【追悼】プロレスリング・ノア三沢光晴選手

スポーツナビ

三沢さんのノアでの激闘を振り返る 【野澤俊介】

 13日、プロレスリング・ノア広島大会のメーンイベントで潮崎豪をパートナーにGHCタッグ王座へ挑戦した三沢光晴。試合終盤、王者組の技を浴びるとレフェリーストップの裁定が下った。しかし、三沢はそのまま起き上がれなくなり、懸命の蘇生措置が施されたが、同22時10分に帰らぬ人となってしまった。

 2代目タイガーマスクとしての活躍、仮面を脱ぎ捨て超世代軍を結成、ジャンボ鶴田との死闘、スタン・ハンセンから念願の三冠ヘビー級王座奪取、純プロレスの頂点を極めた四天王プロレスの戦い……数え上げればきりがない三沢さんの栄光の歴史。スポーツナビではノア旗揚げ後の2002年から現在まで、三沢さんの激闘の軌跡を振り返る。

02年 冬木さんに見せた男気

冬木さん(右)に花束を渡す三沢さん 【スポーツナビ】

 全日本プロレスを退団し、プロレスリング・ノアを旗揚げして1年が経過した02年。試合ではないが、三沢さんの人柄を表す出来事がある。

 旧知の間柄であった故冬木弘道さんが自身の大会終了後に大腸がんを告白し、そのまま引退を表明した。すると三沢さんは冬木さんがコメントを出していた控え室を訪問し、「やらなきゃダメだよ」と引退興行の開催を進言。そして、すみやかにその会見の5日後となる4月14日に会場のディファ有明を押さえ、少ない準備期間ながら冬木さんのために最高の引退試合の場を提供した。さらに、その大会で得た収益は、闘病生活に入る冬木さんのためにすべて渡されたと言われており、義理・人情に厚い三沢さんの一面がうかがえるエピソードだ。

03年 伝説の三沢vs.小橋

小橋と死闘を繰り広げた 【スポーツナビ】

 翌03年の3月1日。今後も語り継がれる伝説の試合が誕生した。三沢光晴vs.小橋建太。全日本プロレス時代に2年連続で年間最高試合賞を獲得するなど、四天王プロレスを究極にまで昇華させた戦いであり、「三沢vs.小橋にハズレなし」と言われていた。その言葉どおり、この日の天気は嵐だったにも関わらず日本武道館には立見が出るほどのファンが結集した。

 試合は過去の試合とまったく遜色のない攻防が展開され、ハイライトは試合中盤の花道でのせめぎ合い。ここで三沢さんは場外マットに向かって小橋にタイガースープレックスをさく裂させたのである。技をかけた側も、受けた側も、背面から硬いマットに落下。それでもカウント19で“生きる場所”のリングに戻った2人。「俺たちはプロレスに命をかけている」という無言のメッセージ。攻め手、受け手、そして見る者にすら覚悟を問う一撃を経て、33分28秒、小橋のバーニングハンマーで勝負は決した。

 この大会が行われた日は有明コロシアムでK−1 MAX、横浜アリーナでWJが旗揚げ戦を開催していた。そんな中、テレビ解説を務めた高山善廣は「ここに来なかったらアホだな!」と言うほどの戦いを三沢さんは体現してみせたのである。
 当時、K−1やPRIDEなどの人気に押され気味だったプロレス界だが、2人のまさに命をかけた生き様はプロレスファンの溜飲を下げ、同年の年間最高試合賞も受賞している。こうして「三沢vs.小橋」はプロレス界の切り札カードとなった。

04年 武藤との夢の対決

武藤(右)と夢の顔合わせ 【Takeshi Maruyama】

 04年は小橋の“絶対王者時代”であり、三沢さんは小川良成とのタッグチームでGHCタッグ王者として活躍した。そんな中、7月10日にノアは初の東京ドーム大会を開催。若手時代から“天才”として比較され、プロレスファンの誰もがいつか試合をと夢見ていた武藤敬司との遭遇が実現した。

 夢の対決に5万8000人というファンが集い、両者の入場だけで会場内のボルテージは最高潮に。そして、2人がロックアップすると、「ついに交わった!」とばかりに大きなどよめきが発生している。三沢さんはシャイニング・ウィザード、武藤はタイガードライバーを繰り出すなど、現実ではなくゲームを見ているかのような夢の時間は、21分46秒で幕を閉じた。

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