テニス界を席巻する錦織圭の実力を分析

内田暁

大躍進した18歳、錦織圭の2008年を振り返る 【Photo:渡辺正和/アフロスポーツ】

 テニスの試合というものは、それが会場にしろテレビにしろ、楽しみにしながら観戦するファンにとってはどれも特別なものであるが、実際に戦っている選手にとっては、それらの試合の大部分は、“日常”である――“テニスはもっぱら見る専門のファン”だった自分が、取材を通じて多少なりとも選手たちのツアー生活を間近で見るようになってから、感じたことだ。

 今でこそ、ケーブルやサテライトのおかげでテニスのテレビ中継も増えたとはいえ、一般的なスポーツファンがテレビでテニスを見る機会は限られるし、ましてやトッププロの試合を生で見るとなれば、年に数回国内で開催される大会が、ほぼ唯一のチャンス。チケットだって、決して安くはない。電車を何回も乗り換えて会場に足を運んだ人々が、あるいは一日千秋の思いでテレビの前に陣取っていたファンが、目の前で繰り広げられるお目当ての試合に色めき立つのは、当然の成り行きである。

 だが、選手もファンと同様の高揚感や熱量を持ってその試合に挑んでいるかといえば、必ずしもそうとは限らない。テニスは、1月から11月上旬までがシーズンであり、その間、ほぼ毎週世界のどこかで大会が行われている。選手たちはそれら大会スケジュールとにらめっこし、開催地や開催時期、さらには賞金額や環境面などさまざまな状況をかんがみて、自分が出るべき20前後の大会を選んで行くのだ。基本的には、移動と試合の繰り返し。試合に負けたら、すぐに荷物をまとめて次の戦地へと向かい、新たな勝負に挑むまで。敗戦を引きずっている暇も、外野の評価に惑わされている余裕もない。それが、ツアープロにとっての、日常だ。

試合勝敗の傾向とは?

 前置きが長くなったが、今年の錦織圭(ソニー)の大躍進と、それに伴う周囲の反応や熱狂を見てふと感じたのが、上記のようなことだった。
 今年2月に、デルレイビーチで上げた18歳でのツアー初優勝は、当然ながら錦織圭の知名度を飛躍的に上げた。錦織の試合の結果であれば、新聞やテレビでも取り上げられる。だが、春から夏にかけては、それらの報道の多くは、トーナメントの早い段階での敗退を告げるものだった。するとこれも当然の成り行きとは言え、あちこちから「不調」「優勝はまぐれだったのか?」というような声がささやかれ始める。だが、まだプロとしてのキャリアのとば口に立ったばかりであり、周囲の選手の大多数が格上である錦織にとっては、言葉は悪いが「負けてもともと」「負けても仕方のない試合」というのもあるだろう。また、錦織が破ってきた選手、そして敗れた選手を詳細に見て行けば、そこには一つの傾向があることも分かるはずだ。

 錦織が優勝したデルレイビーチで対戦した選手のランキングは、66位(緒戦)、120位(2回戦)、111位(3回戦)、62位(準決勝)、そして12位(決勝)となっている。この優勝の価値をおとしめるつもりなど全く無いことを断った上で言うのだが、決勝のジェームス・ブレーク(米国)以外は、50位以内の選手は一人も居なかった。一方で、今年錦織が早期敗退した大会での主な対戦相手を見て行くと、6位のアンディ・ロディック(米国/2回戦)、45位のマリン・チリッチ(クロアチア/緒戦)、56位のアルベルト・モンタネス(スペイン/緒戦)、8位のブレーク(緒戦)、34位のライナー・シュットラー(ドイツ/緒戦)と、ほとんどの選手が50位以内か、その前後であることが分かる。逆に言うと、今年の錦織は100位前後の選手にはほとんど負けておらず、また8月の全米オープン(OP)では4位のダビド・フェレール(スペイン)をも撃破している。かなり乱暴な見方ではあるが、現在の錦織の実力はコンスタントに50位前後、調子さえ良ければトップ10を撃破する力を秘めている……という評価が、妥当だろう。

18歳の錦織に与えられた今後の課題

 心身のコンディションがかみ合えば世界のトップ10クラスのパフォーマンスを見せながら、まだ安定感に欠けるその傾向は、やはりあらゆる意味で、18歳という若さによるところが大きい。今シーズンの最後がそうであったように、今年の錦織はけがに悩まされ、試合途中のリタイアも多かった。そのような体調面の不安定さを、錦織が所属するニック・ボロテリー・アカデミーのボロテリーその人は「少年から大人への過渡期特有のもの」と言い表した。

 また、試合やツアー生活における経験値の少なさというのも、考慮しなくてはならない点だ。今年の全米OPの際、錦織はツアーの大先輩である杉山愛(ワコール)に、試合後の食事の取り方やお風呂の入り方まで、細かくアドバイスを求めてきたという。「試合後のケアや食事のことなど、どれも自分は知らなかったことばかりで、勉強になる」と言う錦織だが、今年本格的にツアーを周り始めた錦織には、生活習慣も含め適応しなくてはならないことが、多数あるはずだ。

 錦織が現在直面している問題は、時間が解決すること、あるいは時間にしか解決し得ないものもあるだろう。先述のニック・ボロテリーは、気持ちのはやる日本人を「あと2〜3年は、じっくり待ちなさい」と諭した。
 10月に東京で開催されたAIGオープンで錦織は、その錦織の“2〜3年”先を行く22歳のリシャール・ガスケ(フランス)に完敗を喫したが、くしくもガスケは試合後、「僕には、ケイより3年多く経験がある。ケイがけがもなく自分くらいの年齢になるころには、きっとトップ10に居るんじゃないかな」とのコメントを残したのだった。

 錦織が尊敬するロジャー・フェデラーが、初めてウィンブルドンの芝に突っ伏して優勝の涙を流したのは、彼が21歳の時。その後6年間に渡り、フェデラーは毎年必ず最低一つは、グランドスラムのタイトルを獲得している。

 勝利も敗北も好調もけがも、すべてが生活に取り込まれている日々を重ね、その中から“特別な瞬間”をすくい上げていった者だけが、今度はその特別な瞬間をも日常としながら生きて行くことができる――それが、プロのテニスの世界だ。
 今から2〜3年後、テニスプレーヤー・錦織圭の日々は、今とどのように変質しているのか? こちらとしても、錦織の成長を見ることを“日常”の一部として、これからを過ごして行きたい。
 
<了>
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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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