報徳学園高・近田、苦しみ乗り越えプロのマウンドへ=プロ野球ドラフト会議リポート

松倉雄太

不安の中、福岡ソフトバンクから3位指名

 10月30日、プロ野球のドラフト会議。全国の候補選手がかたずをのんで見守る中、今夏の甲子園をわかせた報徳学園高・近田怜王投手も、同じ気持ちで見守っていた。
 午後3時に始まり、1時間半ほどたった午後4時半過ぎ、永田裕治監督の携帯電話が鳴った。福岡ソフトバンク・若井基安スカウトから「3位で指名させていただきました」との電話。そばにいた近田の進路が決まった瞬間だった。その後、永田監督、加藤雄三野球部長とともに記者会見に臨んだ近田は、「(指名されるか)不安な気持ちもあってドキドキしていたけれど、今はホッとしています。福岡ソフトバンクは好投手が多いイメージ。杉内(俊哉)さんのようにチームを代表する投手になりたい。ここからが勝負だと思っています」と第一声を話した。
 いつごろプロ志望を決めたのかという質問には、「夏の県大会で優勝できたときにプロに行きたいと思いました」と答えた。完調とはいえない状況の中、甲子園で3勝し、チームを27年ぶりのベスト8に押し上げたことも大きな自信になったようだ。

近田を襲った熱中症とその後遺症

 近田を送り出す永田監督は、「1年の時に最高のスタートを切って、2年の時に苦しんだ。苦しみを経験しているからこそ、精神的にプロでも十分にやっていける」とエールを送った。
 永田監督が言う2年の時の苦しみ。それは昨夏の甲子園(青森山田高戦)で熱中症から両足がけいれんし、降板したこと。その後、後遺症から不調に陥り、新チームになってもほとんどマウンドに上がることができなくなっていた。秋の近畿大会で一塁を守る姿を見た一部のファンからは「近田はどうした」との声も上がった。
 今夏の甲子園、ベスト8で敗れた後、近田の母・玲子さんが1年前の夏の出来事を話してくれた。
「甲子園で熱中症になってから3日後の8月15日、グラウンドでランニングをしていた怜王が突然倒れたんです。慌てて、病院に連れて行って、体温は40度を超えていた。もう頭が真っ白になりました。その後、病院で意識を取り戻したんですけど、私はこの子のために何をやってきたのだろうかと思うこともありました」
 思うようにボールが投げられなくなり、息子とともに涙を流した時期もあったそうだ。「あれからちょうど1年。最後にこの甲子園で高校野球を終えることができた。あの時のことを思えば、本当によくがんばったと思います」と玲子さんは息子の成長に目を潤ませた。

「直球で最多奪三振を狙える投手になりたい」

 今月22日、報徳学園高グラウンドでは3年生の送別試合が行われた。代打で打席に入った近田に、チームメートは福岡ソフトバンクの応援歌『いざゆけ若鷹軍団』を手拍子で歌った。このサプライズにやや照れながらの高校最終打席はセンターライナー。そして9回には、慣れ親しんだマウンドに上がり、24球を投じた。最後は本塁打を浴びるというオチもついたが、その顔は満面の笑みで溢れていた。
「早くチームについていけるように練習して、自信のある直球で最多奪三振を狙える投手になりたい」と近田はプロへの決意を示した。父・将希さん、母・玲子さんの故郷でもある九州の地で、近田怜王の新たな野球人生が始まる。

<了>
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著者プロフィール

 1980年12月5日生まれ。小学校時代はリトルリーグでプレーしていたが、中学時代からは野球観戦に没頭。極端な言い方をすれば、野球を観戦するためならば、どこへでも行ってしまう。2004年からスポーツライターとなり、野球雑誌『ホームラン』などに寄稿している。また、2005年からはABCテレビ『速報甲子園への道』のリサーチャーとしても活動中。

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