山梨学院大附が掲げる「究極の目標」=高校サッカー3回戦
初出場でのベスト8進出
山梨学院大附の横森巧監督は、「なかなかスマート、切れ味あるサッカーがやり切れなかった。間延びして縦に蹴ることが多く、味がない試合だった」と謙遜(けんそん)するが、序盤から碓井が的確にボールを散らし、スピードに乗ったドリブルが武器のMF平塚拓真やFW伊東拓弥にボールを集め、サイド攻撃や突破を狙っていった。確かに前半の山梨学院大附は決定機らしい決定機を作れなかったのだが、ホイッスルが鳴る直前の39分、コーナーからDF中田寛人が頭で豪快に合わせて先制点を挙げた。
1点リードの後半は、「先制点のおかげで落ち着いてプレーできたし、いつもやっているようなパス回しができた」と碓井が言う通り圧巻の内容。特に、後半25分の2点目は山梨学院大附の魅力を集約するかのような崩しからの得点だった。中盤でボールを持った碓井から交代出場で入ったFW加部未蘭にタイミング、スピードともにぴったりの縦パスが入り、それを加部が平塚にワンタッチで落として中央突破した形。監督同様に冷静で謙虚な碓井も、「あれはいい形でした」と笑顔をこぼした。
明確な目標を設定することの危険性
この日も碓井には試合後、「でも、次の準々決勝に勝てば国立です。欲も出てくるし、意識もするのでは?」と意地悪な質問をしてみたが、「監督からも上を見ないで目の前の試合に集中していけば、自然に上は見えてくると言われています」と即答されてしまった。
話が飛躍して申し訳ないが、わたしが普段、取材活動をしているスペインでは、「次の試合がファイナル」という言葉がよく出てくる。バルセロナやレアル・マドリーが翌週に欧州チャンピオンズリーグの大一番を控えていても、グアルディオラ監督(バルセロナ)やペジェグリーニ監督(レアル・マドリー)は、「今、何より大事なのは週末のリーグ戦」とはっきりと言う。昨年11月、スペイン代表のデル・ボスケ監督の講演会に出席した時、質疑応答の時間に出席者から「ワールドカップの目標は優勝ですか?」と聞かれた指揮官は、「目標は1試合1試合、全力で戦っていくこと」と肩透かしの回答をしていた。
彼らがなぜこうした答えをするかと言うと、結局のところ、目の前の試合がどれだけ重要で難しいかを理解しているからだろう。大きな大会前に「ベスト4」や「優勝」という明確な目標を掲げるのが悪いことだとは言わない。だが、毎日厳しい戦いを強いられている勝負師たちは、大きな目標を掲げることで周囲に生まれる安心感や、目標を達成した後に出てしまう慢心を嫌う。
加えて、目標を達成できなかった時には、必ずやその責任を追及される。例えば、これまでスペインで多くのFWに「今季の目標は何ゴールですか?」と質問してきたが、返ってくる答えはたいてい「できる限り多く」という答えだった。彼らも、目標を設定することで生まれかねない慢心やプレッシャーを嫌っているのだ。
とにかく目の前の試合に集中
だから、メンタル面でのブレがないし、大会前最大の目標であり、強敵だと考えていた1回戦の野洲(滋賀)に勝った後の2回戦も、監督が「気の緩みがあった」と言いながらきっちり勝ち抜いている。一方で横森監督はこの日の香川西について、「昨日、前橋育英に勝ってほっとした部分があったんじゃないでしょうか」と語った。わたしも試合を見ながらそれを感じた。
本当に勝負強い人間、チームというのは目の前の試合に全力を注ぐ。集中する。高校サッカーのみならず、日本人は往々にして責任の伴わない目標を掲げることで何となく安心したり、目標を掲げることが目標になりがちだが、山梨学院大附にはそういったマイナス要素がない。
「目標は目の前の試合に勝つこと」
当たり前ながら、これこそが「究極の目標」ではないだろうか。
<了>
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