J2を席巻した広島の強みと課題

中野和也

攻守ともにJ2では圧倒的だった広島のサッカー

J2優勝を決め、スタンドのサポーターとともに喜ぶ広島・佐藤寿(中央)ら=長居 【共同】

「この形は、監督に言われたものではないんです」と槙野は語る。「後ろから攻撃参加して、数的優位を作れ」というペトロヴィッチ監督のコンセプトを、選手が自分たちで消化し、考えて生まれたのがこの形なのである。
 第10節の徳島ヴォルティス戦。ほとんど準備期間もなく、2トップから1トップ2シャドーの形に変更された時も、この「自分たちで消化する」能力が発揮された。形は変わっても、コンセプトに変更はない。だから選手たちは、その形を容易に消化し、そこにアレンジを加える。1トップ2シャドーの形になったことで、前の3人の間に流動性が生まれたのも、そのためである。

 第1クールを終えて、広島は勝ち点32で首位。その内容が圧倒的だったこともあり、J2の各チームは、自分たちのサッカーを捨てて広島対策に乗り出した。すなわち「ロングパスの起点であるストヤノフに対して、FWがマンマークする」「最終ラインにプレスを仕掛ける」「引いて守備ブロックを固める」などなど。
 確かに、その対策が機能した試合もあった。しかし、それでも広島は慌てない。
 ストヤノフからのロングパスを封じられても、森崎和を起点とするショートパスの交換で圧倒する。プレスをかけられても、平然と受け流してパスを回し、裏にできるスペースを突く。引かれても、青山、槙野、森脇ら3列目以降の選手たちが飛び出すことで、相手を崩す。J2の各チームが仕掛ける「広島対策」を、彼らはことごとく打ち破って見せたのである。

 懸念された守備も、昨年は不調だったストヤノフが存在感を取り戻し、さらに「(森崎)カズさんとアオ(青山)ちゃんのダブルボランチでボールを奪えるようになった」(高萩)ことで安定。前線の3人が相手の攻撃を限定したことで、ハーフカウンターも機能するようになった。スキがなくなった広島は、第2クール終了時点で勝ち点65。2位モンテディオ山形に勝ち点15差をつけた時点で「われわれを追い抜けるチームはない、と確信した」(ペトロヴィッチ監督)。

 そして第3クール、初戦の甲府戦こそ、相手のサッカーに合わせ過ぎたために敗れたものの、次節のアビスパ福岡戦以降は8勝2分けと負け知らず。10試合で35得点という大爆発を見せ、J1復帰のみならずJ2優勝も一気に決めてしまった。ちなみに、第1節から一度も首位の座を落ちることなく優勝を決めたのは、J2史上初である。

来季のJ1でもインパクトを残すために

 そんな彼らが、J1を相手にどこまでやれるか。注目を集めた11月2日の天皇杯4回戦・対東京ヴェルディ戦でも、広島は前半から完ぺきにゲームを支配した。選手が流動性を持って走り回ってチャンスを量産。球際の厳しい守備でディエゴを孤立させて退場に追い込み、ついには1−0で勝利する。試合後の記者室では、誰一人として「番狂わせ」という表現を使わず、むしろ「順当な広島の勝利」「もっと得点が取れたはず」という声が支配的だった。

 だがJ2を席巻し、J1下位の東京Vを圧倒したことは、来季の広島の活躍に向けての「担保」にはならない。今季のJ2には、ジュニーニョ(川崎フロンターレ)のような強力なFWはいなかった。しかしJ1には、ダヴィ(コンサドーレ札幌)やデニス・マルケス(大宮アルディージャ)のように、残留争いを演じているチームにも、決定的な仕事をするタレントが存在する。「ミスをすると、J1なら一気にシュートまで持ってこられる」と槙野も高萩も口をそろえる。

 さらに「ポゼッションのその先にあるもの」すなわち「ゴールを決める力」にも、不安はある。今月9日のベガルタ仙台戦でも、広島が圧倒的にボールを支配したものの、J1昇格を懸けて執念の守りを見せる仙台から2点目を奪えず、引き分けに終わった。東京V戦でも同様の課題が露呈しており、森崎和は「相手に引かれても試合をコントロールしないと」と語っている。

 中盤に偏った選手層。経験の乏しい若い選手たち。不安要素はほかにもある。しかし、課題のないチームなど世界中どこを探しても存在しない。
「ビビらなければ、(J1でも)やれる。ウチのようにパスをつなげるチームは、J1にもあまりない」と高萩が自信を見せれば、槙野も「本当に楽しみ。守備だけでなく、攻撃にもチャレンジしたい」と熱く語る。若い選手たちの勢いが確信へと変われば、広島のサッカーはJ1でも大きなインパクトを残す可能性もあるだろう。

「広島のような『人もボールも動くサッカー』が勝利したということは、日本のサッカー界にとって、いいことだ」
 
 東京V戦を観戦した元日本代表監督、イビチャ・オシムの言葉である。

<了>

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著者プロフィール

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。近著に『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ソル・メディア)

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