邪道&外道デビュー20周年記念インタビュー[前編]=新日本プロレス

スポーツナビ

8.30後楽園ホールで20周年記念興行を開催する邪道(左)&外道にインタビュー 【スポーツナビ】

 30日に東京・後楽園ホールでデビュー20周年記念興行「GET OUT OF MY WAY 〜JG20FTW〜」を開催する邪道&外道。FMW、WARなど多くのインディー団体を渡り歩き、現在は新日本プロレスで活躍する2人のタッグワークは“世界最高峰”と称され、試合巧者ぶりを存分に発揮している。

 そこでスポーツナビでは邪道&外道を直撃し、2部構成でインタビューをお届け。波乱万丈に満ちたプロレス生活20年、8.30後楽園大会の見どころはもちろん、試合中に何を考え、どう動いているのか――。2人にしか体現できない至高のプロレス技術論も語られている。

外道「どうやったら金稼げるかばっかり考えてた」

抜群のコンビネーションで新日本にまでたどり着いた両者(写真は08年11月後楽園ホール) 【前島康人】

――まず20周年を振り返って長かったですか? アッと言う間ですか?

邪道 アッと言う間といえばアッと言う間だし、長いといえば長いですよね。波乱万丈ですから。

外道 そうですね、そんな感じですね。いろいろあって短かったといえば短かったし。

――パッと振り返って頭に思い浮かぶ出来事などはありますか?

邪道 いい思い出というのは、だいたい忘れちゃうもんでね。イヤな思い出ばっかりしか残ってないね。ほとんどイヤな思い出だよ。

――具体的にはどういったことですか?

邪道 つらいことばっかりですよ。まぁでも好きな仕事だからできるんであって。好きじゃなかったら別に……練習の面とか食事の面とか人間関係とかね、特殊な世界ですから。そこで20年間生き残ったというのは、自分で自分をほめてあげたい(笑)。

外道 20年間、常に俺ら変化してたからね。最近やっと新日本に定着したけど、新日本の中でも自ら変化し続けてきたつもりだから。それ以前は必然的にバンバン団体は変わるわ、メキシコやアメリカに行くわで常に変化してきたから。“変化”の歴史ですよ。

――やはりインディー団体時代の活動は波乱万丈で、貴重な経験ができたという感じですか?

邪道 まぁ貴重な経験というか、ほかの人にはできなかった経験で。いい面もあるかもしれないですね、悪い面ばかりじゃない。レスラーとして成長させてくれたかもしれない、その経験は。今になって思えばですよ? その当時は「冗談じゃねぇよ」とか思ってたし。

外道 悲惨なもんだったよ。だったけど、その分「どうにか抜け出そう」というね。「どうにか上行って金稼いでやろう」と、そればっかり考えてやってきてた。とにかく人一倍だったと思うよ、その辺の考え方は。「どうやったら金稼げるようになるかな?」とかね。

――ハングリーだったわけですね。ちなみにお二人の師匠というのは?

外道 アポロ菅原さん。

邪道 あの人に受身のイロハとか教わったからね。まぁポイント・ポイントで師匠はいるんだけどね。

外道 いろんな人と出会いながら(やってきた)。“心の師匠”とかね(笑)。

――“心の師匠”は誰にあたるんですか?

外道 やっぱり(阿修羅)原さんとか、冬木(弘道)さんとかかな。

邪道 最初は菅原さんで、メキシコに行ったら今度はグラン浜田さんにいろいろ教わって、それで帰ってきたら冬木さんとか原さんとかね。

――多くの人に影響を受けたわけですね

邪道 いい人に巡り会えたといえば巡り会えたかもしれない。

――さてタッグを組まれて長いですが、組み始めてすぐに「合うな」と思ったりしたんですか? それとも徐々に合わせていったのか

邪道 徐々にじゃないですね。もう最初からずっと、いつの間にかつるんでたし。

外道 いつの間にかですよね。

邪道 そんなものなんじゃないですか? 長く続く秘訣というのは。「じゃあ組もう」と言って、お互いに合わせていったら、そこまで続かないよね。

外道 考えてたらダメです。自然が一番。

――恋愛と一緒かもしれないですね

邪道 夫婦と一緒です(笑)。

邪道「新日本でも2人の技術を持っていれば通用すると思っていた」

2人とも口をそろえてキツかったと語るヘッドハンターズの空中殺法(写真は07年10月ハッスル後楽園) 【t.SAKUMA】

――では今までジャイアント馬場さんとも戦われたり、いろいろな人と対戦していますが「スゲーな」とか思った選手はいますか?

