南米王者エストゥディアンテス、3度目の“奇跡”を=クラブW杯
神秘的なクラブ、エストゥディアンテス
クラブ世界一を決める舞台でも“奇跡”を起こせるか 【Photo:アフロ】
1905年8月4日に設立されたエストゥディアンテスは、ブエノスアイレス州のラ・プラタを本拠地とするクラブである。チーム名は「学生」という意味で、これは設立当初の首脳陣が全員学生だったことから来たものだ。さらに、学生が昔からネズミを使って実験を行ったことから、“ネズミ捕り人”という愛称が生まれた。
クラブが大きく飛躍を遂げたのは、60年代半ばのことだ。知将オズワルド・ズベルディアが監督に就任すると、チームに戦術を注入した。人気と実力を兼ね備えた“ビッグ5”(ボカ・ジュニアーズ、リバー・プレート、ラシン・クラブ、インデペンディエンテ、サン・ロレンソ)の独壇場だった国内リーグにあって、67年に5クラブ以外で初めてリーグ制覇を果たしたのがエストゥディアンテスだった。
翌68年には、コパ・リベルタドーレスでラシン・クラブ、ブラジルのパルメイラスといった当時の強豪チームを破って優勝。その後、69年、70年と大会を制し、3連覇を果たした。特筆すべきは、68年のインターコンチネンタルカップ(現クラブW杯)である。ボビー・チャールトンやジョージ・ベストらを擁したマンチェスター・ユナイテッドを下し(2試合合計2−1)、敵地オールド・トラフォードで戴冠した。その2年前に行われたW杯イングランド大会の準々決勝では、アルゼンチンがイングランドに0−1で敗れていた。
2つの黄金時代
80年代に入り、ビラルドは60年代に活躍したDFのエドゥアルド・ルハン・マネラを従えて監督としてクラブに復帰。82年にリーグ優勝を成し遂げると、アルゼンチン代表の指揮官として引き抜かれたのだった。
83年の時点ですでに、エストゥディアンテスは4度目のコパ・リベルタドーレス優勝に近づいていた。だが、グループリーグでこの年の覇者グレミオ(ブラジル)にきん差で敗れ、涙をのんだ。この時のチームには、ホセ・ルイス・ブラウン、アレハンドロ・サベージャらがおり、後者は現在、エストゥディアンテスの指揮を執っている。
今日のエストゥディアンテスが第二の黄金期を迎えているといっても過言ではないだろう。06年にはアペルトゥーラ(前期リーグ)で優勝。しかも、3試合を残して首位のボカに6ポイント差をつけられていたところから逆転したのだった。08年には、決勝でブラジルのインテルナシオナルに敗れたものの、コパ・スダメリカーナでファイナリストとなり、翌年についに南米王者に上り詰めた。