低迷脱出に光!? ホークスが仕掛けた「奇策」=鷹詞〜たかことば〜

田尻耕太郎

9年ぶりにドームの屋根を開けて試合を開催

 9月10日、福岡ソフトバンク・ホークスは東北楽天とのナイターで、本拠地・ヤフードームの可動式屋根を開放して試合を行った。屋根を開けたまま試合をするのは、実に1999年6月19日の西武(現埼玉西武)戦以来のこと。「福岡ソフトバンク」となってからは初の試みだった。

 それは何げないひと言から始まった。その前夜の9日、福岡ソフトバンクはリーグ最多勝投手の岩隈久志を攻略できず、4連敗を喫して順位を5位に下げた。シーズン後半戦の5位転落は11年ぶりのこと。そんな危機的状況の中、試合後にロッカールームに現れた竹内孝規COOが「屋根を開けるか」と言った。その言葉を真に受けた者は少なかった。翌日の一部スポーツ紙には大きく取り扱われたが、それはチームの危機を煽るためのエッセンスのような役割と受け取られた。
 筆者自身もそうだった。6月ごろだったか、竹内COOに「ヤフードームではもう屋根を開けて試合をすることはないのですか?」と尋ねたことがある。その時、竹内COOは「難しい」と答えていた。しかし、10日の朝、球団は対戦チームの東北楽天や連盟などに確認を取り、屋根を開いて試合をすることが正式に決定した。選手たちにその事実が伝えられたのは午後1時45分。練習開始の15分前だった。

 当初は試合開始1時間前の午後5時に屋根を開ける予定だったが、王貞治監督や選手たちからの「試合と同じ状況で練習をしたい」との要望を受け、午後2時30分から屋根が開き始めた。
 直径212メートルもある屋根のうち3分の2までが、約20分かけてゆっくりと開かれる。普段は試合後の勝利の儀式として行われる「ルーフオープンショー」。空が見えた瞬間に、まぶしいひと筋の太陽光がドームのグラウンドに降り注ぐ。なかなか幻想的な光景だった。
 そして、暑い。屋根が開き切ったころに1塁側ベンチのシートに触れると、反射的に手を放してしまうほど熱を帯びていた。動きまわる選手たちは汗だく。松中信彦はサングラスをかけてグラウンドに出てきた。
 しかし、試合が始まった午後6時にはグラウンドをはじめ、スタンドのほとんどの部分も日陰に覆われていた。筆者はネット裏スタンド最上段の「カウンターシート」から観戦したが、玄界灘からの風が最高に気持ち良かった。そして日が暮れるにしたがって濃くなっていく空色がとてもきれいだった。

いつもとは違うドームで選手たちに笑顔が戻った

 試合は福岡ソフトバンクが2対1で競り勝って連敗を止めた。先発の新垣渚が8回途中10奪三振の力投で2勝目をマークした。しかし、王貞治監督は不機嫌だった。試合終了直後のベンチ裏に「集合」の声が響く。緊急ミーティングの合図だ。敗戦の直後は常に行われるが、勝利した日では今季初めて。しかもこの日は野手だけが対象だった。試合には勝ったが、奪った2点は押し出し四球と相手失策で「もらった」2点のみ。このところ振るわない打線への不満は、白星を手にしても消えることはなかった。
 ミーティングが終わり、会見を行った王監督はまだ少し興奮しているようだった。当然のように屋根を開いたことについての質問が飛ぶ。しかし、王監督は「それは関係ない」と言った。

 ただ、筆者の印象は少し違う。この勝利は現場とフロントが一体となってつかみ取った貴重なものだ。急きょ決まった「屋根を開ける」ことを実行するためには、相手球団や連盟のほかに周辺住民や近隣の病院にも了解を取らなければならない。何も知らずにやってきたファンへの説明責任もある。3万人も集まれば反対意見があるのも当然だからだ。多くの球団職員が慌ただしく奔走したはずだ。
 それらの努力が実って屋根は開かれた。選手たちの反応は良かった。多村仁は「僕は開いている方が気持ちいいね」と笑顔。松田宣浩は「楽しみです」といつものようにニカっと笑った。王監督も日光が降り注ぐグラウンドを見渡して「すごいね」とうれしそうだった。そこに4連敗中の重苦しいムードはなかった。
 いつもとは違うヤフードームで野球をする。プロ野球選手もひとりの人間だ。新鮮な雰囲気には心を躍らせる。取材陣もやたら楽しそうだった。

 11日、この日も屋根を開けて試合を行う予定だったが、降雨が予想されたため断念された。そして、試合は敗れた。「関係ない」と思いたいが、再びチームが重苦しいムードに戻ってしまったのは事実だ。ヤフードームでの残り試合は5試合。球団広報によればデーゲームで屋根を開けることはないが、ナイターは検討中だという。チームの雰囲気を変えてみせた「奇策」のタクトは再び振られるのだろうか。

<了>
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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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