Jユースと街クラブの4強が映し出した変化=高円宮杯第20回全日本ユース(U−18)サッカー選手権 総括

安藤隆人

ベスト4に残ったのは『チームとして戦える集団』

今大会は決勝に勝ち進んだ横浜FMと磐田のほか、広島、三菱養和とクラブ勢がベスト4を占めた 【写真は共同】

 昨年に引き続き、決勝戦で7−1という大差がついて幕を閉じた高円宮杯全日本ユース選手権。今大会ではある変化が見られた。それはプリンスリーグ制度ができてから初めてベスト4に高校チームが1つもなかったことだ。横浜F・マリノスユース、ジュビロ磐田ユース、サンフレッチェ広島ユース、三菱養和SCユースとクラブチームが4つのいすを占拠した。さらに大会が始まってから初となる街クラブがベスト4に進んだ。

 だからといって、単純に「ユースのレベルが上がり、高校のレベルが下がった」という言葉で片付けては意味がないし、その見方は間違っている。そこに1つの変化があるとすれば、この準決勝に勝ち上がってきたチームに共通しているのは、チームとして非常にまとまっていて、ハードワークできるチームということにある。

『Jユースの高校サッカー化』という言葉が今ささやかれているが、この4チームを見ると、『Jユースと高校サッカーの融合』という言葉が適切なのではないかと感じられる。もともと、Jクラブユースというのは、トップチームにいかに優秀な人材を育成して送り込むかが前提条件にある。育成機関と呼んでいるのもそのためだ。つまり、個の育成にウエートを置いており、当初は大会がどうこうよりも、個にフォーカスすることが多く、「技術はあるが、チームとして戦えない」という、もろ刃の剣になっていた。今でもそういう傾向のJユースはあるが、この4チームに関しては、間違いなく『チームとして戦える集団』であった。

 広島ユースに関してはもう皆さんご存じであろう。育成年代において必要なのは、『絶対的な指導者』の存在にある。この年代には長年ユース選手の育成に携わり、経験が豊富な指導者が必要であるということは、世界のサッカーを見ても明らか。フランスやドイツ、オランダなどは、下の年代にいけばいくほど、経験豊富なベテランを監督に起用している。この裏にはまだサッカー選手として不十分だからこそ、経験ある指導者でその部分を補っていかなければならないという発想がある。

 だが、日本のJユース、ジュニアユースを見回してみても、監督が選手上がりから間もなかったり、まだ監督経験のないような若い人材が就任するケースが多い。それ自体は悪くないのだが、就任期間が2〜3年と短く、ひどいときにはわずか1年で指揮官が代わるケースもある。それでは継続的な育成は難しく、選手の成長に大きな妨げとなってしまうことも少なくない。

存在感が際立った育成の名門・広島ユース

 その中で広島ユースの森山佳郎監督は、2000年にコーチに就任し、02年から監督として指揮を執り続けている。広島ユース一筋の名伯楽は、これまで多くの人材をトップチームに供給し続け、まさに下部組織のあるべき姿の模範の1つとなっている。今年も三菱養和ユースを除くベスト4進出チームの中では、唯一昇格選手を抱えており、その存在は際立っていた。

 そして何より広島ユースは、チームとしてもしっかりと戦えていた。今年のチームはMF大崎淳矢という大黒柱がいるが、けが人が続出し、なかなかベストメンバーが組めない厳しい状況が続いていた。今大会でも守備の要であるDF玉田道歩が負傷離脱し、本来はサイドバックの森保翔平をセンターバックに起用し、布陣もトップチームと同じ3−6−1を敷いて、今大会に乗り込んできた。もともと今年は180センチを越える選手がごくわずかで、160センチ台の選手が多い小兵集団。戦力的にも例年より厳しいと言われていたが、いざふたを開けてみれば、彼らは全員がお互いの足りない部分を補い合い、チームとして強烈な力を発揮して準決勝まで勝ち上がってきた。

 準決勝でもサイドアタックのキーマン、MF宮本徹を受験で欠きながらも、代わりに入った2年生MF早瀬良平が奮闘し、敗れはしたが、終始リードを奪い、PK戦までもつれ込む死闘を演じた。
「最後まで体を張って気持ちが伝わってくるゲーム。僕らはちびっ子集団ですが、相手に対して顔を上げて牙をむいて戦えるようになった。ちびっ子でもピリリと辛いサッカーはできていると思う。本当にベンチ、スタンドを含めて、全体がまとまってここまで来ることができた」
 この森山監督の言葉は、心の底から出てきたものだろう。裏を返せば、戦いの後にこうした言葉を口にできることこそが、森山監督が選手に植え付けたサッカーそのものなのであろう。単純な戦術やテクニックだけでは片付けられない『何か』がそこにはある。

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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