「エースに頼らない野球」で慶応が初優勝=明治神宮野球大会リポート

松倉雄太

慶応のテーマは「エースに頼らない野球」

 全国の秋季ブロック大会を勝ち抜いた10チームが集まる第39回明治神宮野球大会高校の部が11月15日から、東京の明治神宮野球場と神宮第二球場で行われ、関東地区代表の慶応高(神奈川)が初優勝を飾った。

 慶応高は146キロ右腕のエース・白村(はくむら)明弘(2年)が関東大会で腰を痛め、今大会は無理が出来ない状態。ただ、そうなったことで、白村に頼らない野球をテーマに神宮大会に臨んだ。そんな状況の中で、結果を出したのは投手陣だった。明(みょう)大貴(1年)が初戦の光星学院高(東北地区・青森)戦に3安打2失点の完投勝利。関東大会決勝で1死も取れずに降板するなどほとんど力を発揮できなかった投手で、上田誠監督も「まずアウトを1つ取ろうと言っていたが、まさか完投までしてしまうとは」と驚きの表情を浮かべていた。上田監督は関東大会後に明としっかり反省点を見つめ直し、スプリットの習得を指導。そこには、大きな舞台で自信をつけさせたいという親心も垣間見えた。

 準決勝の鵡川高(北海道地区)戦では同じ1年生の瀧本健太朗が公式戦初先発で6安打完封。こちらは、「関東大会中に覚えたフォークが今日は良かったです」と笑顔。2人の1年生投手が逞しく成長する姿を見た白村も、決勝の天理高(近畿地区・奈良)戦で好リリーフを見せた。投手陣は大きな収穫を得て、冬に備えることができそうだ。

 ただ、決勝で6失策の数字が示す通り、守備が乱れた。「関東大会でミスが出ずに慢心してしまっていた。冬は地道に守備練習をやっていきたい」と上田監督はやや渋い表情。秋の頂点に立ったことを聞かれても「春のセンバツでは1勝を目標にする」と謙遜(けんそん)するばかりだった。ことしは慶応義塾創立150周年の記念の年。春夏と甲子園に出場し、新チームの秋に全国制覇を果たした。新しい伝統は確実に築きつつある。

近畿王者としてレベルの高さを見せた天理

 準優勝の天理高も近畿王者の底力を十分に発揮した。そのハイライトは準決勝の西条(四国地区・愛媛)戦。西条高の豪腕・秋山拓巳(2年)相手に4回まで9安打を浴びせながら、わずか1得点に抑えられ、しかも後半はパタリと攻撃が止まってしまう。この悪い流れを土壇場の9回に変えてみせた。
 2点をリードしていた西条高は、ここまでのパターンだった徳永翼(2年)への継投に出る。だが、天理は先頭の代打・橋本茂樹(2年)が相手の失策で出塁したのをきっかけに、ヒットと犠打でチャンスを広げると、2番・原田拓実(2年)が2点タイムリー二塁打で同点。天理打線は、相手のわずかなリズムの狂いを見逃さなかった。

 目立ったヒーローはいないが、個々がしっかりと役割を果たす。それは攻撃の前にも見ることができた。チームの円陣にランナーコーチも加わる。これは攻撃の意思をしっかりと確認するためだ。イニングの間は速やかにポジションにつくというルールがあるため、円陣の間は代理として投手をランナーコーチのポジションに置き、攻撃の直前に入れ替わる。これをやっていたのは神宮大会に参加したチームで天理高のみだった。
 こうしたレベルの高さを見せた天理高だが、決勝では投手陣が踏ん張れず、守備面でもミスが相次いで敗れた。森川芳夫監督は、「(勝てなかったのは)投手の継投を間違えた私のミス。白村君が出てきてまったく打てなかったように、この大会でまだ全国に通用する力がないことを実感した。この負けを子供たちがどうとらえるか。すべてにおいてレベルアップしないといけない」と厳しい表情を崩さなかった。

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著者プロフィール

 1980年12月5日生まれ。小学校時代はリトルリーグでプレーしていたが、中学時代からは野球観戦に没頭。極端な言い方をすれば、野球を観戦するためならば、どこへでも行ってしまう。2004年からスポーツライターとなり、野球雑誌『ホームラン』などに寄稿している。また、2005年からはABCテレビ『速報甲子園への道』のリサーチャーとしても活動中。

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