PL学園、堅守の秘密〜受け継がれる財産〜=タジケンのセンバツリポート2009 Vol.3

田尻賢誉

守備力を引き上げる“緩いノック”

西条高戦で併殺を完成させた二塁手・安田。PL学園高の堅守には、伝統校ならではの秘密がある 【写真は共同】

【西条 0−1 PL学園】

 ゆっくりと、正面へ。
 とにかくそんなゴロを打ち続けていた。
 PL学園高(大阪)の試合前ノック。
 速い打球を華麗にさばく姿をイメージしていただけに、意外だった。

「普段の練習から、緩いゴロを打つようにしています。前に、横に、足を動かすためですね。緩いゴロに対して早く出ていく。速いゴロだと、動く範囲が狭くなりますから」
 そう話すのは、ノッカーの深瀬猛コーチ。1987年にPL学園高が立浪和義(現中日)、片岡篤史(元阪神など)らを擁して春夏連覇を果たしたときの4番・三塁手だ。自らも甲子園を知り尽くしているだけに、言葉にも重みがある。
「試合前にしっかりと足を動かしていないと、試合でも動きません。特に甲子園は思った以上に足が動きませんから」
 実は、この緩いノックによる守備練習は、深瀬コーチの現役時に行っていたもの。当時のノッカーは、コーチを務めていた河野有道・現監督だった。

 深瀬コーチらの2学年上の桑田真澄(元米大リーグ・パイレーツなど)、清原和博(元オリックスなど)らに代表されるように、投打にスター選手の揃ったPL学園高は派手な印象が強い。だが、強さを支えていたのは間違いなく安定した守備。
 そして、その守備をつくっていたのが、緩いゴロをしっかりと足を動かして捕りにいくという基本的な練習。能力が高い選手が揃いながらも、基本をおろそかにしなかったからこそ、常勝チームでいられた。深瀬コーチの1学年下である宮本慎也(現東京ヤクルト)が、ボールを使わずにゴロをイメージしながら捕球姿勢をつくる“シャドー守備”をしていたのは有名な話だ。
 
 もちろん、現在の選手たちもこの緩いゴロを打つノックの成果を実感している。昨秋は送球が課題だったという遊撃手の石崎祥平は、冬の間、毎日このノックを繰り返した。
「自主練習でも、緩いゴロを打ってもらっていました。左右に振ってもらうときも、足を動かし、ステップしてしっかり投げる。これを意識してきたことで、少しは良くなったと思います。あとは、(バットとボールが)当たる瞬間の一歩目が変わってきました。守備範囲が広くなった実感はあります」

甲子園を知り尽くしているからこその助言

 もうひとつ、深瀬コーチが選手たちに伝えたのが「甲子園は声が通らない」ということ。
「(野手や走者など)誰がどこにいるか、試合の状況などをとにかく確認する。声を切らさずにしなさいとは口酸っぱく言いましたね」
 その言葉どおり、試合中は内野手同士、内野手から外野手、外野手同士、そしてベンチから、さかんに風や守備位置などについて声をかけ合う姿が見られた。1対0とリードした9回1死後、打席に二番の越智峻也を迎えたところでも、捕手の藤本吉紀、ベンチから三塁手の木原幸聖に「セーフティバントがあるぞ」の指示とジェスチャーがあった。息詰まる接戦で勝利を目前にした状況でも、PLナインは冷静だった。

 結果的に、失策は投手の中野隆之の一塁けん制悪送球だけ。内外野は無失策だった。
「PLの野球は、守ってやってきた野球。PLのスコアボードの『E』のところに1という数字があるのは恥なんだよ、というのはずっと言い続けています。初戦ですし、今日は合格点じゃないですかね」(深瀬コーチ)

 決して派手さはない。魅せるプレーもない。
 常勝チームだった当時より、選手の質は落ちるのは否めない。
 それでも、試合前ノックの1球から、PL学園高の伝統はしっかりと受け継がれている。

<了>
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著者プロフィール

スポーツジャーナリスト。1975年12月31日、神戸市生まれ。学習院大卒業後、ラジオ局勤務を経てスポーツジャーナリストに。高校野球の徹底した現場取材に定評がある。『智弁和歌山・高嶋仁のセオリー』、『高校野球監督の名言』シリーズ(ベースボール・マガジン社刊)ほか著書多数。講演活動も行っている。「甲子園に近づくメルマガ」を好評配信中。

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