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鹿島の主将・小笠原が抱く危機感
常勝軍団であり続けるために

3年ぶりの3連敗と、不調にあえぐ鹿島

小笠原はイタリアで身に付けた厳しい守備をJリーグで実践している
小笠原はイタリアで身に付けた厳しい守備をJリーグで実践している【写真は共同】

 2007、08年とJ1で2連覇を達成した常勝軍団・鹿島アントラーズ。今季はJリーグ3連覇はもちろん、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)、ナビスコカップ、天皇杯の全タイトル獲得を狙った。ところが、本命と見られたACLは決勝トーナメント1回戦でFCソウルに不覚を取り、ナビスコ杯も川崎フロンターレにあと一歩のところでひっくり返されて8強止まり。シーズン半ばにして、彼らの当面のターゲットは「Jリーグ3連覇」へと絞られた。


 当初、そのテーマは容易に達成できると見られた。今季J1前半戦の鹿島は他の追随を許さなかったからだ。3月22日の第3節・サンフレッチェ広島戦からリーグ戦17試合無敗。まさに破竹の勢いを誇った。左ひざ半月板・前十字じん帯損傷で08年終盤戦を棒に振った小笠原満男も完全復活し、「今年はただJリーグで優勝するだけじゃなくて、ダントツで勝ちたいね」と3年連続タイトルへの意欲を前面に押し出していた。


 ところが、川崎に敗れた7月末のナビスコ杯準々決勝以降、鹿島は急激に失速しはじめる。8月1日の第20節・広島戦に敗れてからは2勝5敗(中止になった12日の川崎戦を除く)。アウエー4連敗に加え、9月26日の第27節・名古屋グランパス戦はホームで4失点を喫した。内容もミスを繰り返して自滅するという信じがたいものだった。3連敗というのは実に3年ぶり。J王者に輝いた過去2シーズンには一度もなかったことだ。そして名古屋戦翌日の27日には、2位・清水エスパルスに1差まで詰め寄られた。辛うじて首位は守っているものの、事態はかなり深刻だ。


 目下、最大の懸念材料は守備の乱れだろう。8月29日の第24節・大宮アルディージャ戦、豪雨で中断となった9月12日の第25節・川崎戦では連続3失点。9月19日の第26節・横浜F・マリノス戦でも2点を失い、続く名古屋戦でも4点を奪われるなど、短期間で失点が急増している。第19節までは通算失点13と1試合平均1失点以下の安定感を誇っていた鹿島にとって、極めて重大な問題点といえる。


 キャプテンの小笠原はこう話す。

「オリヴェイラ監督も3年目で、やり方も確立されている。今の鹿島は昨日や今日できたチームじゃない。だからこそ、体を張って戦うだとか、相手よりも一歩先に寄せる、ボールを奪う、そういう部分がすごく大事になってくる。最近は相手の方が球際や動きの量でも上回っているよね。大宮やマリノスも一生懸命さが伝わってきた。今のJリーグは力の差がないんだから、自分たちももっとそういう部分を出さないと、簡単には勝てないよ」

小笠原がイエローカードをもらう理由

 07年夏のJリーグ復帰以降、ボランチにコンバートされた男は「守備の重要性」を心に強く刻んでいる。06年ワールドカップ(W杯)・ドイツ大会での惨敗直後に挑んだセリエA(当時)のメッシーナでは、異国のサッカーのタフさを痛感する日々だった。リーグ戦出場はわずか6試合、ゴールもエンポリ戦で挙げた1点にとどまったが、そんな厳しい状況下にいたからこそ「ボールを奪うことの大切さ」を思い知ったという。

「守備ひとつ取ってみても、日本では『アプローチして相手のコントロールが良ければ止まりなさい』って教わってたけど、イタリアでは何でも『つぶしにいけ』と言われる。イタリアの選手たちは飛び込んで取るうまさも、スライディングするうまさもある。日本では『ゴール前付近ではPKを与える危険性があるからスライディングはするな』と教わったのに平気で行くしね。世界に出ると、Jとは違うサッカーがあるんだと分かった。自分はそれができなかったから、試合に出られなかったんだと思う。そうやって実際に見て得てきたものは、今も絶対に失いたくないからね」


 イタリアとJリーグでは審判の判定基準が大きく異なる。小笠原は厳しい寄せを意識しすぎて、たびたびイエローカードを受ける。「日本にいるんだから日本の基準に合わせないといけないんだけどね……」と反省しつつも、激しくボールを奪いにいくポリシーは決して曲げない。彼は今もなお「世界基準」を見据えているのである。


 06年W杯ドイツ大会を最後に、日本代表からは遠ざかったままだ。イビチャ・オシム、岡田武史両指揮官には一度もチャンスを与えられていない。この3年間、10代のころから共に日の丸を背負ってきた黄金世代の仲間たちが次々と招集されるのを、彼はじっと黙って見ているしかなかった。この扱いは、国際Aマッチ53試合出場7得点の実績を誇る男にとって、屈辱以外の何物でもなかった。06年後は、悔しさゆえに1年半以上も代表戦を見ることができなかったという。


 そんな状況でも、3度目のW杯出場をあきらめたわけでは決してない。

「僕らは協会が力を入れて強化してくれた世代。ジュニアユースのころから世界中のあちこちへ行ったし、Jリーグでも勝ったり負けたりして、いろんな経験を積み重ねてきた。だから、みんなサッカーをよく知っていると思う。今は世代交代を進めたいのかもしれないけど、歳は関係ないはず。代表は若手を育成する場じゃないからね」と小笠原は代表での不完全燃焼の思いを口にする。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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