太田雄貴、五輪の活躍でもたらした功績

田中夕子

銀メダル獲得で「新たなヒーロー」に

大分国体のフェンシング成年男子フルーレで優勝し、ガッツポーズする太田=日田市総合体育館 【写真は共同】

「北京オリンピックで、人生を変える」

 並々ならぬ決意を持って臨んだ北京五輪で、フェンシングの太田雄貴(京都ク)は悲願であった銀メダルを獲得した。帰国後、太田の元には、スポーツ報道媒体に限らず、朝のワイドショーからバラエティ番組まで、わずか数週間で数十本もの取材・出演依頼が相次いで舞い込んだ。
 聡明(そうめい)で言葉巧みな太田は、瞬く間にお茶の間の人気者になり、取材依頼は絶えるどころか日を追うごとに増していく。気付けば、「フェンシング界のヒーロー」は、北京五輪を経て、「日本スポーツ界の新たなヒーロー」へと祭り上げられていた。

 太田にとって凱旋試合となった大分・日田市での国体(9月12〜15日)でも、注目度の高さは顕著に現れた。
 多くの観衆、報道陣が太田の行く先々を取り囲む。デジカメや携帯電話のカメラを持った観衆からは「太田さーん、こっち向いて」と黄色い声援が飛び交い、地元の大分選手団を応援に来たはずの小中学生たちも「太田ガンバレー」と手を振り、叫ぶ。あまりのフィーバーぶりに、主催者は「どこがホームかわからないね」と苦笑いを浮かべる。

 昨年12月に同所で開催された日本選手権に訪れたメディアは数名に過ぎず、観客の多くはフェンシング関係者が占めていた。わずか数カ月後、太田の銀メダル獲得によって取材に訪れる報道陣の数も数十倍に膨れ上がる。周囲は「フェンシング会場じゃないみたいですね」と驚き、戸惑いつつも「メダルを獲ってくれたおかげで、フェンシングに注目してもらえてありがたい」と銀メダル効果を歓迎する。

“太田効果”がフェンシングにもたらしたもの

「太田くんに勝てば、自分にも注目してもらえると思ったらいつも以上に気合が入った」 予選リーグで太田に勝利した秋田代表の斉藤有を、多くのメディアが取り囲む。その姿を冷やかしながら、また別の選手が、注目を浴びる斉藤に羨望(せんぼう)の眼差しを注ぐ。

 日本ではほとんど目にすることのないフェンシングは、常に「マイナー競技」と位置づけられ、たとえ国際大会で結果を残そうと脚光を浴びることは滅多にない。フランスやドイツなど、フェンシングの本場とされるヨーロッパでは「フェンシング選手」というだけで敬われるのに対し、日本では、尊敬されるどころか「全身タイツ姿をバカにされ続けてきた」(太田)というのが現実。どこか、選手たちにも「どうせマイナーだから」というあきらめの気持ちもあった。

 しかし、北京五輪で状況は一変した。太田が動けば人が動き、サインや写真撮影を求める人たちで、あっという間に長蛇の列ができる。
「銀メダルを獲ったことで、フェンシングでも、これだけ注目してもらえる、これだけ応援してもらえるということをほかの選手たちにこうして示すことができた。それが一番うれしいし、何よりも大きなことだと思う」

 五輪後、“太田効果”もあって、全国各地のフェンシングスクールへの「フェンシングをやってみたい」という問い合わせは爆発的に増えたと言う。メディア効果は顕著だ。
 だが、太田自身は「僕がいつまでもメディアに出る必要はないと思う」と言う。決して謙遜(けんそん)ではない。真意は別のところにある。
「全国をまわって子どもたちにフェンシングを教えたり、ちびっ子フェンサーを増やすための活動をしたい。オリンピックの銀メダリストに直接教えてもらったということは、子どもたちにとってそれ以上ないほどのきっかけになると思います」
 ロンドンでの金メダル獲得、そして競技の裾野拡大。4年後に向け、太田はまた新たな目標を掲げた。

 もちろん、“太田効果”は子どもたちだけではない。
 これまでは、どうしても手にすることができなかった五輪のメダルを、同じ日本人が手にした。そのことは、同じく北京五輪に出場した千田健太(宮城ク)を筆頭に、北京を逃した福田祐輔(警視庁)、市川恭也(和歌山ク)、ら、やはり同じように4年後のロンドンを目指すほかの選手たちにとって、これ以上の刺激はない。
 昨年の世界カデット選手権を制した高校3年生の三宅諒(慶応)が、その思い、そして決意を代弁した。
「太田さんが世界照準を作ってくれた。やっと、世界が見えてきた」

 変えたのは自らの人生だけではない。太田の銀メダルがもたらした功績は、やはり、計り知れないほどに大きい。

<了>
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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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