに注目が集まる中、キックオフされたこの試合。柏木は4−2−3−1の右MF、つまり中村俊や本田圭佑(CSKAモスクワ)と同じ位置に入った。岡田監督は彼が「外にいる司令塔」として使えるかどうかをまずは見極めたかったのだろう。

 ところが立ち上がり早々、日本はイエメンの猛攻を食らう。開始30秒に柏木と槙野智章(広島)のいる右サイドをえぐられ、鋭いクロスを上げられる。直後には、相手FKをGK権田修一(FC東京)がファンブルし、決定的シュートを放たれた。この2つのプレーでチーム全体がナーバスになった。


 柏木は徐々に右サイドから中央寄りに移り、ボールをつなごうと試みるが、リズムに乗れない。「ピッチ状態が悪いし、長いボールだと跳ねるから、おれと直輝(山田=浦和)と夢生の3人でできるだけ短いパスをいい距離感で回せたらリズムが作れると思った」と言うものの、思惑通りにはいかなかった。39分には、彼自身が奪われたボールをイエメンMFアボド(34番)にミドルで豪快に決められた。ボコボコのピッチ、標高2300メートルの高地、右ひざの負傷という三重苦に直面し、前半の柏木は本来の良さを出し切れなかった。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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