C・ロナウド「永遠に少年のままで」
「いつまでも子どもでいたいと思っている」
いつまでも子どもでいたいと話すマンUのC・ロナウド 【Photo:AFLO】
「鏡の中に映っている僕は子どもだ。いつまでも子どもでいたいと思っている。実際の年齢なんて些細(ささい)なことだし、あまり重要ではないと考えているんだ。人生では、子どもっぽい部分を失わないことが大事だし、その方が困難に直面したとき、より楽観的に乗り切れるのさ」
クリスティアーノは昔から喜怒哀楽を率直に表現してきた。12歳で故郷のマデイラ島を離れ、スポルティング・リスボンユースへ入団。リスボンで寮生活を始めたときは、名門クラブで大好きなサッカーができることへのうれしさでいっぱいだったが、その一方でホームシックにかかり、よく涙を流しながら実家へ電話をかけていたという。
また、スポルティング時代、マデイラ島で試合が行われることになり、故郷に錦を飾ることができると大喜びした。地元の友だちに電話をかけたが、学校をさぼっていたことへの罰としてメンバーから外されてしまい、泣きながら母親のところへ連絡して慰めてもらったこともあったという。
2005年9月に父親の死に遭遇したときは、気丈な振る舞いを見せた。訃報(ふほう)は、ポルトガル代表の試合前日に知らされたが、帰国することなく、悲しみを抑え、気遣うチームメートに対して明るく振るまい、自らをサッカーの世界へと導いてくれた父のためにプレーすることを誓った。
子どものころのストリートサッカーの“純粋さ”は失っていない
ファウルをもらいにいくようなプレーがないわけではない。しかし子どものように純真であることは、悪いことをしない意味ではない。思うに、彼は今でもストリートサッカーをやっている感覚で、ピッチに立っているのではないだろうか。ストリートで生き残るには、あらゆる手段を使うという意味での“純粋さ”が必要なはずだ。もちろんプロの試合では規律が求められるし、クリスティアーノがそれを忘れているわけではない。ただし彼は、家の近所で日が暮れるまで友だちとボールを蹴っていたころの感覚を失ってはいないように思う。
どんなに年齢を重ねても「輝く目を持ち続け、死ぬまで笑っていたい」と話す。また、「サッカーは僕の生活そのものであり、情熱を傾けられるものなんだ。芝生のにおい、試合、真剣勝負がもたらすスリリングな気持ち。これを体験できない人生を送るなんて想像できない」とも語る。ハンサムであることは魅力的だろうが、人々の心を強く引きつけるのは、やはりその人物が輝いているからだ。