邪道 いや馬場さんは「スゲーな」と思いましたよ。十六文キック喰らったときは「これが十六文か」とか「これが脳天唐竹割りか」ってね。一番最初に長州(力)さんのラリアットを喰らったときも「おお、これが長州力のラリアットか」と思ったしね。天龍(源一郎)さんの顔面蹴りを喰らったときも「痛てぇ〜!」と思いながら、「これが顔面蹴りか」ってね。

外道 俺が一番感動したのはWARで“ロックンロール・エキスプレス”とやったときだね。リック・モートンとロバート・ギブソン。80年代にものすごく人気のあったタッグチームで。昔、テレビ東京で「世界のプロレス」って番組をやってて、そのときに“ミッドナイト・エキスプレス”(ボビー・イートン&デニス・コンドリー)とロックンロール・エキスプレスが毎週のように戦ってたんだけど、その試合が好きでね。それでロックンロール・エキスプレスと戦ったときは、自分がミッドナイト・エキスプレスになったような気分で(笑)。あれは一番感動したな。

――実際に戦って、どういう感想を持ちましたか?

外道 あのころは両タッグチームとも好きでしょうがなかったからね。17〜18歳ぐらいのとき。それと自分が戦う……ミッドナイト・エキスプレスも好きだったんですよ。それになった気分で実際にロックンロール・エキスプレスと戦ったときは「うわ〜」って思いましたね。

――そうしてインディー時代を経て新日本に上がったわけですが、今までの世界と「違うな」とか感じられたんでしょうか?

邪道 2人の技術を持っていれば、通用すると思っていたし。それは別に臆するところはなかったし。新日本に来たからといってね。実際に通用しているし。

外道 新日本が「どんな所かな?」というのは最初に来るときあったけど、入ってみて「あ、行けるな」とすぐに思ったよね。やっぱり、いろんなヤツを相手にしてきたからね、それまでに。とんでもないヤツを相手にしてきたから。それは必然的に技術はつくわね。

――なるほど。さて20年を振り返って、お二人の中でライバルはいらっしゃるんですか?

邪道 ライバルっていうライバルは、そんなにいないんだけどね。

外道 行く団体、行く団体で「あ〜コイツらとよくやるな」っていうのはいるんだよね。コロコロ変わるからさ。ヘッドハンターズだったときとか。よくやったなぁ。あんなクソみたいなデブと。

邪道 シルバー・キング&エル・テハノ組もすごいやったし。そう考えると、デカイやつとしかやってなかったからね。

外道 平成維震軍ともよくやったね、冬木軍として。

――やはり大型選手との対戦が多いですね

外道 新日本に来てからは、だいたいジュニアタッグの攻防を巡る相手がライバルだったね。

邪道 今までずっとデカイやつとばっかりやってきたから、新日本に来てラクでしたもん。「ああ、このぐらいのサイズのやつか」と。160キロぐらいのヤツはコントロールしにくいしね。それがいきなり90キロぐらいのヤツを相手にするとコントロールしやすいもん。

――そこでやはり新日本でもやっていける確信を得たと

邪道 全然、余裕でした。ヘッドハンターズなんてムーンサルト・プレスを喰らってたんだからね。死ぬよ、やっぱりあんなの。

外道 よく背中が「バキバキッ!」っていったよな。よく脊髄の“音”が聞こえましたよ。

邪道 鳴らない骨が鳴ったりするから。

外道 逆に健康になっちゃったりしてね(笑)。

邪道 スッキリしちゃったりしてな(笑)。

外道 でも「死んだんじゃないかな?」って音するからね。あんなの(ヘッドハンターズ)に乗られたら。

――それって単純に大丈夫なんですか?

外道 大丈夫なんすよ。人間の体は強いもんですよね〜。おそらく一瞬の衝撃は何トンの世界ですよ。あいつがトップロープから飛んできたら。

――自分だったら死ぬ自信があります

邪道 いや、意外と死なないですよ。死にはしないです。

外道 死にはしないけど、“ビックリ”するかもしれない(笑)。

――いや、ビックリでは済まなさそうですけど(笑)

外道 皮膚から血液が噴き出すんじゃないかっていう感覚があるんすよ。ビックリするんですよ。“ボンッ”っていうね。

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