第3回 サッカー・シティ探訪(6月22日@ヨハネスブルク)=宇都宮徹壱の日々是連盟杯2009

宇都宮徹壱

南アでの欠かせない“足”タクシーについて

ヨハネスブルグのダウンタウンで見つけた、巨大なサッカーボールが描かれたビル 【宇都宮徹壱】

 南アフリカ滞在3日目。この日もヨハネスブルクは快晴である。
 午後、ホテルのレセプションから「トランスポーターが到着しました」という知らせが入る。「トランスポーター」とは、当地におけるタクシーの総称で、南アを移動する上では欠くことのできない“足”だ。現地での行動は、とにもかくにも、まずはタクシーを呼ぶことから始まるのである。

 第1回目のコラムでも書いた通り、当地での移動手段は「タクシーしかない」と考えた方がよい。鉄道やバスなどの公共交通機関は、残念ながら犯罪の巣くつとなっており、ホールドアップの対象となる確率は極めて高いとされる。流しのタクシーに関しても、気が付くと人気(ひとけ)のない場所に連れて行かれたり、あるいはドライバー同士の縄張り抗争に遭遇したり(銃撃戦さえあるそうだ)、なかなかにスリリングな乗り物だったりする。従って、最も安心できる交通手段は、必然的にホテルでチャーターするタクシーということになる。空港からホテルに向かう場合も、事前にホテル側に連絡して、送迎タクシーを用意してもらうのがベスト。空港から宿泊施設の多いサントンまでは400ランド(約4800円)が相場のようだ。かなり割高なイメージがあるが、仕方がない。これも安全への投資と割り切るしかないだろう。

 さて、今回はホテルの部屋をシェアしている友人と、来年のワールドカップ(W杯)のメーンスタジアムであるサッカー・シティを訪れることにした。収容人員9万4700。開幕戦と決勝戦を含む8試合が行われる、国内随一のビッグスタジアムとなる――はずなのだが、実はまだ完成していない。出発前、日本の報道番組の映像で見た限りでは、外壁も未完成ならば、肝心のピッチもまだ土がむき出しの状態であった。今回のコンフェデレーションズカップで、ヨハネスブルクの会場となっているのは、もう一つのスタジアムであるエリス・パークであり、サッカー・シティのこけら落としがいつになるのか、そもそも本当に開幕戦に間に合うのか、実のところ極めて微妙な状況である。

 果たして、本大会の開幕まで1年を切った今、どの程度まで建設が続いているのか。サントンからのアクセスを確認しておく意味でも、このサッカー・シティはぜひとも訪れておきたい場所であった。ちなみに今回のタクシー代は、往復700ランド(約8200円)。実際には30分程度のドライブで現地に到着したので、本当は500ランド(約6000円)前後で行けたような気もする。

メーンスタジアム「サッカー・シティ」の現状

2010年W杯のメーン会場であるサッカー・シティ。周辺の整備はほとんど手つかずだ 【宇都宮徹壱】

 サッカー・シティは、南ア最大のタウンシップ(旧黒人居住区)として有名な、ソウェトに位置している。ソウェトといえば、かの悪名高きアパルトヘイト(人種隔離政策)と分かち難いイメージを共有している土地だ。1976年6月16日、このソウェトで、アフリカーンス語の強制に反対する黒人学生たちの抗議活動が起こり、やがて暴動へと発展。警察隊との衝突により6名が死亡する大惨事となった。この事件を契機に、国内ではデモやストライキが多発し、国外においては反アパルトヘイトの機運がさらに高まることとなる。開催国・南アが、この地にメーン会場を建設したのも、こうした歴史的背景を意識していたことは容易に想像できる。とはいえソゥエトを中心とする一帯は、オーランド・パイレーツやカイザー・チーフスといった、国内を代表するクラブチームの発祥の地でもあり、本来の意味での「サッカー・シティ」であったことは留意すべきであろう。

 さて、問題のスタジアムである。現地に降り立ってまず驚いたのは、想像以上に巨大なその外観であり、そして想像以上に工期が遅れていることであった。スタジアムの外壁は発色の良いレンガ色で、さながらオーストラリアのエアーズロックを想起させるような存在感を放っている。大会を象徴する建造物としては、申し分のないインパクトだ。だが、その周囲では今も建設作業員が黙々と働いており、もうもうと土埃を上げながらトラックや重機が走り回っているのはいただけない。スタジアムオフィス周辺はアスファルトで舗装されているものの、そのほかはすべて赤い土がむき出しとなっていて、とにかく土埃がひどい。これまで何度か建設途中のスタジアムを見る機会があったが、とても1年後に本番が行われるとは思えない、かなり深刻な状況であることは間違いなさそうだ。

 一通り撮影を終えてタクシーに戻ると、ドライバーが「どうだ、素晴しいスタジアムだろう」と声をかけてきた。「うん、確かに素晴らしいけど、これはいつ完成するんだい?」と尋ねると、彼は「いい質問だ」と笑った。私は正直、笑えなかった。
 来年のサッカー・シティの姿について、何となく想像してみる。開催国の威信に懸けて、少なくとも試合ができるだけの最低限の環境は整備されていることだろう。だが、スタジアム周辺の状況が格段に改善されているとは到底思えない。周囲に何もないソウェトの一角で、もうもうと土埃が舞う中、バスから降りた私たちはスタジアムの明かりを頼りに右往左往することになるだろう。もっとも「これがアフリカでのW杯なのだ」と言われれば、返す言葉もないのだが。

 いずれにせよ、時間は待ってくれない。付近に設置されている、カウントダウンボードの表示は「353」。それがゼロになった日、人々を待ち受けているのは、感動か、それとも落胆か。その日が、サッカー・シティ最良の日となることを願いつつ、私は別れ際にもう一度、夕日に照らされたスタジアムにシャッターを切った。

<翌日に続く>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント