小林大悟、ノルウェーでさらなる飛躍を=未知なる冒険に秘めた思い

了戒美子

日本人初のノルウェーリーグに挑戦

スタベイクでの初戦、小林はFKを決め鮮烈なデビューを飾った 【Photo:アフロ】

 日本で試合のテレビ中継もなく、新聞各紙でさえ情報入手が困難なノルウェーリーグ。小林大悟はかの地に日本人選手として初めて移籍を果たした。
 なかなかなじみが薄く、ピンとこないが、ノルウェーは日本とほぼ同じ面積の国土に480万弱の人口(日本は1億3000万人弱)しかなく、首都オスロの人口は約56万人と日本の政令指定都市レベル。在ノルウェー日本国大使館の昨年7月の統計によると、邦人の数はわずかに728人なのだそうだ。日曜日にはオスロ市内でさえ大型ショッピングモールが閉まってしまう典型的な欧州の田舎町。冬になると庭先の移動にスキーを使い、板を担いでバスに乗ることが日常、という雪国でもある。

 そんな北極圏に程近い地で、小林は「楽しくて仕方がない」と人懐っこい笑顔を浮かべる。英語もままならないのに、チームメートに溶け込んでいる姿は頼もしい。移籍先である昨季ノルウェーリーグ覇者スタベイクでは合流早々に実力が認められ、開幕前からレギュラーポジションを確保した。表情からも充実ぶりがうかがえる。

大宮移籍を決断した直後、海外挑戦を意識

 小林自身に今回の移籍を語らせると、シンプルすぎる言葉しか出てこない。
「サッカーをもっともっとうまくなりたいっていう気持ちを突き詰めていったら、今回の移籍になった。普段は周りの環境に甘えて、その気持ちを忘れてしまうことがある。それをもう一度見詰める、というような感じ」
 本人としては突き詰めれば、そういうことになるのだろう。そのシンプルな言葉を理解し、移籍の背景に迫るには、まずはJリーグで過ごした7年間、特に大宮アルディージャでプレーした3年間を振り返らなくてはならない。

 2001年に東京ヴェルディでプロ生活をスタートさせたが、彼にとって5年目の05年シーズンにJ2降格の憂き目に遭った。悩み抜いた小林はプロ選手としてJ1にこだわり、大宮移籍を決断したのだが、実はこのころ初めて海外移籍を意識している。移籍が決定した後、「身近な関係者から『正式ではないけれどヨーロッパのチームからも声がかかっていたんだよ』と聞かされて驚いた」。わが身のこととして考えたことすらなかった海外挑戦を、初めて身近に感じた。

 だが、そんな情報を知っただけで実際の行動に影響することはなく、移籍した大宮で新しい生活はスタートした。1年目は開幕戦からゴールを挙げ、コンスタントに活躍を見せた。2006年ワールドカップ・ドイツ大会終了後、新生日本代表であるオシムジャパンの初期メンバーにも選出された。しかし、その好調も長くは続かなかった。負傷から調子を落とすと代表キャップ数も1で止まり、06年9月以降の選出はなし。
「サッカーのことだけじゃなくて、大げさかもしれないけど、人生のことも何か変えなくっちゃってずっと思っていた」

 プレーヤーとしてもっと良いパフォーマンスを常に目指している。それなのにピッチに立つとうまくいかない。何かしら今の状況を打破しなくてはいけない、そんな思いが募った。納得のいかぬままチームを動くことはできず、07年末は移籍に踏み切ることはなかった。だが、続く08年もしっくりいかぬまま終了。結局、2シーズン連続で手応えを得られぬまま1年が終わってしまった。

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著者プロフィール

2004年、ライターとして本格的に活動開始。Jリーグだけでなく、育成年代から日本代表まで幅広く取材。09年はU−20ワールドカップに日本代表が出場できないため、連続取材記録が3大会で途絶えそうなのが気がかり。

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