元U−17サッカー日本代表、一木太郎のセカンドキャリア=夢のセーフティーネット

宇都宮徹壱

「サッカーが楽しい」という感覚

一木(前列右から2人目)はソニー仙台でサッカー選手としてのキャリアを終えた 【写真提供:ソニー仙台フットボールクラブ】

 卒業後、一木は「入社」という形でソニー仙台の一員となる。2000年のことだ。おりしも日本サッカー界が、2年後に自国で開催されるW杯に向けて盛り上がる中、一木はかつてのチームメートから遠く離れた場所で、新たなスタートを切ることとなった。

――結局、企業チームのソニー仙台に入ることになったわけですが、当然、プロへの未練もあったのではないですか?

 相当ありましたね。ただ、チームメートとは仕事もサッカーも一緒なので、すぐにチームの雰囲気にはなじんでいきました。それに現実的なことを考えると「夢ばかりを追いかけていても、生活が苦しくなるだけだよな」って、気持ちも変わっていきました。

――当時の仕事内容は?

 最初は総務で、交通安全・防止活動とか、安全衛生とか、工場の災害防止活動といった仕事でしたね。

――JFL時代のポジションも、やっぱりボランチですか?

 主にボランチですが、サイドバックもスイーパーもやりました。やっぱり後ろのポジションの方が自分の特性は生かせると思いました。それ以前と比べると、自分の気持ちを出して、汗かきというか、体を張るプレーが多くなりましたね。

――それこそドゥンガみたいに(笑)。そうなると、企業チームゆえのプレーの甘さに対して、元プロ選手として叱責(しっせき)するようなこともあったんじゃないですか?

 甘さは感じていましたし、しかることもありました。でも、プロ時代に言っていたことをアマチュアの選手に言ったら、しょげてしまうというか「なんでそんなに文句言うんだ」という感じになるんです。プロとアマの違いというのは、中大時代にもすごく感じていたので、言い方には気をつけるようになりましたね。

――実際のところ、JFLは楽しかったですか?

 サッカー自体は楽しかったですね。実はプロのときは、サッカーが楽しくなかったんです。充実はしていたけど、ものすごく競争も激しかったから、無我夢中で走り抜けていたという感じで苦しかったです。大学に行ってから「ああ、サッカーって楽しいんだな」と思うようになって、それはソニーに入ってからも感じていました。
 クラブチームって、全員が一匹狼みたいなところがあって、仲間との連帯感があまりないんですよ。食うか食われるかですから。なので「サッカーが楽しい」という感覚は、すごく新鮮でしたね。サッカーを違う視点で見られるようになりましたし。

――結局、05年に現役引退。当時29歳だから、もう少しできたのでは?

 28(歳)くらいから出場回数が減って、最後の1年は「これで辞めてもいい」という気持ちでやったんですけど。でも、やっぱり試合には出られなかったし、最終的には会社からも「社業に専念してくれ」と言われたので。それに対して悔いはなかったです。

企業スポーツの強みとは?

サッカー選手からビジネスマンへ。「自分が歩んできた道に後悔はない」と一木は語る 【宇都宮徹壱】

――そろそろまとめに入りましょう。一木さんがソニー仙台で学んだことをあえて言葉にすると、どんな感じでしょうか?

 人の大切さ、仲間の大切さ。やっぱりウチの会社は人で仕事していますから。もちろん、サッカーの世界でも人のつながりって大事だと思います。でも一方で、活躍すれば自分だけチヤホヤされて、周りには何もしなくてもいいという感じってありますよね。だけど僕らはいち社員なので、一方的に何かをしてもらうだけではなくて、相手に対して何かをしてあげないといけないと思うんです。双方向でのギブ&テイクがないと、関係が成り立たない。それは会社員になって学んだことですね。

――プロとアマ、両方の世界を知っている一木さんからご覧になって、今のサッカー界はどう映りますか?

