フェンシング太田と福田、“特別な存在”同士の決勝戦

田中夕子

太田雄貴(右)と福田佑輔。旧知の仲の二人が、全日本フェンシング決勝戦で剣を合わせた 【Photo:YUTAKA/アフロスポーツ】

 フェンシングの全日本選手権が11〜14日の4日間、新潟・聖籠町総合体育館で行われた。北京五輪銀メダリストの太田雄貴(森永製菓)は、11日の男子フルーレ個人に出場。決勝戦は、旧知の仲である福田佑輔(警視庁)との顔合わせとなった――。

緊迫の決勝戦

 攻めに入った太田は、自分がポイントを取ったと確信した。電気反応を確認しようと、振り返る。だが、その時点で電気反応はない。その隙(すき)を福田が突き、福田に決勝点となる15点目が刻まれる。喜ぶ福田、釈然としない様子の太田。場内アナウンスも「男子フルーレ決勝は、福田祐輔選手が優勝を果たしました」と福田の勝利を告げた。
 だが、「確かに突いた」と訴える太田の抗議から、電気反応の不具合が認められた。残りは19秒。11−14から試合が再開した。
 福田は、「勝ったと思って、完全に集中力が切れていた」。劣勢とはいえ、差はわずか3点。太田がそのチャンスを見逃すはずがなかった。
「一度は負けた試合。思い切って攻めるしかない」(太田)
 迷わず突っ込む。太田のアタックが立て続けに決まり、みるみるうちに点差は縮まる。太田が1点を得るたびに歓声がわきあがり、会場が異様な空気に包まれていく。
 ついに14−14、両者の得点は並んだ。フェンシングにジュースはない。次の1点を得たほうが勝者となる。
 追い詰めたはずが追い込まれた。だが、土壇場で福田は攻めに転じた。
「全日本(選手権)に向けて必死で練習してきた自信があった。それなのにここで雄貴に負けるわけにはいかない」

太田と福田の関係

 8月の北京、フェンシング界にとって待望のメダルを手に、太田は凱旋(がいせん)した。数え切れないほどのメディアやイベント出演が相次ぎ、太田を囲む状況は一変する。休む間もなく埋まっていくスケジュール。自由時間どころか、満足な練習時間すら確保できずにいた。
 銀メダル効果がもたらしたフィーバーぶりは、五輪後、国内最初の大会となった大分国体でも顕著に表れた。多くの観衆とメディアが太田を目当てに詰め掛ける。
「太田くんがフェンシングをメジャーにしてくれた」と喜びを語る選手たちが多いなか、また異なる立場と思いで、異様な盛り上がりを体感したものがいた。
 それが福田だった。

 目標としていた五輪出場を逃し、失意の日々が続いた。練習に気持ちも入らず、モチベーションを欠いたなかで行われた国体東京都予選では、まさかの敗退を喫した。そして審判員の1人として大分国体に参加し、太田フィーバーを目の当たりにする。
「家族のように長い時間を過ごしてきた雄貴がメダルを取ったことはうれしかったし、国内でこれだけ盛り上がったフェンシング会場も初めて見た」
 素直な喜びを口にしながら、内心にはまた別の感情が芽生えてもいた。太田の投じた一石が、福田の闘争心に再び火をつけた。
「これからは、自分が引っ張っていく存在にならないと。いい刺激になりました」

 太田にとっても、福田は特別な存在だ。
「休みが取れたら福田選手と一緒に温泉に行きたい」と報道陣にも名指しするほど仲のいい4つ年上の先輩であり、フェンシングにおいては「今、(国内で)唯一ライバルだと認められる存在」。
 多忙を極め、一時は日本選手権への出場すら危惧(きぐ)された時期もあったが、所属先のバックアップを得て、大会10日前からは集中して練習に取り組む時間を与えられた。もちろん十分な時間とは言えないが、周囲が言うほど「練習不足」にも不安はなかった。淡路卓(日本大)、阪野弘和(専修大)らジュニア・カデット世代で国際大会を制した若手も台頭してきたが、屈する気など毛頭ない。北京五輪代表の千田健太(宮城クラブ)も、決勝トーナメント初戦の2回戦で敗退していた。
「もしも負けるとしたら、相手は福田さんだと思っていた」
 所属決定後に出場する初めての大会というプレッシャーを除けば、太田にとって敵と目する相手は1人しかいなかった。

福田に敗れ苦笑する太田 【写真は共同】

 あと1点。独特の空気が張り巡らされるなか、両者の攻防は続く。
「1本勝負では、中途半端なことをすれば悔いが残る。それまでの3点を雄貴にアタックで攻められていたから、あと1本は思い切って攻めようと思った」
 攻めに出た福田に対し、太田は焦りから守りが生じた。
「我慢しきれなかった。オリンピックでは『あと1点』で攻め切れたけれど、今回はその逆。やはり、この程度の練習量で勝てるほどフェンシングは甘くない」
 太田の剣を福田が再び払いのけ、突き返す。今度こそ、確かに15点目が福田に刻まれた。勝利の雄たけびを上げる福田の横で、太田は一瞬悔しそうな表情をにじませたが、すぐにそれは笑みへと転じた。

新たな戦いの始まり

 唯一無二の存在が、互いに与え合ったものがある。
「雄貴が個人で銀メダルを取った以上、次のオリンピックは『出るだけでバンザイ』にはならない。これからの1日1日を重ねていくために、僕だけでなく雄貴にとっても、いい結果だったと思う」
「悔しいけれど、いい意味での悔しさ。これで自分が勝ったら(ロンドン五輪で)団体の金メダルなど無理だと思う。負けたのが福田さんであることにも納得しています」
 勝利で自信を、敗戦で悔しさを。それぞれの財産を胸に、新たな年へと向かう。太田の銀メダルから、フェンシングフィーバーに沸いた2008年は間もなく終焉(しゅうえん)を迎えるが、ロンドンへ向けた戦いの火ぶたはすでに切られている。何しろ、悲願のメダルを手にするまでの道のりを思えば、4年などほんのわずかな時間にすぎない。

<了>
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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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