広島が起こすセンターバック革命=躍進を支える“超攻撃的3バック”

中野和也

2人のストッパーは“ストライカー”

ストヤノフ、森脇と共に最終ラインを形成する槙野。ストライカーの役割も果たす。 【写真は共同】

「攻撃時、広島は4−1−5の形になる」と磐田・柳下正明監督は語る。3バックの間にボランチが下がり、槙野と森脇が両サイドに開いて4バック的な形になって、サイドをFWのラインまで押し出す。この広島のシステムは、今やすっかり有名になった。
 ただ、広島における攻撃時の「4バック」は、他チームとは意味合いが違う。通常、サイドバックの攻撃参加は、クロスの供給によるチャンスメークが主なタスク。しかし広島の場合、サイドに開いたストッパーの2人は、チャンスメーカーというよりも“ストライカー”だ。「槙野の怖さは、シュートまでやり切ってしまうこと」という加藤監督の言葉が、その事実を証明している。

 つまり、「4−1−5」という数字の並びだけでは、広島の攻撃は説明がつかない。攻撃時、サイドに開いた両ストッパーは、まさにフリーマン。縦に行くことも、中に入ることも、裏に飛び込むこともやってのける。「FWのようなDF」と言えば闘莉王(浦和)が思い浮かぶが、広島には彼のような選手が3人いて、彼ら3人の攻撃参加がチーム戦術に織り込まれていると言えば、その破壊性を理解してもらえるだろうか。

 実際、昨年のJ2第43節・草津戦では、敗戦濃厚な後半ロスタイムに槙野のシュートが佐藤寿のひざに当たって同点、その直後に森脇が美しいミドルをたたき込み、2人の“ストッパー”が土壇場で試合をひっくり返した。しかも2ゴールとも、流れの中からの得点だった。
 これが「J2だからやれた形」でないことは、今季の戦いが証明している。例えば、槙野は前述の神戸戦において、流れの中でゴール前まで侵入し、ミキッチのクロスをトゥーキックでシュート。榎本のスーパーセーブに防がれるも、「次は絶対に決めてやる」と闘志を燃やし、前半のうちにゴールを決めた。森脇は第2節・大宮戦で高萩にボールを預けると、そのままフリーランニングを敢行。ゴールエリアの中でミキッチのクロスを待ち受け、強烈なヘッドをさく裂させて得点を決めている。

 ストヤノフは最後尾からのロングパスだけでなく、ドリブルでボールを持ち上がり、トップ下のポジションを取ってスルーパスを供給する。槙野は「日本代表でFWの練習ばかりやってきたし、今はどんなシュートでも決められる」と力強く語り、森脇は強烈な左右のキックからミドルシュートに自信を持ち、「このゾーン(ペナルティーエリアやや外側)を“森脇ゾーン”と呼んでほしいから、しっかりとシュートを決めたい」と腕をぶす。
 ストヤノフはまさに「本物のリベロ」で、日本でよく見かける「スイーパー的リベロ」ではない。槙野や森脇のプレースタイルも、もはや「ストッパー」という言葉では説明できない。「後ろから攻撃に参加し、相手陣内で数的優位を作れ」というペトロヴィッチ監督のコンセプトは、槙野、ストヤノフ、森脇というタレントを得たことによって実現した。今季、負傷の多い森脇のコンディションが上がってくれば、広島の攻撃はさらに破壊力を増すだろう。

守備面を改善して日本サッカーに革命を

 もちろん、これほどの超攻撃性は、広島の圧倒的なポゼッション能力があればこそ。中盤で主体的にボールを回し、時間を作る手管に長じることなくして、「超攻撃的3バック」は存在し得ない。ただ、攻守にわたる絶対的な司令塔=森崎和幸不在の影響で、広島が開幕当初よりも高い位置でボールを奪取できなくなってきたことによって、3バックの守備面での脆さが浮き彫りになりつつある。
 例えば、「クロスに対するマークが甘い」とDF加賀健一(磐田)が指摘するように、広島の守備はクロスやセットプレーに弱い。ボール奪取能力に長け、攻守に絶対の統率力を誇る森崎和不在の影響からか、ラインがズルズルと下がってしまい、サイドバックを自陣近くに引き寄せてしまったことが、ここ最近の失点の要因だ。

 しかし、そんなチーム全体の課題を差し引いても、90年代後半の広島に存在した鉄壁の3バック(ポポヴィッチ、上村健一、フォックスまたは伊藤哲也)を見た者からすれば、現在のゴール前の守備は物足りない。磐田戦のように、人数がそろっているのにアーリークロスで失点することなど、当時はあり得なかった。確かに「守備の陣形を崩されているわけではない」(ペトロヴィッチ監督)のだが、それでも失点は失点。そのことが広島サッカーの歴史的価値を減じている事実は、やや大げさな表現ではあるが、「日本サッカー界の損失」と言っていい。

 局面での力強さを身につけ、ボール奪取の位置を高くして失点を最小限に抑えられるようになれば、広島の「超攻撃的3バック」は日本サッカーに革命を起こす可能性もある。ただし、革命とは成功して初めて歴史に名を刻めることも、忘れてはならない。

<了>

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著者プロフィール

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。近著に『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ソル・メディア)

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