新体操の「美しき戦い」を実現した、18歳カナエワとベッソノワ

椎名桂子

五輪女王のカナエワ(中央)、ベッソノワ(左)を抑え初優勝。右は3位のゴデュンコ 【榊原嘉徳】

 新体操のイオンカップ世界クラブ選手権(以下イオンカップ)は10〜12日、東京体育館で行われ、個人総合で北京五輪金メダルのエフゲニヤ・カナエワ(ロシア)が75.715点で初優勝を果たした。同五輪銅メダルのアンナ・ベッソノワ(ウクライナ)は74.532点の2位となった。

人気のベッソノワが予選1位 カナエワも追い上げ

 北京五輪の金メダリスト、カナエワは、やはり強かった。
 イオンカップの結果を一言でまとめればそうなるのだろうか。10月10日に行われた予選ラウンドは、1日で4種目というハードなスケジュール。ひざに痛みをかかえているカナエワは今ひとつ本調子ではなく、ロープでは場外という大きなミスを犯し、わずか0.201差で2位となった。予選で首位に立ったベッソノワは、クラブで1回の落下があったものの、4種目すべてを手堅くまとめた。
 ベッソノワは、北京五輪の銅メダリストだがアテネ五輪以前から「人気はナンバーワン」と言われ続けてきた選手だ。その芸術性の高い演技で日本にもファンが多く、五輪前には日本の電器メーカーのCMにも登場していた。そのCMの中でベッソノワは「自分の演技で『物語』を描きたい」と語っていたが、今年のイオンカップで彼女が見せた演技は、まさに『物語』であった。
 予選の翌日に行われた準決勝(ロープ、フープ)では、カナエワも調子を上げてきて2種目をノーミスでまとめ暫定首位に。しかし、ベッソノワも初日の好調を持続し、2種目を終えて、2人の得点差は0.550。ロープの演技終了後に、ひざの痛みのためか顔をゆがめていたカナエワ。彼女がもし決勝で万全な演技ができなかった場合は、逆転もあり得る。緊迫した状況で決勝を迎えることとなった。

最高の輝きを見せたベッソノワ

民族音楽にのせ、楽しげにリボンを操るベッソノワ 【榊原嘉徳】

 10月12日、決勝。まず、ベッソノワが「一番好きな音楽」と語っていた「グラディエーター」にのせたクラブの演技で“力強い精神”を描き出す。続くカナエワは「モスクワ郊外の夕べ」の悲しげで美しい旋律で、一部のすきもないリボンの演技を見せる。お互い一歩も譲らない名演技の応酬だったが、ベッソノワの得点18.850に対して、カナエワは19.066。この時点でほぼ勝負は決まったという感があった。
 カナエワはリボンの演技前にはやや不安そうな様子があり、練習にも集中力を欠く動きが見られたが、リボンの演技で気をよくしたのか、続くクラブの前は練習中にも笑顔が見られ余裕の表情に変わっていた。対するベッソノワは、はじめからずっと練習中に雑念が感じられず、周囲とは別世界にいるかのようだった。最終種目のリボンを前にしてもそれは変わらず、本番に向かう直前には、赤いリボンを慈しむように丁寧に何回か手の中で滑らせた。

4種目それぞれに、まったく印象の違う「物語」を描き出したベッソノワ 【榊原嘉徳】

 アンナ・ベッソノワのリボンの演技が始まる。今後の去就を明言しなかったベッソノワの演技を日本で見られるのは、もしかしたらこれが最後かもしれない。そんな空気の中でベッソノワは満面の笑顔で踊り始めた。
 ウクライナの民族音楽を使ったリボンの演技は24歳のベッソノワには、かわいらしすぎる印象も否めない。ベッソノワほどの表現力があればどんなドラマチックな曲でも作品でも踊りこなせるはずなのになぜこの曲なのかすこし不思議に思っていた。しかし、この日本での最後かもしれない演技で、ベッソノワはまるでリボンとたわむれているように躍動し、1分半の演技の間、ずっと“楽しくてたまらない”というような笑顔を見せた。試合前の記者会見で「リボンは踊っていて自分も楽しくなってくる。観客も一緒に楽しんでほしい」とベッソノワは語った。彼女が、この作品で伝えたかったのは「新体操の楽しさ」なのだ。だから、この曲、この演技だったのではないだろうか。
 得点は18.616。カナエワによほど大きなミスが出ない限り逆転はない。しかし、2008イオンカップでベッソノワが見せた演技を、誰もが忘れることはないだろう。それほどに、この大会でのベッソノワは輝いていた。

稀に見る「美しき戦い」を、カナエワが制す

顔にはあどけなさも残るカナエワだが、魅力的な演技で観衆をひきつけた 【榊原嘉徳】

 カナエワのクラブは完ぺきで19.033。完全な優勝だった。北京の金メダリストにふさわしい演技で、ベッソノワを得点で上回ることにも納得がいく。18歳でありながら、技術だけでなくすでに表現力も十分に身につけているカナエワの登場は、新体操にとっては明るい材料だ。「技がすごい」「柔らかい」だけではない、魅力的な新体操を彼女は見せてくれる。カナエワがトップに立ったことで、これからの新体操選手に求められる像は変わっていくだろう。

あこがれの存在を超えたカナエワ

「ひざの痛み」について聞かれると「演技には影響ない」と答える気の強さも見せたカナエワ 【榊原嘉徳】

 カナエワの演技終了後、バックステージでベッソノワとカナエワは抱き合っていた。
 06年のイオンカップ、カナエワはロシアのリザーブ選手だった。観客席からベッソノワの演技に大きな声援を送っていた。それが2年前のカナエワだ。来日記者会見でもベッソノワの次に大会への意気込みを聞かれると「ベッソノワの言ったことを支持します。まったくその通りです。私はこの場にいられてうれしいです」とほおを紅潮させながらコメントした。その様子は、ベッソノワのライバルというよりはファンのようだった。
 しかし、五輪に続いてイオンカップでも、カナエワはベッソノワを超えて頂点に立った。その重さを彼女は感じていたに違いない。
 一方のベッソノワは大会前、「北京でのライバルであるカナエワと再び競うこと」についての思いを記者会見で聞かれたときに、「良い戦いをしたい」と答えていた。“良い戦い”を終えた後、カナエワと抱き合う姿は、自分を凌駕(りょうが)するまでに成長した後継者を心からたたえているようだった。

 08年のイオンカップ。私たちは、もっとも美しく、もっとも輝いたアンナ・ベッソノワを見ることができた。そして、新体操の世代交代の瞬間も目撃することになった。
 09年から新体操はルールが変更される。これからまた新体操は変わっていく。より高度に、より美しく。その中心にエフゲニヤ・カナエワがいることは間違いない。

<了>
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著者プロフィール

1961年、熊本県生まれ。駒澤大学文学部卒業。出産後、主に育児雑誌・女性誌を中心にフリーライターとして活動。1998年より新体操の魅力に引き込まれ、日本のチャイルドからトップまでを見つめ続ける。2002年には新体操応援サイトを開設、2007年には100万アクセスを記録。2004年よりスポーツナビで新体操関係のニュース、コラムを執筆。 新体操の魅力を伝えるチャンスを常に求め続けている。

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