中東でのクラブの祭典に想う=宇都宮徹壱のアブダビ日記2009
果たしてクラブW杯は、どこへ向かうのか?
メディアホテルでのインフォメーションスタッフ。厳かないでたちだが、対応はとてもフレンドリー 【宇都宮徹壱】
師走の慌ただしいさなか、UAE(アラブ首長国連邦)の首都アブダビにやってきたのは、9日から当地で始まるFIFAクラブワールドカップ(クラブW杯)2009を取材するためである。早いものでクラブの世界一を決定する大会も、今回で5回目。ただし今大会に関しては、日本のメディアもサッカーファンの反応もすこぶる悪い。
当然だろう。開催国が日本から遠くUAEに移り、しかも2大会連続で出場していた(そしていずれも3位に輝いた)Jリーグのクラブが、今大会は出場しないのだから。いきおい、日本からの取材陣も極めて限定的である。行きの飛行機で見かけたのは、大会を中継する日本テレビのスタッフばかり。私のようなフリーランスの人間は、まずお目にかからない。かく言う私も、スポーツナビという発表媒体がなかったら、おそらく今回のアブダビ行きは見送っていただろう。
果たしてクラブW杯は、どこへ向かおうとしているのか?
これが、今大会を取材するにあたって、私自身が掲げる問題提起である。そもそもなぜ、中東のアブダビで大会が行われるのか。それは主催者であるFIFA(国際サッカー連盟)と開催国UAEにとって、どれほどの意義と利益をもたらすのか。そして舞台が日本からUAEに大移動したことで、大会にどのような変化が生じるのか。さらには今回のUAE開催は、今後の大会の方向性にどのような影響を与えるのか。
思えば、クラブの世界一を決める大会が日本で行われるのは、われわれ日本のサッカーファンにとって自明であった。確かに、前身のトヨタカップがスタートした1981年から15年くらいは、われわれはそれを非常に有難く受け入れていたのだが、日本代表のW杯出場やメディアの情報量の増加などによって「世界」が身近に感じられるようになると、相対的にトヨタカップの有難みは下降線をたどるようになる。
クラブW杯は、日本のサッカーファンにとって「わが子」である
アクレディテーションセンターでもらった「お土産」。とにかく、やたらとでかくて無駄に重い 【宇都宮徹壱】
これまで日本代表がらみの取材を通して、私はたびたび中東諸国を訪れる機会に恵まれてきた。その経験を踏まえて言えば、私はこの地域のサッカーを取り巻く状況に、いまだにポジティブな要素を見いだせずにいる。その原因を一言に集約するなら「長期的なビジョンの欠如」に尽きる。成績が少しでも下降すれば、すぐに監督の首をすげ替える。オイルマネーにものを言わせて、国外の選手を買いあさる(一番の被害者は、もちろんJリーグだ)。あまつさえ、帰化させて自国の代表選手にしてしまう。クラブも代表も、王族のもの。それゆえ民衆のチームという意識が乏しく、サポーター文化も根付いていない――などなど。これらはいずれも「長期的なビジョンの欠如」に起因するものである。
クラブW杯という大会は、日本のサッカーファンにとって「わが子」のような存在といっても過言ではない。少なくとも私はそう思っている。なぜなら、トヨタカップ時代から長年にわたって親しみ、そして育んできたのだから。そんな「わが子」ゆえに、その行き先がオイル長者がサッカー界に君臨する中東であることには、いささかの不安と疑念を抱かずにはいられない。もちろん、大会そのものが成功してほしいという気持ちは持ち合わせている。しかし一方で、いとしい「わが子」が2年にわたって(UEA開催は09年と10年)痛い目に遭って帰ってくるのではないかと、気が気でない自分もいる。いくら「過保護」と言われても、そっと後をつけてみたいと思うのが人情というものだろう。
そんなわけで本日から決勝戦が行われる19日まで、今大会の推移を見極めるべく、現地より試合のリポートとアブダビの風物を交えながら、日記形式の連載をお届けすることにする。最後までお付き合いのほどを。インシャラー(神の思し召しのままに)。
<翌日に続く>
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