元U−17サッカー日本代表、一木太郎のセカンドキャリア=夢のセーフティーネット

宇都宮徹壱

サッカー選手としてさまざまな舞台を経験した一木。写真はソニー仙台時代のもの 【写真提供:ソニー仙台フットボールクラブ】

「一木太郎」という元フットボーラーをご存じだろうか?
 もしご存じなら、おそらくそれなりに年季の入ったサッカーファンではないかと拝察する。しかし、だからといって「一木太郎」は大昔のプレーヤーではない。1976年9月1日生まれの現在32歳。現役のJリーガーでいえば、宮本恒靖(神戸)や財前宣之(山形)と同期である。いや、むしろ上記2名とは、93年に日本で開催されたU−17世界選手権(現U−17W杯=ワールドカップ)の日本代表として共に戦ったチームメート、と紹介すべきなのかもしれない。ちなみにこの時のU−17代表には、松田直樹(横浜FM)、戸田和幸(慶南FC/韓国)、そしてあの中田英寿(引退)といった2002年W杯の日本代表の中心選手たちも名を連ねていた。2年後の「黄金世代」の登場を予告するかのような、実に豪華な顔ぶれ。そのきら星の中に、一木太郎はいたのである。

「一木太郎」という、シンプルで力強い名前が記憶の底から急浮上したのは、JFLのソニー仙台FC取材のためにリサーチをしていた時だ。OB選手のリストの中にその名前を見つけた瞬間、何とも名状し難い、こみ上げてくるものを覚えた。ちなみに資料によれば、05年、29歳で現役を引退。その後は「社業に専念」とある。
 果たして、U−17代表としてプレーした93年から引退した05年までの12年間、一木太郎はどんなサッカー人生を送っていたのだろう。そしてピッチから決別した今、日本のサッカー界はどのように見えるのだろう。ぜひ話を聞きたいと思い、ソニー仙台に問い合わせると、今は東京のオフィスで働いているという。東京・大崎にある彼の職場を訪れると、日焼けした顔と真っ白なシャツがまぶしい一木太郎が、笑顔で迎えてくれた。

プロサッカーから遠く離れて

――いただいた名刺を拝見すると「ソニーファシリティマネジメント株式会社 人事部」となっています。まずは今のお仕事の内容について教えてください

 わが社はソニー株式会社の総務部門の実務を請け負っています。子会社なんですが、機能分社で「ソニーグループに貢献する」というのを第一に機能していて、一般的な総務や施設管理、それから「オフィスソリューション」といって、社員が働きやすい環境作りを考えたりするのも仕事ですね。わたしの今の部署は人事部社員課です。ソニーファシリティマネジメントの社員に対して、給与とか労務関係の仕事をしています。

――お仕事をしている中で「サッカーをやってて良かった」と思うことはありますか?

 忍耐強さ、ですね。(現役時代は)苦しい場面を何度も経験しているので。人事の仕事も、結構厳しい仕事もあったりしますから。
 それと、ものごとをポジティブにとらえられるようになりました。サッカーって失敗の繰り返しみたいなところがあるじゃないですか。でも、失敗をいつまでも気にするのではなく、自分が成長するためにはどうしたらいいかを考える。それはサッカーをやっていたから、そういう考え方ができるようになったような気がします。

――なるほど。今は完全にサッカーから離れてしまった?

 離れていますね。たまに趣味でフットサルとかやっていますけど、2〜3カ月で一度くらいですかね。

――ちょうど、この週末にJリーグが開幕しましたが(取材日は3月10日)、どうですか。宮本も財前もJ1に参戦して気になるのでは?

 Jは結構見ますよ。正直、宮本にしろ財前にしろ、まだ第一線で頑張っているという、うらやましさはありますね。もちろん、頑張ってほしいというのもあります。同じ時間を過ごした仲間としては、間近で見たいし、応援してあげたいとも思います。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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