“らしさ”が見られなかった菊池雄星の夏=タジケンの甲子園リポート2009

田尻賢誉

異常だったセンバツ準優勝後のフィーバー

夏の甲子園準決勝・中京大中京高戦で敗れてチームメートと涙で抱き合う菊池(右) 【写真は共同】

 異変は、県大会からあった。
 準決勝・盛岡中央高戦の試合後、1カ月ぶりに花巻東高・菊池雄星と顔を合わせると、そこには高校生らしいニキビ顔があった。
 春にはなかったニキビ。「ストレスでできたんじゃない?」と声をかけると、「あー、はい。そうかもしれません。でも、ケアしてないだけなんで」と微妙な反応が返ってきた。

 センバツ準優勝後、周囲のフィーバーぶりは異常だった。特に150キロ左腕として名前の売れた菊池雄星は別格。地元では野球に興味のない一般の人でも菊池雄の顔や名前だけは知っていた。コンビニに行けば「雄星がコンビニで何か買っている」と学校に連絡が入る。ときには花巻東高の野球部というだけですべて「雄星が……」と言われた。
 マスコミの取材も殺到。花巻東高は取材に協力的で、お願いすれば時間を割いてくれるのをいいことに、無理な要求をする社もあった。グラウンドを訪れ、投げる予定のない日に「投げている映像がほしいから」と投球練習をさせる。菊池雄の誕生日には、実家のある盛岡市から母・加寿子さんを花巻市の寮まで連れてきて「誕生日プレゼントを渡すところを撮りたい」ということもあった。甲子園の開会式リハーサル終了後には、駐車場のある浜甲子園まで加寿子さんを連れてきて、菊池雄にひと声かける姿を撮影したところもある。甲子園では高野連によって取材可能エリアが限られており、浜甲子園は取材禁止地域。花巻東高には直前まで高野連の役員がそばについていたが、いなくなったのを見計らっての撮影だった。
 プロ野球のスカウトにも一部に常識を疑う人がいた。自分が観戦に来た試合に登板しないと「登板日を教えろ」と文句を言う。アポなしでグラウンドに来て、スタッフを困惑させる米大リーグのスカウトもいた。これからの野球界を背負って立つ人材の足を引っ張ってどうするのか。高野連からは、センバツで連発した「ガッツポーズ禁止令」も出されている。

背中の痛みにつながった投球フォーム

“超高校級”といわれても、菊池雄はまだ18歳。あまりの天然ぶりに、普段はチームメートからの突っ込みを受けるキャラクターだ。失礼ながら、普通の田舎の高校生。スターの宿命とはいえ、周囲がこんな状況では、いつもどおりのパフォーマンスを見せるのは難しかった。
 菊池雄本人も「調子がいい」と思って登った初戦の長崎日大高戦は、3本塁打を浴びた。150キロを記録しながら打たれたことで、ショックは大きく、余計な力が入った。登板翌日は「いつもは肩甲骨周りしかハリが出ないんですが、あのときは腕全体にかなりハリが出ていました」(佐藤一トレーナー)。身体のマッサージをしていても、いつも以上に痛がった。
各方面から「スライダーのときに腕が下がる」といわれたことも影響した。不調の最大の原因は右足を上げたときに、右足が頂点まで上がりきる前に体重移動が始まっていたこと。秋の東北大会と同じ悪い状態だったが、ひじの高さを修正することばかりに気持ちがいってしまった。ひじを上げようとするあまり身体が傾き、上半身に負荷がかかる。結果的にはこれが背中の痛みにつながってしまった。
 高校時代、同じように「スライダーのときに腕が下がる」といわれていた田中将大(楽天)は当時こんなことを言っていた。
「ひじ下がってるのは分かってますよ。意識して下げてますから」
 これぐらいの反応をできるほどの余裕は、菊池雄にはなかった。

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著者プロフィール

スポーツジャーナリスト。1975年12月31日、神戸市生まれ。学習院大卒業後、ラジオ局勤務を経てスポーツジャーナリストに。高校野球の徹底した現場取材に定評がある。『智弁和歌山・高嶋仁のセオリー』、『高校野球監督の名言』シリーズ(ベースボール・マガジン社刊)ほか著書多数。講演活動も行っている。「甲子園に近づくメルマガ」を好評配信中。

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