明らかになった課題と希望=宇都宮徹壱の日々是連盟杯2009

宇都宮徹壱

孤立の連続だった、南アサッカーの歴史

空港で見つけた、南ア代表の歴史をモチーフにした広告。この15年で南アのサッカー界は格段の進歩を遂げた 【宇都宮徹壱】

 南アフリカ滞在6日目。この日は、前日試合があったブルームフォンテーンから飛行機で早朝にヨハネスブルクに移動。現地のホテルはネットがつながらなかったので、ようやく空港の無線LANに接続して、ほっと一息つくことができた。ほとんど寝ていない、もうろうとした気分で到着出口にやってくると、来年のワールドカップ(W杯)開幕のカウントダウンボードは「350(日)」となっていた。そうか、あと50週間で本番なんだな――。あれほど遠くに感じられていた南アでのW杯が、いよいよリアリティーをもって目前に迫ってきたことを、あらためて実感する。

 タクシードライバーの到着を待つ間、しばし空港にあるW杯関連の広告をじっくり観察してみた。最も印象的だったのが、地元の銀行によるものと思しき、バファナ・バファナ(南ア代表の愛称)の歴史をパノラマ的に展示したものである。1年ごとにトピックスがまとめられたパネルには、1995年から始まって、96年のアフリカネーションズカップ優勝、98年のW杯初出場、2004年のW杯開催決定など、09年までの激動の15年が日本人の私にも分かりやすくつづられてある。

 それにしてもなぜ、南ア代表の歴史がたった15年でまとめられてしまうのだろうか。これには、南ア特有の歴史が深く関与している。南アのサッカー協会は、アフリカ大陸でも最も古い部類に属する1932年に設立されている。直後に代表チームも結成されたが、当時のアフリカ大陸はほとんどが欧州の支配下にあり、交通のインフラも整っていなかったため、南ア代表は地理的に孤立を余儀なくされていたのである。やがて1960年代に入り、アフリカで次々と独立国家が誕生。これと前後して、57年からはアフリカネーションズカップがスタートするのだが、南アは参加を認められなかった。理由はアパルトヘイト(人種隔離政策)である。66年以降のW杯予選もFIFA(国際サッカー連盟)から参加を拒否され、今度は政治的に孤立を深めていく。

 ようやく南アが国際舞台の復帰が認められたのは、当局によって長年勾留されていたネルソン・マンデラが解放され、アパルトヘイト撤廃への道筋が見えた91年のことだ。それからたった5年でアフリカ王者となり、さらにその4年後にW杯ホスト国となることが認められた。こうして考えると、近年における南アのサッカーの歴史の速度は、ある意味、日本のそれをはるかに上回っているように思えてならない。

南アにとって一番の「前途多難」とは?

 準決勝で、ようやくホスト国・南ア代表の試合を見ることができた。会場のエリスパーク・スタジアムには4万8049人もの観客が詰め掛け、すっかりおなじみとなったブーブーゼラの音も一段と勇ましく響く。「米国の次はおれたちだ!」――そんな思いが、彼らの中に少なからずあったことは容易に想像できる。とはいえ、この日の相手は、あのブラジル。しかも今大会の南アは、どうにもパッとしない戦績だ。グループリーグで勝利したのは、オセアニア王者のニュージーランドのみ(2−0)。イラクとスペインに対しては、1ゴールを奪うことさえかなわなかった。アフリカ王者として参加し、イタリアに勝利したエジプトと比べると、どうにも存在感の薄さは否めない。

 選手層でも、ホスト国の南アは実に控え目に感じられる。最も有名なのは、エバートン(イングランド)に所属する10番のピーナールくらいか。スタメンクラスで国外でプレーしているのは、ブラックバーン(イングランド)所属でチームキャプテンのモコエナ、マッカビ・ハイファ(イスラエル)所属のマシエラ、そしてレッドスター(セルビア)所属のパーカーくらい。それ以外は、スタメンの大半が国内組である。カカ、ロビーニョ、ルシオといった世界的スターをそろえるブラジルと比べると、いかにも地味な印象はぬぐえない。そもそも南アには、ドログバ(コートジボワール代表)やアデバヨル(トーゴ代表)クラスの“怪物”は存在しない。どう考えても「個の力」で、目の前の困難を打開するようなチームではないことは明らかである。

 南アに関して、もうひとつ不安に感じるのが、歴代指導者の一貫性の希薄さである。初めてのW杯出場となった98年には、のちに日本代表監督となるフランス人のトルシエが指揮。その後、ケイロス(ポルトガル)、バクスター(スコットランド)と、妙に日本と縁のある監督が続き、06年からはブラジル人でW杯優勝経験(94年)のあるパレイラが就任。このままW杯まで指揮を執るかと思われたが「妻の病気」を理由に、わずか2年で退任してしまう。後任に選ばれたのは、ベガルタ仙台での監督経験もある、現職のサンタナ。だが「ブラジル路線」を継承しているとはいえ、それでも決してベストの選択ではなかったように思えてならない。こうした一貫性のなさは、さながらどこかの極東の国の監督選びを見ているかのようである。

 正直なところ、開催国・南アにとっての「前途多難」とは、治安の回復やスタジアム建設以前に、代表強化の部分で最も不安が残っているように思えてしまう。96年のアフリカネーションズカップ優勝以降、タイトルからは遠ざかり、突出したタレントにも恵まれず、06年W杯では予選敗退の屈辱も味わった。そんな中で迎える、今回のコンフェデ杯。国民の期待がいやが上にも高まる中、この準決勝でブラジル相手にどんな戦いを見せるのか。その意味でも、なかなかに興味深いカードであると言えよう。

1/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント