デイヴィッド・ベッカムの誤算=東本貢司の「プレミアム・コラム」

東本貢司

ベッカムの2つの誤算

イングランド代表の一員として2010年W杯欧州予選を戦う34歳のベッカム 【Getty Images】

 どんな人生にも誤算はつきものである。その数の多少は、おそらくあまり意味を持たない。それなりに影響をもたらすのは、それぞれの誤算の「幅、奥行き」と、その「反動、反作用のあるなし」(ある場合にもその幅、奥行きが関係する)だろうか。平たく言えば、誤算が誤算のままで人生が進んでいくのか、それとも、誤算を糧にして何かを得る、もしくは失ったものを取り戻すのか。その場合に違いを生むのは、その人の資質とそれに基づく努力の幅(奥行き)と継続性――。

 本稿に求められたテーマ「デイヴィッド・ベッカムの誤算」は明らかに“後者”の典型的な物語だと考えられる。申し出を受けた当初はその意図を判じかねたが、なるほどと考え直した。誤算とは何も「現在進行中」とは限らない。ご存知のように、ベッカムは故ボビー・ムーアのイングランド代表最多出場記録を更新したばかりだ(ここでの「最多」は「フィールドプレーヤーの」というただし書きがつく。GKも含めれば最多記録保持者はピーター・シルトン。その場合、ベッカムは歴代2位ということになる)。そして、今後もその記録を伸ばす可能性は十分に見込める。ならば、誤算が「現在進行中」と評するのはどう考えても筋違いであり、失礼とさえ言うべきだろう。そう、ベッカムこそは、過去にいくつか巡ってきた大小の誤算を、弛(たゆ)まざる努力と信念でもって乗り越え、今日の極めて幅広く奥行きのある“かつてない”成功物語を演出し、自ら現在進行形で演じていると言えるのだ。

 真の意味でのベッカムの過去の誤算、つまり、自身が予期できなかった事態に遭遇した事象は2つ。つまり、身も心もささげていたはずのマンチェスター・ユナイテッドから事実上追われるように退団を余儀なくされたことと、2006年ワールドカップ(W杯)後のスティーヴ・マクラーレン新体制プランから除外されたこと。それだけである。

 今や伝説の域に入った「1998年W杯の退場事件」(アルゼンチン戦でシメオネに報復行為をして退場処分を受けた)は、それが一瞬の激情による違反行為の代償だったのであり、冷静に振り返ってみれば自業自得と納得できたはずのものであって、決して誤算などではない。ちなみに、この一件は8年後のW杯決勝でジダンが負った退場にほぼ通じるものがある。双方とも、普段から横行しているアスリートにあるまじき非紳士的行為・言動に対する憤激と、無意識にも何らかの形で訴えずにはいられないという使命感に似た感情の発露――という意味では、むしろ価値ある“覚悟の自己犠牲”だと評価したい。

ポルトガル戦での悲壮な決意

 では、ユナイテッドがトレブル(三冠)を達成した1999年のバロンドール(欧州年間最優秀選手/当時)、およびFIFA(国際サッカー連盟)最優秀選手賞を逸したことはどうか。確かに、同シーズンを通しての貢献度、チャンピオンズリーグ(CL)決勝の劇的な逆転勝利を演出した象徴的な2つのCKに鑑(かんが)みれば、当然ベッカムは最有力候補であってしかるべきだった。だが、不可解であろうと何であろうと、あるいは仮に98年の“反抗的行為”の余韻が影響したのだとしても、ジャーナリズムや統括機構の移ろいやすい選考基準は、いわば時の運。いずれにしても、願望を含めて個人の自力でどうなるものでもない。ならば、誤算と呼ぶには当たらないだろう。

 故障の類(たぐい)も同様だ。それが重大な時期に巡ってこようとそうでなかろうと。事前のCL準々決勝で傷めた足は、2002年W杯の本番に間に合いこそすれ、日本での大会を通じて痛みをこらえてプレーせざるを得なかった。つまり、必然のハンディ、不運のさせるわざ。故障に祟(たた)られるのは全フットボーラー、すべてのアスリートの宿命である。その都度、誤算うんぬんで形容していてはキリがない。

 06年W杯の大会後半に突如体調を崩したのも似たり寄ったりだが、ここには少なくとも“第2の真の誤算”につながる伏線が絡んでくる。結局、PK戦で敗れることになる運命のポルトガル戦終盤、ベッカムは自ら願い出てベンチに下がり、今にも倒れ込みそうな痛々しい表情で戦況を見守るしかなかった。少々のことではへこたれない点にかけては人一倍、責任感も人一倍のベッカムが、である。よほど気分が優れなかったのだろう。悔しい、情けない以上に、監督以下スタッフおよびチームメートにすまない気持ちでいっぱいだったろう。それが“最終的な引き金”となってキャプテン辞任の腹を固めた――。
 だが、その“悲壮”な決意がまさか、代表キャリアそのものを危機に陥れる引き金にもなろうとは、ベッカム自身にも思いもよらなかったに違いない。

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著者プロフィール

1953年生まれ。イングランドの古都バース在パブリックスクールで青春時代を送る。ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ケヴィン・キーガンらの全盛期を目の当たりにしてイングランド・フットボールの虜に。Jリーグ発足時からフットボール・ジャーナリズムにかかわり、関連翻訳・執筆を通して一貫してフットボールの“ハート”にこだわる。近刊に『マンチェスター・ユナイテッド・クロニクル』(カンゼン)、 『マンU〜世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ』(NHK出版)、『ヴェンゲル・コード』(カンゼン)。

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