花巻東・菊池、快投の陰の苦悩と“恵みの雨”=タジケンのセンバツリポート2009 Vol.4
試合直前、つかんだ手応え
大会ナンバーワン左腕といわれた菊池が前評判通りの好投。春の主役に躍り出た 【写真は共同】
恵みの雨――。
今大会開幕翌日の3月22日、予定されていた全試合が雨天順延になった。それに伴い、それ以降の日程は1日ずつ繰り下げ。花巻東高(岩手)の試合も当初予定されていた24日から25日に変更となった。1日の順延。実はこれが、菊池雄星には大きかった。
試合前日まで、菊池は悩んでいた。スライダーが思うように曲がらず、中途半端な球になってしまう。練習や練習試合で痛打されたこともあって、大会直前の練習試合ではストレートとフォークだけの投球を続けていた。
「きのう(試合前日=24日)の練習まで、スライダーを投げる気はなかったんです」
ところが、改めて初戦の相手となる鵡川高(北海道)打線を研究すると、ストレートに強く、スライダーに弱いことが判明。
「やっぱり、スライダーを投げないと勝てないなと」
練習の最後に行った30球の投球練習でスライダーを試した。それまでのように曲げようという意識を捨て、地面に叩きつけるつもりで投げると、驚くほど曲がった。
「それまでは軌道をイメージして投げようとか、曲げようとか考えすぎて曲がらなかったんです。真下に投げようと思ったら曲がり出しました」
これはいける。
試合直前にして、手応えをつかんでのマウンドだった。
さえるスライダー、築く内野ゴロの山
右打者へは内角のひざもとへ。ストレートとともにどんどん内角へ投げ込んだ。平均得点が出場校中4位の8.08点を誇る強打の鵡川高打線だが、右打者でスライダーをバットに当てたのは阿部智大、森泰一、岩谷和磨がそれぞれ1球ずつファールにしただけ。前に飛んだ打球はひとつもなかった。昨秋の公式戦12試合で4本塁打の4番・柳田恭平もスライダーはバットに当てることができず2三振。
「スライダーが来るのはわかってました。とらえたと思って振ったんですけど、もっと落ちてバットに当たりませんでした」(柳田)
同じ球は左打者にとっては外角へ遠く逃げていく。阿部康平が第1打席で甘く入ったボールをセンター後方へ打ち返した以外は、西藤昭太、阿部康、萩中大貴と3人の左打者はいずれも当てるのが精一杯。ひっかけて内野ゴロの山を築いた。
まさに、スライダーの威力。
「雨で1日延びてなかったらアウトでした」
菊池はそう言って笑ったが、もちろん、快投の理由はそれだけではない。
しっかりとフォームの修正も行っていた。
秋まではワインドアップで投げていたが、ノーワインドアップに変更。その際、あらかじめ軸足をプレートと平行に置くようにした。それまでは、一般的な投手と同じようにプレートをややななめに踏み、右足を上げる際に軸足をプレートと平行になるように踏み変えていた。
「今までのやり方だと、踏み変えるときに(軸足が)プレートと平行にならず、ななめになることが多かったんです。そのせいでクロスステップしてしまっていた。それを直したかったので。セットにしようかとも思ったんですけど、自分のいいところがなくなる気がしたので、この形にしました」
以前のフォームは右足を上げる際に体の動きが大きくなり、ぶれることにつながっていた。調子が悪いとそれが大きくなり、コントロールも安定しなくなる。
だが、この新フォームは軸足がすでにセットされている分、体に余計な動きがない。右足も力みなくすっと上がるようになり、体がぶれることがなくなった。昨秋の公式戦は1試合平均2.7四死球を与えたが、鵡川高戦は完全試合を意識した8回2死からの1四球のみ。3ボールになったのも3度だけだった。
日々進化、そして春の主役へ
実は、大会前にスライダーが不振に陥った原因も冬の間、練習でスライダーを封印したから。
「スライダーにはもともと自信があったので、ストレートとカーブを磨きたかったんです」
普段から常に野球のことを考え、佐々木洋監督が「こちらがストップをかけなければやりすぎてしまう」と言うほどの練習の虫。菊池の辞書に「満足」「これでいい」という言葉はない。
8回2死まで完全試合、9回1死まで無安打無得点の快投を演じての2安打12奪三振完封。だが、それも菊池にとってはもう過去のこと。日々進化する過程にすぎない。
甲子園同様、リニューアルして1年生の夏以来となる大舞台に戻ってきた菊池。世間の注目度を考えても、試合日がWBCの終わった後になったのも何かを持っている証拠。天気まで味方につけた雄星が、春の主役に躍り出た。
<了>
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