三沢さん追悼興行に超満員17000人が集結=ノア

高木裕美

潮崎が三沢さん追悼興行でGHC初防衛に成功 【t.SAKUMA・前島康人】

 今年6月13日、広島大会の試合中のアクシデントによる頚髄(けいずい)離断によって46歳で逝去したプロレスリング・ノアの前社長・三沢光晴さんの追悼興行「GREAT VOYAGE ’09 in TOKYO 〜Mitsuharu Misawa,always in our hearts〜」が27日、東京・日本武道館で行われ、立見席まで出るほどの超満員となる1万7000人を動員した。

 三沢さんは1981年に全日本プロレスに入門し、わずか5カ月でデビュー。84年からは二代目タイガーマスクとして活躍し、90年5月に自らマスクを脱いで素顔になると、その後はエースとして活躍。00年には選手・スタッフを引き連れ、理想の団体作りを目指してノアを旗揚げするなど、選手としてもフロントとしてもあらゆる意味でプロレス界をけん引してきた。

 7月4日にディファ有明で行われた「三沢光晴お別れ会〜DEPARTURE〜(献花式)」には2万5000人のファン・関係者が参列し、その人気の高さと人徳を改めて証明。追悼興行は約1週間後の10.3大阪府立体育会館でも開催される。

潮崎がバックドロップを乗り越えV1に成功

三沢さんが乗り移ったか、エメラルドフロウジョンも発射した潮崎(右) 【t.SAKUMA・前島康人】

 メーンイベントでは、GHCヘビー級王座をかけて王者・潮崎豪と挑戦者の齋藤彰俊が激突。あの事故が起きた6.13広島大会で三沢さんの最後のパートナーを務めた潮崎と、最後の対戦相手となった齋藤による、ベルト以上の大きなものがかかった一戦に観客も惜しみない歓声を送った。

 三沢さんは広島大会で潮崎と組んでバイソン・スミス&齋藤組の持つGHCタッグ王座に挑戦。試合中、齋藤のバックドロップを食らった直後に動けなくなり、齋藤組の勝利となったあとで救急車で病院に直行。午後10時10分、そのまま帰らぬ人となった。
 あれから3カ月。三沢さんが亡くなった翌日に行われたGHCヘビー級王者決定戦を制してGHC王者となった潮崎に対し、齋藤は事故以後バックドロップを封印。しかし、9.12後楽園ホールではついにバックドロップを解禁して、王座挑戦権を自らの手で、自らの意志でつかみ取った。

 純白のコスチュームで試合に臨んだ齋藤を、観客も大「彰俊」コールで応援。序盤は潮崎の右腕を攻める作戦に出ていた齋藤だが、10分過ぎ、この日1発目のバックドロップを繰り出すと、観客は大きなどよめきのあとで拍手。齋藤の決意を支持する。
 この強烈な一撃を場外エスケープでしのいだ潮崎は、むしろこの一撃で喝を入れられた様子で、大声を出して自らを奮い立たせると、ムーンサルトプレス、チョップを炸裂。しかし、齋藤もカカト落としから急角度のバックドロップ。またも客席が驚きに包まれるなか、潮崎がこれをまさかのカウント1でクリアし、どよめきを歓声に変えた。
 潮崎はさらに三沢さんの必殺技であったエメラルドフロウジョン、エルボー、ローリングエルボーを発射。最後は自身のオリジナルホールドであるゴーフラッシャーで齋藤を振り切り、見事に初防衛を果たした。

 三沢さんが自身のタッグパートナーとして託そうとしていた“ノアの未来”をベルトという形に変えて守った潮崎は「自分はチャンピオンらしくないので、回を重ねて、もっとでっかいチャンピオンになりたい」と真のエースに成長していくと宣言。三沢さんの遺影に見守られ、三沢さんの技を使うことで「なんか心強かった」と数々の重圧をはねのけた潮崎は、天国の三沢さんに向かって「一緒にまた酒を飲みたいですね」と呼びかけた。

 一方、試合後の追悼セレモニーで三沢さんを見送り、涙で目を真っ赤にした齋藤は「今日は何の言い訳も悔いもない」と素直に潮崎の勝利を祝福。「三沢社長の跡を継いでプロレス界を引っ張っていってくれ。頼む」とすべての思いを王者に託した。

“鉄人”小橋と“天才”武藤が初対決

小橋との初対決を終えた武藤は、三沢さんの遺影を指差して退場 【t.SAKUMA・前島康人】

 セミファイナルでは田上明と武藤敬司(全日本プロレス)が社長タッグを結成し、小橋建太&高山善廣組と対戦。90年代にプロレス黄金時代を再興した四天王vs.闘魂三銃士の「最後の夢のカード」である小橋と武藤の初遭遇に、超満員の観客が熱狂した。

 90年当時の小橋と武藤とは共にオレンジ色のタイツでムーンサルトプレスを得意技としており、何かと比較される機会も多かったが、意外なことにこれまで対戦もタッグを組んだ機会もなし。しかし今回、特別試合として初対決が決まり、さらに新日本プロレス10.12両国国技館では蝶野正洋&武藤&小橋による初タッグ結成も決定(対戦相手は中西学&小島聡&秋山準組)。もっとも機運が高まった今、ついに夢対決が現実のものとなった。

 三沢さんと初対戦した04年7.10東京ドーム大会以来、5年ぶりのノア登場となる武藤は、三沢さんのイメージカラーである緑を裏地に使った白いガウンで登場。ファーストインパクトでいきなり小橋に場外でシャイニングウィザードを打ち込むと、小橋も自身の代名詞であるチョップで反撃する。さらに武藤がイスを手に威嚇すれば、小橋はあえて「来い」と挑発。ならばと武藤は低空ドロップキック、ドラゴンスクリュー、足4の字固めという黄金連係を繰り出すが、小橋はチョップで強引に振り切る。
 なおも小橋はハーフネルソンスープレックスを炸裂し、さらに武藤の胸板へマシンガンチョップを乱射。互いのプライドをかけたムーンサルトプレス対決は相手チームの妨害にあい互いに不発に終わったものの、小橋が剛腕ラリアットで田上を仕留めるまで、20分以上に渡り激闘を繰り広げた。

 三沢さんとは結局5年前の一度しか対戦できずに終わってしまった武藤は、小橋との再戦について「この続きはどこであるかは分からないけれど、また夢の続きを……」と、不発に終わったムーンサルトプレス対決の実現に期待。試合後はさっそく社長の顔に戻り、この日の試合中に武藤の必殺技であるシャイニングウィザードを使った田上に対し「社長だったらロイヤリティーいらないですからドンドン使ってください」とあおると、グレート・ムタにも興味を示した田上を「あのコスチューム、高いですよ」とけん制し、ビジネスモードに突入した。

 一方、小橋は武藤との初遭遇について「素晴らしい選手。当たる時間は少なかったけど、いい刺激になった」と振り返ると、「またどこかで会うかもしれないね」と再戦の可能性を示唆。まずは10.12両国で実現する初タッグ結成に意欲を見せた。

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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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