大分トリニータは何が変わったのか?=ナビスコカップ決勝

宮明透

大分トリニータサポーターの大移動

Jリーグのナビスコ杯で初優勝し、サポーターとともに喜ぶ大分イレブン=1日、国立競技場 【共同】

 11月1日、東京・国立競技場でのナビスコカップ決勝戦。大分トリニータのゴール裏は約1万人の大分サポーターで占められた。これだけの人口移動は大分県有史以来の出来事である。

 大分空港から東京行きの飛行機は1日に11便しかない。飛行機だけでは3000人程度が限界だ。ほかの7000人はありとあらゆる手段を使って国立を目指した。福岡空港、熊本空港、宮崎空港、北九州空港まで車で2〜4時間かけてからの飛行機、JR日豊線経由新幹線、東京までの寝台特急、神戸や大阪までの船便、大分からの弾丸ツアーバス、自家用車など。大分ではトリニータ応援の火が付き、「炎」と化した状態になっていた。そして選手たちは、その期待に見事に応えてくれた。

 ナビスコカップ優勝――国立で高々とカップを持ち上げる高松大樹。今年の開幕前にこのシーンを想像した方がどれだけいただろうか? 昨年の年間最終順位が14位、第18節では自動降格圏の17位にいた大分である。ナビスコカップは予選リーグから決勝までの11試合がJリーグの合間に行われる。決勝に至るまでに偶然はない。11というのは実力がなくてはファイナルまで行き着けない試合数だ。大分は間違いなく実力を身に着けていたのである。

開幕前は戦力ダウンを不安視された

 今季開幕前の大分は、梅崎司(浦和レッズ)、福元洋平、山崎雅人(ともにガンバ大阪)、梅田高志(FC岐阜)、松橋章太(ヴィッセル神戸)らの中堅どころが抜け、戦力ダウンと層の薄さが不安視されていた。雑誌での順位予想も10〜18位が圧倒的に多かった。
 クラブができてから15年目、2003年からJ1にステージを移して以来、毎年のように残留争いで名前を聞く大分。しかし、不思議とここ1番で脅威の粘り腰を見せて、J1残留を果たしてきた。
 その大分が、ナビスコカップの準決勝では首位争いをする名古屋グランパス、決勝では好調の清水エスパルスを破っての優勝。しかも、今季J1第30節が終わって残り4試合の時点で首位に勝ち点2差と優勝戦線に残っている。これは「驚き」以外の何ものでもない。
 大分で生まれ育ち、クラブ設立企画段階から16年間チームに関わり、クラブ設立発表式の司会も担当した私が言うのだから間違いない。これは「驚き」である。時としてこの「驚き」が起きるのもサッカーである。
「メンバーは変わっていないのに何が変わったの?」
「どうして強くなったの?」
 多くの方々から受けるこの質問。県リーグからJ1に至る今日まで、つぶさに大分トリニータを見てきた経験に基づき、その「驚き」の内幕に迫ってみたいと思う。

自慢の守備の基盤ができたのは昨シーズン

 ナビスコカップ決勝での序盤、大分は最近のリーグ戦と同じように慎重な立ち上がりだった。一発勝負の決勝戦、清水は当然、もっと激しく中盤から寄せてくるものと思われた。だが、清水は寄せてこない。「おやっ?」と意外に感じた大分は、好調時と同じようにディフェンスラインでゆっくりとボールを回して、清水の右サイドを攻めた。4−4−2(清水)対3−5−2(大分)の戦い。大分は中盤では数的優位になるが、サイドでは数的不利な状況が発生する。このサイドを高橋大輔が積極的に攻めて、相手右サイドを押し込んでいった。

 大分が実力を付けていった経緯、それは2007年シーズンにさかのぼる。開幕当初、大分は補強に失敗して紆余(うよ)曲折した。第18節では自動降格権の17位にまで落ちている。危機感を持ったクラブは、シーズン半ばで補強を行いチームを“リセット”した。これが当たったのである。
 3度の呼び戻しに快く応じてくれたボランチのエジミウソン、アビスパ福岡を離れてブラジルに帰国していたホベルト、アルビレックス新潟からMF鈴木慎吾、サンフレッチェ広島からFW前田俊介が加わった。すべてはJ1残留が目的だった。

 この時期から今の守備力の基盤が築かれ始めていた。特にエジミウソン、ホベルトの両ボランチが加入して、中盤の守備バランスが格段に向上した。2人とも中盤を華麗なパスで演出する日本人好みのタイプではない。俗に言う中盤の「守り屋」である。ホベルトは危険予知能力に優れており、ディフェンスラインの前のスペースをケアして対人動作に無類の強さを見せる。エジミウソンは驚異的な運動量で中盤を広範囲にカバーする。この2人を軸にDFの深谷友基、森重真人、上本大海、両サイドの高橋、鈴木、そしてGKの西川周作と2008年シーズンの守備基盤ができつつあった。

 ナビスコカップ決勝では、清水の強力な枝村匠馬、岡崎慎司、原一樹のトライアングルに対して、大分はマッチアップするホベルトが枝村をしっかりと押さえ込んだ。清水の攻撃ラインを寸断して攻めのリズムを狂わせていったのである。

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著者プロフィール

1949年、大分県佐伯市生まれ。サッカーは1961年、中学入学と同時に始める。その後、スポーツ少年団やサッカースクールで指導。九州リーグ新日鐵大分の初代メンバー。大分トリニータ設立時は大分県サッカー協会理事として動く。女子委員長なども歴任。大分トリニータボランティアの会長も務め、現在は顧問。NHK大分ではテレビ解説も行う。朝日新聞大分版に大分トリニ−タのコラムを執筆中。国立大分高専勤務でサッカー部顧問。

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