 私が見るところ、選手のサッカー寿命があまりにも短いのかなと。2〜3年でクビになって路頭に迷う選手もいる。年収がそんなに高くないわりには、サッカー選手としての寿命が短いですよね。そういった現実が見えたときに、これからサッカーをやろうとしている若者には、厳しいものがあるかもしれない。もしかしたら、そういうところで優秀な人材が失われているのかな、と思ったりもします。

――確かにこのオフは、かつてないくらいベテラン選手が戦力外通告を受けていましたよね。「プロだから当然」という見方もあるかもしれませんが、ちょっと度し難いものを感じました

 チーム経営ということを考えると、経済状況によっては高額な年俸の選手が外されるというのも、ある部分、仕方のないことだとは思います。でも、それにしても、セーフティーネット(※経済的な危機に陥っても、最低限の安全を保障してくれる、社会的な制度や対策)がまったく整っていないような気もしますね。

――その部分では、まだ企業スポーツに強みはありますね。このところ、業績悪化による企業チーム解散のニュースが続いていますが、だからといって企業スポーツを完全否定するのもどうかと思っています

 企業によってチームの位置づけも変わってきますが、ソニー仙台の場合、社員の活性化とか地域貢献とか、いろいろな機能を果たしていると思います。会社にしてみれば社会貢献ができるし、選手個人にとっても引退後の将来設計ができる。やっぱり若いときは、仕事の大切さを認識できていない部分がどうしてもあって、逆に年を取れば取るほど、仕事とサッカーを両立させていればよかったなと思うんです。それができるのが、ある意味(企業スポーツの)強みだと思います。

――結局、一木さんは29歳で現役を引退されて、すっぱりサッカー界から足を洗ったわけですが、ご自身のサッカー人生に悔いはないですか?

 さっきの森本じゃないですけど、もし16か17歳くらいに海外に留学して、そういった経験ができたなら、また違ったサッカー人生があったのかもしれない。そういう思いはあります。ただ、自分が歩んできた道、という部分では、まったく後悔はないですね。

――最後の質問です。今でもU−17時代のメンバーと連絡を取ったりしていますか?

 何人かとは。そういえばこの前、電話で宮本と久々に話す機会がありました。ヴェルディ時代のチームメートが今、スポーツトレーナーをやっていて、たまたま隣にいた宮本に電話をつないでくれたんです。「変わってないね」って言われました(笑)。電話での口調からすると、当時と全然変わっていないみたいで。多分、お互い変わっていないんだと思います。あの時から、時間が止まった感じなのかもしれないですね。


 元アンダー世代の代表選手が、その後のサッカーシーンのメーンストリーム(主流)から外れ、市井(しせい)の人として静かな生活を送っている――。ありがちな話ではある。が、私が一木太郎に会いたかったのは、決して「あの人は今」的な好奇心によるものだけではなかった。本稿を最後まで読んでいただければ、それはご理解いただけたと思う。

 未曽有(みぞう)の経済状況悪化を受けて、昨今の日本のスポーツ界は激しく揺れている。企業チームは親会社の業績不振により解散の憂き目に遭い、地域に根差したクラブは人件費の圧縮を迫られてベテラン切りを断行せざるを得ない。そしてチーム解散にせよ、ベテラン切りにせよ、被害をこうむるのは間違いなく選手たちだ。本来、子供たちに夢を与えるべき選手たちが、プレーする機会を失って路頭に迷う。子供たちの夢は奪われ、選手たちの夢もまた無残に断たれる。何とも救いのない話である。

「厳しいプロの世界だから仕方ない」。確かに正論である。「チームがなくなってしまうことを考えれば、ベテラン切りは仕方ない」。これも一定の説得力はある。であるなら「夢のセーフティーネット」の構築についても、もっと議論があってよいのではないか。
 確かに、わが国のサッカー界にもセーフティーネットは存在している。JリーグとJリーグ選手協会では、戦力外通告を受けた選手を対象とした合同トライアウトをオフに2回行っているし、Jリーグキャリアサポートセンターのように、現役引退した選手のセカンドキャリアを後押しするための機関もある。
 だが、それらが作られた当時と今とでは、状況が大きく異なる。現役Jリーガーの数はいまや1000人を超え、地域リーグでも元Jリーガーが珍しくなくなった。そんな状況下で迎えた今回の「百年に一度の世界同時不況」だけに、現行のセーフティーネットで対応し切れているとは到底思えない。実際、地域のクラブを取材していると、若くしてキャリアを断たれた元フットボーラーの悲話に事欠かないのが実情だ。

 眼前の危機を最小限の被害で乗り切るためには、ただ選手の自己責任論に終始するのではなく、むしろ日本サッカー界全体の問題としてとらえるべきである。その上で、地域に根差したクラブと企業チーム、それぞれが特長を生かしながら補完し合うことが必要となるのではないか。プロフットボーラーとしてのキャリアこそ恵まれなかったものの、それでも今はビジネスマンとして着実なキャリアを積んでいる一木太郎の話に耳を傾けながら、そんな思いを新たにした次第だ。(文中敬称略)

<了>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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