日韓戦が示した個の力とフィニッシュの差=ロンドン五輪を目指すU−20代表

元川悦子

「失われた1年」を取り戻すためのテコ入れ

1トップを務めた大迫(左)だったが、韓国DFの厳しいマークに苦しんだ(写真は東アジア大会の韓国戦) 【Photo:北村大樹/アフロスポーツ】

 ガーナの優勝で幕を閉じた今秋のU−20ワールドカップ(W杯)2009・エジプト。この大会で韓国は8強入りを果たした。韓国のU−20年代にはすでにA代表で活躍し、年明けからセルティックに移籍するキ・ソンヨン(FCソウル)もおり、まれに見るタレント集団と評判が高い。彼らを元代表キャプテンのホン・ミョンボ監督が率いて2012年のロンドン五輪を目指すというのだから、韓国サッカー協会の力の入れようが分かる。

 一方の日本は、ちょうど1年前のAFC U−19選手権2008・サウジアラビアで韓国に敗れ、8大会ぶりに世界切符を逃した。権田修一(FC東京)、村松大輔(湘南)、青木拓矢(大宮)、河野広貴(東京V)らがこの試合に出場したが、シュートも2、3本しか打てずに0−3で惨敗している。サウジアラビアで痛感させられた大きな実力差を1年間でどこまで詰めることができたのか。19日に韓国・昌原で行われたU−20日韓戦は、日本の若い世代の進化が問われる重要な試金石となった。

 韓国はこのゲームを「ロンドン五輪への第一歩」と明確に位置付けた。このため、12月2〜12日に香港で開催された東アジア大会とはまったく異なるメンバーを招集。新たなチーム作りをスタートさせたばかりだ。日本側もロンドン五輪の強化の一環ではあるが、まだ監督も決まっておらず、「失われた1年」を取り戻すために設けられたU−20年代のテコ入れの場という意味合いが強かった。

 指揮を執る西村昭宏監督は2001年ワールドユース(現U−20W杯)アルゼンチン大会で指揮官を務めた人物。現在は日本サッカー協会・技術委員会副委員長として若い世代を見て回っている。この西村監督が東アジア大会からチームを預かり、準優勝に貢献したメンバーから村松、鈴木大輔(新潟)、青木、河野、大迫勇也(鹿島)らを抜てき。さらに今季のJリーグで大きな飛躍を遂げた米本拓司(FC東京)、金崎夢生、清武弘嗣(共に大分)、高橋峻希、山田直輝(共に浦和)らを追加して、現状でのU−20年代のベストに近い陣容をそろえた。柏で見る者を魅了したドリブラー、大津祐樹(柏)の負傷辞退は残念だったが、魅力的な戦力が集まったのは間違いない。

山田の2ゴールで劣勢を覆して逆転勝利

 この試合の先発はGK権田、DF(右から)高橋、村松、鈴木、酒井高徳(新潟)、ボランチ・青木、米本、右MF清武、左MF河野、トップ下・金崎、FW大迫の4−2−3−1。山本康裕(磐田)、山田、山村和也(流通経済大)がいるボランチに青木と米本を据えた理由について、西村監督は「東アジア大会で青木と山村が非常に良かった。そこに経験豊富な米本を加えた。3人を一度に使うわけにもいかないので青木と米本を選んだ」と話す。山田は「攻撃の切り札」という位置付けでベンチに置かれた。

 前半の日本はとにかく韓国の個の力に押された。高さと強さを兼ね備えたセンターバック、展開力のあるボランチ、スピードと突破力を兼ね備えたウイング、キープ力のある長身FWを置くのが現在の韓国の特徴のようだ。前座試合で見たU−14代表もまったく同じ構成だった。2002年ワールドカップ・日韓大会で成功して以来、韓国はオランダスタイルを継承し、それに合わせたメンバーを選んでいるのだろう。
 この相手にロングボールを多用され、日本は防戦一方の展開。Jリーグで実績を積み重ねたはずの米本や金崎も厳しい寄せに前を向けなかったり、ボールを奪われたりした。視察していたFC東京の城福浩監督は「1年前の惨敗が頭にあり、多くの選手が受け身になっていた。序盤の劣勢はメンタル面が大きい」と話したが、フィジカルや技術の問題も少なからずあったのではないか。

 それでも前半は権田の堅守などで何とか粘り、0−1で折り返した。西村監督は後半からパスを回してリズムを作る日本らしいスタイルを実践しようとした。米本らも時間が経過するにつれ、相手のプレッシャーに慣れ、本来の動きができるようになってきた。
 攻撃にさらなる力を与えるため、西村監督は後半12分に金崎に代えて山田、清武に代えて大塚翔平(G大阪)を投入する。期待の山田は当初、試合勘の不足からかパスミスが多かった。だが、やはりA代表経験者は落ち着きがある。後半に挙げた2つのゴールは共に彼の嗅覚(きゅうかく)が生み出したものだった。

 後半32分の1点目は左サイドに位置した山田が起点となった。青木、高橋へとパスがつながり、高橋がクロスを送ったところに山田が20メートル近く走り込んで頭で合わせた。「大迫が前にいたのでニアに行けと言った」という山田の戦術眼通り、相手DFが大迫に引きつけられ、ファーサイドがガラ空きになり、166センチの小兵選手が楽にヘッドでゴールを決めることができた。2点目も大塚のスルーパスに走り込み、GKの位置を見極めて蹴り込んだ得点だ。敵と対峙しても冷静さを失わないところは、今季Jリーグでコンスタントに出場した蓄積による部分が大きいだろう。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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