元日本代表MF福西が語る引退の理由=磐田、移籍、代表、自身のキャリアを振り返る

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衝撃的な日本代表初招集

06年のW杯ではボランチの主力として出場した 【Photo:Getty Images/AFLO】

――日本代表についてはどんな思いがありますか?

福西 (初招集は)衝撃的でしたね。日本代表がコパ・アメリカ(南米選手権)に遠征しているときで、マネジャーから電話がかかってきて、バタバタしながらチームに合流しました。僕は初招集で(練習を)必死にやっていたんですけど、当時のトルシエ監督にはダラダラやっているように見られたらしくて、「帰れ」って怒られましたから。トルシエは必ずみんなの前で怒りましたからね。周りの選手は「次に怒られるは誰だ」って見ているんですけど(笑)。

 2002年ワールドカップ(W杯)メンバー発表のときは選ばれると思わなかったですし、新幹線の中で寝ていましたからね。自分の中でやることはやった、落ちても納得できると思っていましたから。妻のお母さんから電話がかかってきて、メンバーに選ばれたと知りました。

 日本代表の試合では、国歌斉唱のときに代表を背負っているなと思います。W杯などで日の丸を見ながら歌っているときは緊張します。皆さんの声がすごく力になるし、いろいろな人たちが試合にかかわっているので、その人たちのためにも頑張らなきゃって思います。(サポーターの皆さんは)今の日本代表選手たちにも、大きな声でプレッシャーをかけてほしいですね。

――06年W杯後、磐田を去る決断をした理由は?

福西 すごく悩みました。磐田は居心地が良くて、ぬるま湯につかるというわけではないですけど、自分を高めていくためにもっといろいろなことを知る必要がありましたし、(自分の経験を)若手選手に伝えたいという思いもありました。磐田(首脳陣)の評価もあいまいで、自分もプライドを持ってやっていたので。アジウソン監督(当時)と合わない部分もあって、(磐田が)これまで育ってきた(ボールポゼッションを重視する)サッカースタイルとは違うやり方をするなら、仲間と別れるのはつらかったですけど、新しいチャレンジをするしかないと。
 いくつかのオファーをもらっていましたが、FC東京が最後まで話をしてくれて、自分のモチベーションもありましたし、そこまで誘ってくれるならと思って決めました。

続けたいというモチベーションが確信ではなくなった

――FC東京での1年はいかがでしたか?

福西 新しい自分を発見できましたね。磐田にいたときとは違って、自分が1から教えていかなければいけない。伝えることの難しさを学ぶことができましたし、サッカーをする環境も全然違いましたから。磐田のサッカーとは違うし、自分の思い通りにはなかなかできない。土肥(洋一)さんが日本代表で一緒だったので、いろいろと話しながらやりましたけれど、ちょっと時間がかかりすぎました。
(試合でも)磐田ではボールが回ってくるんですけど、FC東京ではボールに触らなきゃと思って、自分から声を出してボールを要求して、とにかく走りましたね。プレーの幅は広がりましたけれど。

――現役引退、セカンドキャリアについて

福西 小さなけがはありましたけど、今まで自分のトップレベルでのモチベーションでずっとやってきて、その続けたいというモチベーションが確信ではなくなって、自分の中で納得いかなくて気持ちが引退に傾きました。東京ヴェルディでの最後の試合では、チームを去ることが決まっていましたから、残る選手たちのためにも残留を決めたいと思っていたんですけれど、レッドカードで退場してしまって、納得いかなかったですね。試合中はピッチの横でずっと立っていました。

 自分の(モチベーションに)確信がないまま、ある程度(の気持ち)でプレーすることに納得がいかなくて、いくつかのクラブから熱心に誘ってもらったんですけど、契約してくれるチームに申し訳なくて。自分の中で、ここでひと区切りだと思って(引退を)決断しました。

 セカンドキャリアについては、指導者としてライセンスも必要ですし、サッカーを外から見て勉強したいですね。サッカーを伝える仕事や、皆さんが盛り上がれるサッカー界を作りたいと思います。自分に何ができるのかも含めて、いろいろとチャレンジして自分の幅を広げて、日本のサッカーを強くしていきたいです。

<了>

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