大分トリニータは何が変わったのか?=ナビスコカップ決勝
大分トリニータサポーターの大移動
Jリーグのナビスコ杯で初優勝し、サポーターとともに喜ぶ大分イレブン=1日、国立競技場 【共同】
大分空港から東京行きの飛行機は1日に11便しかない。飛行機だけでは3000人程度が限界だ。ほかの7000人はありとあらゆる手段を使って国立を目指した。福岡空港、熊本空港、宮崎空港、北九州空港まで車で2〜4時間かけてからの飛行機、JR日豊線経由新幹線、東京までの寝台特急、神戸や大阪までの船便、大分からの弾丸ツアーバス、自家用車など。大分ではトリニータ応援の火が付き、「炎」と化した状態になっていた。そして選手たちは、その期待に見事に応えてくれた。
ナビスコカップ優勝――国立で高々とカップを持ち上げる高松大樹。今年の開幕前にこのシーンを想像した方がどれだけいただろうか? 昨年の年間最終順位が14位、第18節では自動降格圏の17位にいた大分である。ナビスコカップは予選リーグから決勝までの11試合がJリーグの合間に行われる。決勝に至るまでに偶然はない。11というのは実力がなくてはファイナルまで行き着けない試合数だ。大分は間違いなく実力を身に着けていたのである。
開幕前は戦力ダウンを不安視された
クラブができてから15年目、2003年からJ1にステージを移して以来、毎年のように残留争いで名前を聞く大分。しかし、不思議とここ1番で脅威の粘り腰を見せて、J1残留を果たしてきた。
その大分が、ナビスコカップの準決勝では首位争いをする名古屋グランパス、決勝では好調の清水エスパルスを破っての優勝。しかも、今季J1第30節が終わって残り4試合の時点で首位に勝ち点2差と優勝戦線に残っている。これは「驚き」以外の何ものでもない。
大分で生まれ育ち、クラブ設立企画段階から16年間チームに関わり、クラブ設立発表式の司会も担当した私が言うのだから間違いない。これは「驚き」である。時としてこの「驚き」が起きるのもサッカーである。
「メンバーは変わっていないのに何が変わったの?」
「どうして強くなったの?」
多くの方々から受けるこの質問。県リーグからJ1に至る今日まで、つぶさに大分トリニータを見てきた経験に基づき、その「驚き」の内幕に迫ってみたいと思う。
自慢の守備の基盤ができたのは昨シーズン
大分が実力を付けていった経緯、それは2007年シーズンにさかのぼる。開幕当初、大分は補強に失敗して紆余(うよ)曲折した。第18節では自動降格権の17位にまで落ちている。危機感を持ったクラブは、シーズン半ばで補強を行いチームを“リセット”した。これが当たったのである。
3度の呼び戻しに快く応じてくれたボランチのエジミウソン、アビスパ福岡を離れてブラジルに帰国していたホベルト、アルビレックス新潟からMF鈴木慎吾、サンフレッチェ広島からFW前田俊介が加わった。すべてはJ1残留が目的だった。
この時期から今の守備力の基盤が築かれ始めていた。特にエジミウソン、ホベルトの両ボランチが加入して、中盤の守備バランスが格段に向上した。2人とも中盤を華麗なパスで演出する日本人好みのタイプではない。俗に言う中盤の「守り屋」である。ホベルトは危険予知能力に優れており、ディフェンスラインの前のスペースをケアして対人動作に無類の強さを見せる。エジミウソンは驚異的な運動量で中盤を広範囲にカバーする。この2人を軸にDFの深谷友基、森重真人、上本大海、両サイドの高橋、鈴木、そしてGKの西川周作と2008年シーズンの守備基盤ができつつあった。
ナビスコカップ決勝では、清水の強力な枝村匠馬、岡崎慎司、原一樹のトライアングルに対して、大分はマッチアップするホベルトが枝村をしっかりと押さえ込んだ。清水の攻撃ラインを寸断して攻めのリズムを狂わせていったのである。